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BiblioMania

BiblioMania
このハンコつくろうか



報告遅れましたが、以下の企画に参加させていただきました。
2011 Korea & Japan Design Activity

611 T-SHIRTS Project
6月11日、脱原発グローバル100万人運動!
日本のデザイナーは韓国語で。韓国のデザイナーは日本語で。
Tシャツをデザインしましょう。



Korea&JapanDesignActivity
「오 핵을넘어선 장미군여..작품이 좋습니다」「방사능으로 두상이 두개인 돌연변이 소가..ㅜㅜ 정말」とコメントもらってしまって、コミュニケーションできてうれしいですね。



生きていれば祭~脳入苦吸~

まぢすかっ?てなヤバ目な面子の集うイベントになりそうでやんすね。
祭っすよ。生命の祭典。自分の祭は自分でやるしかない!
前日金曜のなんとかバーはペペインテリの美食倶楽部、前夜祭にどうぞ。



ikiteireba
生きていれば祭
~脳入苦吸~


2011.07.02(sat)
@落合SOUP(03-6909-3000)
http://ochiaisoup.web.fc2.com/

Address:
東京都新宿区上落合3-9-10 三笠ビル地下1階

Access:
JR総武線東中野駅 徒歩5分
東京メトロ東西線落合駅 徒歩1分
都営大江戸線中井駅 徒歩5分
西武新宿線中井駅 徒歩10分

Open18:00/Start19:00~
Entrance Fee:1000yen+1drink order
※軽食あり

LIVE:
つちっくれ
KORA KORA
Redbandana Lab.
ゲロクソ(GuelhuCthu)
元気いいぞう

DJ:
MIX NOIZ(FZRK&MAYDAY11FREEDOM AND LIVES)
MAKOSSA(Kilimanjaro)
HUMAN ERORR WORK$


文無し、職無し、放射能有り

どうする、生命
生きさせろ!

命、燃・や・せ!
魂、燃・や・せ!
扉をひ・ら・け!

生きていれば祭★



大阪~京都ぶらぶら病 「東西交流会+脱原発ピクニック」参加

明日の夜は吉祥寺バウスシアターで「『サウダーヂ』公開記念 空族の夜」「 マニラ・ナイト」に遊びに行き、翌朝奮発して「ぷらっとこだま」で新大阪へ。翌週月曜の『サウダーヂ』爆音ワールド・プレミア上映に行けないのは残念。爆音で見られるまたとないチャンスなんで前作『国道20号線』にグッときた方はぜひ。

第四回爆音映画祭

『サウダーヂ』予告編
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=9dlaZcbfrqA&feature=player_embedded[/youtube]

気付いたら名前が載っていたので、日曜は下記の交流会に顔を出します。界隈で「原発やめろデモ」に一番関わっていないであろうボクがいくのもなんですが、東西のネットワークづくりという重要な社交活動に精を出したいと思います。

「東西交流会+脱原発ピクニック」

★6月26日(日)2時ぐらいから、難波リバープレイスの川べりで「東西交流会+脱原発ピクニック」やります!!当日は、東京で毎月、巨大サウンドデモ「原発やめろデモ」に関わってる、Irregular Rhythm Asylum の成田圭祐氏や、RLLのハーポ部長(予定)をゲストに迎えます!また、京都で「1週間ぶっとおしデモ★アゲインスト原発」の主催者らも乱入予定!!!これは、盛り上がること間違いない!東西のぶっといネットワークをつくりやしょー!
(雨天場所変更有、途中移動する可能性有、かなり適当な企画ですー。家族連れ歓迎!酒、つまみ持参で!!変更時はツイッターであげまーす!)


RLLのTシャツを背負っての行商スタイルで大阪~京都を数日ぶらぶら。
関西方面の方、交流してください。



ドロップアウトのすすめ

本日火曜日は気流舎の店番です。14時から22時くらいまで。
店主の加藤さんが水疱瘡のため、気流舎は数日の間お休みするとのこと。

加藤さんと気流舎の早期復活を祈願し、カウンターカルチャーの偉人たちが勢揃いの架空バンドTシャツ「ドロップアウツ」(=不良もの)をわけあり特別価格700円で販売! サイズはGM(女性サイズ)、S、M、L。

dropouts

病は気から。



今、スペインで起こっていること ―バルセロナの広場から緊急報告―

カフェ・ラバンデリアにて。
http://cafelavanderia.blogspot.com/

110616_001

今、スペインで起こっていること
―バルセロナの広場から緊急報告―

溢れんばかりの人々によって広場が占拠されている。
蜂起? 暴動? 抵抗? いや、ただの広場でのキャンプ?
いったい何が起こっているのか?
バルセロナから一時帰国中のebitaことエビハラヒロコ氏が
報告してくれるバルセロナの広場の今。
http://ramonbook.wordpress.com/

TALK: Hiroko“ebita”Ebihara
OPEN19:00/START20:00
入場無料(但しワンドリンクオーダー)
カンパ制の軽食あり

数週間前のバルセロナ・カタルーニャ広場360°
http://acampadabcn.visita3d.com/

先日のアルタ前広場での出来事と繋げて考えてみると、とても心強い気持ちになる。世界は変わりたがっている。

6.11 新宿・原発やめろデモ!!!!!
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=lqKaC23g2b0&feature=player_embedded[/youtube]

東京新宿で脱・反原発デモ TBS 18:00~
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=i8_AkPck9MU&feature=player_embedded[/youtube]



RLLからのお詫びとお知らせ

dropouts

東北地方太平洋沖地震の影響に伴う福島第一原子力発電所の事故、および放射性物質の放出とは全く無関係に、5年前にリリースしたRLL26「Dropouts」に重大な誤りあることが発覚しました。

今年ゲイリー・スナイダー本人が来日するという噂を耳にし、事態の一刻も早い収束に向けて全力を挙げて懸命に取り組むつもりでしたが、招聘元のTOKYO HIPSTERS CLUB閉店という想定外の出来事により来日中止。このままミスもなかったことに・・・と一瞬でも考えてしまった自分たちのなかにある隠蔽体質を自己批判いたします。

間違い探し?


26DropOuts02


DropOuts2011_1


ゲイリー・スナイダーおよびアラン・ワッツ のファンの皆さま、そして広くカウンター・カルチャーを支持されている社会の皆さま、何よりもRLLを信頼してTシャツを購入された皆様に大変なご迷惑をおかけし、心より深くお詫び申し上げます。

以前にこのTシャツを購入された方には、新バージョンを改めてお送りさせていただきます。大変お手数ですがTシャツ着用写真を添付してメールをいただければ幸いです。

平成23年6月
RLL


doredake



デモに出かける前の景気づけに

ameagari

雨はあがってきた。
気分もあがってきた。

▼ライプツィッヒ大学の院生Julia Laserさんたちが撮っている ドキュメンタリー「Radioactivists」の予告編 
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=hMlxIJivMlk&feature=player_embedded[/youtube]

▼ダッ!ダッ!脱・原発の歌/制服向上委員会
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=ByP8m3XOZdw&feature=player_embedded[/youtube]
AKB48の下品なリビドー経済戦略を見てると、めちゃくちゃ萌える反/脱原発アイドルが出現したら日本は変わるかも。拗れた性エネルギーの革命的転用が究極の代替自然エネルギーだったりして。

▼カタルーニャ広場でのマヌ・チャオのライヴ(2011年5月26日)
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=QQOBAxqUIfo&feature=player_embedded[/youtube]

▼村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(毎日jp)

「非現実的な夢想家として」

 僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

 僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。

 でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。

 ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。

 地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。

 日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。

 台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。

 にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。

 なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。

 日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。

 「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。

 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。

 どうしてか?

 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。

 そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。

 今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。

 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。

 結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。

 ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。

 僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。

 みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。

 十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。

 なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。

 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。

 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。

日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。

 しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。

 ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。

 僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。

 戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。

 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。

 そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。

 何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?

 理由は簡単です。「効率」です。

 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。

 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。

 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。

 そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。

 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。

 それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。

 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」

 我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。

 ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。

 「大統領、私の両手は血にまみれています」

 トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。

 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。

 カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。

 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。

 最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)



ニッポン無責任時代

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=lYsI93hb9uQ&feature=player_embedded[/youtube]

朝っぱらから現代版『ニッポン無責任時代』を観た。くらくらした。菅さんの癇癪具合もちゃんと再現。

2011.6.5放送 NHK シリーズ 原発危機 第1回 事故はなぜ深刻化したのか 
http://www.dailymotion.com/video/xj4aiw_2011-6-5-yyyyyyyyyyyy-yyyyyyyyy_news

35:08 1号機の爆発後の会話

政府高官:爆発は本当なのか?
東電幹部:見間違いじゃないですか? 確認します。


55:45 内閣府原子力安全委員会委員長 班目春樹の発言 

「3月11日以降のことが全部取り消せるんだったら、もう私は何を捨ててもかまいません。3月11日以降のことを全部なしにしていただきたい。」

無責任!無責任!無責任!
もう笑うしかないのか、植木さん。

musekinin
まったく公開する必要のない情報。我が家のトイレは昭和のボロボロな映画ポスターだらけ。

毎朝便座に腰をおろし、『ニッポン無責任時代』のポスターに手を合わせる。植木等演じる無責任サラリーマン平均=たいら・ひとしをジャーとして崇める「スーダラスタファリズム」(mixiコミュ→http://mixi.jp/view_community.pl?id=438141)というDiY宗教の創始者として、今何をするべきなのかを考える排泄時間。カミがないと不安で仕方ない。

平井玄さんは今回の事態を「スーダラな破局」と表現をしている。ユダヤ、キリスト教の世界観のようにドカンと一発さようならという終末はこない。情報を隠蔽され、操作され、騙されながらジワジワと取り返しのつかない事態になっていく。たまったもんじゃない。国家がスーダラ化したいま、われわれはもはや牧歌的なスーダラスタではいられない。

同じ理由でボクのバイブルのひとつであるポール・ラファルグの『怠ける権利』も大胆に読み替えていかなければならない。ラスタが聖書を逆さ読みしてみせたように、革命的スーダラスタはあらゆるテクストをズラしていく。

ヒマを巡る哲学的序説
http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20100815#p1

これはZineを作ろうとして友人に依頼した文章。火曜気流舎が無職フェス化しているのでこのテキストを配って無職者(≪ヒマ≫人)を励まそう。

「世界が大きく変動しつつある状況を前にして何もできないでいること、スティグレールはこの状態を端的に「怠惰」と呼んで批判している。ここで批判されているような「怠惰=怠けること」に対立するのは、ラファルグが考えていたような「生産」ではなく、逆説的に響くかもしれないが、精神を耕す営為としての≪ヒマ≫である。そしてスティグレールが「精神の政治経済学」と呼んでいるものは、その≪ヒマ≫の政治的活用に他ならない。」


ヒマと責任の両方を持て余していじけている世代に向けて、ご近所の友ジェレミーが南相馬市から素敵な歌を届けてくれた。坂本龍一がリツイートしたことで拡散し、団塊の世代にも届いたことだろう。

米国の『Operation TOMODACHI』より「友よ」を歌う米国の友達のほうが信用できる!
[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=XNhsXjVq3ro&feature=player_embedded[/youtube]

68年新宿騒乱が刻まれた地霊と団塊世代の魂が照応し、フォークゲリラ部隊が原発やめろ広場!!!!!(アルタ前)に出現するのを夢想する。「ニッポン無責任時代」が引き起こした悲劇を一瞬でも再び喜劇に帰すために。

「6.11 新宿・原発やめろデモ!!!!!」
[日時] 2011年6月11日14:00集合 15:00デモ出発
[場所] 新宿中央公園・多目的運動広場

14:00 新宿中央公園・多目的運動広場に集合
15:00 新宿1周・超巨大サウンドデモ出発
18:00 原発やめろ広場!!!!!(アルタ前)



アマチュア思想のストリート

「プロにはまかせておけない。アマチュア思想道を確立すべきである」 梅棹忠夫

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=7CqUlUhRnXI&feature=player_embedded[/youtube]
【民視即時新聞】在日本有一群無厘頭的行動團體,叫做「素人之亂」,他們會不定時在街頭煮火鍋、烤秋刀魚。不過今天他們到台灣卻是來參加反核串聯活動,要宣導611的國際反核行動。

「今のこのひどい社会を変えたいと思う人は自分の持っている専門領域から少し出ないといけない。ぜひみなさんも素人の乱をしていただきたい」 コリン・コバヤシ

[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=CyZwEyzsuPU&feature=player_embedded[/youtube]

昨晩のETV特集「続報 放射能汚染地図」の後に放送された「暗黒のかなたの光明 ~文明学者 梅棹忠夫がみた未来~」がとても興味深かった。被災地をニコニコしながら歩く荒俣宏の姿は一瞬不謹慎に映るのだが、水木サンも指摘しているとおり、彼は妖怪なのでなんの問題もない。むしろ妖怪アラマタが電波を通じて警句を発しなきゃいけない事態になってしまったことに危機感を持たなければなるまい。

番組はこんな内容だった。

「2010年に亡くなった比較文明学者で「知の巨人」といわれた梅棹忠夫の未刊で、幻の書ともいわれる「人類の未来」の資料が発見された。そこには半世紀前に、地球規模のエコロジーの視点から人類の暗い未来を見据え「暗黒のかなたの光明」を求める梅棹の姿があった。大震災で文明世界の価値観がゆらいでいる今、梅棹と交流があった作家・博物学者の荒俣宏が、宗教学者・山折哲雄やほかの識者と共に、現代への問いかけを考える。」

梅棹忠夫による超悲観の幻書『人類の未来』を荒俣宏編集で是非読んでみたい。「暗黒のかなたの光明」を掴むために。スラッカーな日々を送ってるけど、アマチュア思想道はけっこう真面目に追求しているつもりだ。

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「反PSEデモ支援COMICS by 素人の乱」より

「素人の乱をする」というコリン・コバヤシの語法のように、「素人の乱」という言葉は、固有名詞からダイナミックな動詞になったようだ。「思想は使わなければ意味がない」(梅棹忠夫)ので、6.11 は新宿の道にみんなで集まろう。


6.11 新宿・原発やめろデモ!!!!!  出演アーチスト順次更新中!
http://611shinjuku.tumblr.com/

原発事故から早くも3ヶ月が近づいている!
そろそろ落ち着いて来るかと思ったら、全然そんなことはない! 実はメルトダウンしてたとか、土壌が汚染され始めたとか、汚染水があふれ返ってるとか、恐ろしいニュースばかり…。終息どころか、むしろいよいよ悪化してきてる。もうレベル7とか生ぬるいこと言ってる場合じゃなく、レベル10ぐらいでしょ!
さて、4月の高円寺、5月の渋谷ともそれぞれ1万5千人に及ぶ人が集まり、他にも日本中でデモが頻発し始めるなど、声は大きくなる一方! そんななか、原発に文句を言うこと自体がタブーだった状況にも、ようやく変化が訪れ出した! 一時的とはいえ浜岡原発が止まったり、新聞や雑誌をはじめ原発に疑問を持つ記事も増えてきて、論調も変化してきた。世の中が少しだけ動き始めている!
ところが菅首相は、サミットなどの国際会議で、自然エネルギー重視を言う一方で「安全な原発をつくる」などとわけのわからないことばかり言っている。うーん、これだけの事故を起こして、まだ懲りてないのか!!
いま、日本の原発は順次定期検査に入って、順番に止まっている。一方、その再稼働は見合わせているようで、5月中には約3分の2が停止し、再稼働がなければ来年の3月にはすべての原発がいったん停止するとのこと! これを機に、環境も壊すし、金もかかるし、生活もめちゃくちゃになる、無用の長物=原発なんて「もうやめた!」と宣言し、全廃に向けて動き始めないと、どうしようもない! やはりここで「原発いらない!」と、再び意思表示しまくってしまおう!
ということで、またまた大規模デモがやってくる! しかも、今回は震災と事故から3カ月の節目ということで、全国・全世界同時行動日! 相当な都市・地域でいろいろ行われてしまう! いよいよ、「原発冗談じゃない!」という動きの最初の山場がやってくる!

また、街に繰り出そう! 6月11日は新宿へ!!
要求項目!!!!

私たちは以下の5つの項目を日本政府に要求します。

稼動中の原発の停止
定期検査中等で停止している原発を再稼動しないこと
原発の増設中止
児童の許容被曝量20ミリシーベルト/年の完全撤回
原子力発電から自然エネルギー発電への政策転換」



生活相談、後日談

心理カウンセリング、毎週水曜、50分×2回、無料、要予約。

就職には消極的だが、異世界を見せてくれる無料体験には積極的に生きている。

合計100分もタダで話したいことを好き放題披露できる場がハローワークにあるのを知り、早速予約。ちょうど界隈以外の、立場が極端に違う人間と交流したかったのだ。産業カウンセラー。いいねえ、まったく今の生活に馴染みがない人種だ。

特別に訓練されたプロの傾聴テクニックを観察するのも、最近復活した火曜気流舎店番の接客の際に役に立ちそうだ。システムに押し戻すのが彼らの仕事だとすれば、その逆の仕事が気流舎には求められているのはずだ。正常への矯正じゃなくて、変態への生成変化? まったく無責任な話だが。

このトークショーのコンセプトのは非正規雇用者の生活相談。ビフォの『プレカリアートの詩 記号資本主義の精神病理学』を読み直しているボクは「不安」がキーワードだと思い、東京で暮らす30代男性の不安定な生を代表する気持ちで、健康問題はもちろん、原発の問題を含む、あらゆる不安を列挙することから話し始めた。なかなかいいタイミングで相槌を打ってくれるのでおもわず不安の話に花が咲く。頭の中では赤い疑惑の「ダーティーサーティー』が流れている(最新作『オレ達は日本で生きている』 素晴らしいアーバンブルース!)。

心理カウンセリングを受ける前に読んだ「FOREST ZINE VOL.1」がとても参考になった。リーマンショック以降に「安定なんてどこにもない」「頑張ってもどっちみち就職できない」と悟った若者がオルタナティブライフを模索するために作った志の高いミニコミ(ZINE)だ。そのなかの無職フェス座談会という2万字トークがめっぽう面白い。

気流舎復活初日にボクを待ち構えていた無職フェスの主宰者(たまたまZINEを卸にきただけだろうけどカルマを感じた)や、われらがぺぺ長谷川など、6人のオルタナティブライフ実践者の無職フェス終了後の雑談。らるふさんが大地震を予言していたり、ぺぺさんの「仕事やめた事ないんだから俺」というダメじゃない発言にぎょっとしたり。

無職フェス座談会のおかげでボクのトークも不安のネタが尽きない。産業カウンセラーの中年の男性はボクの話を聞き終わると、「それで、あなたはどんな感じになりたいのですか?」と切り返すので、またボクがたくさん話す。カウンセリングってすいぶんと楽な仕事だな。不安の羅列の次に、その処方について話し終わると「まったく問題ないじゃないですか」とカウンセラー。「いや、だから問題がすごくある状況にもかかわらず、そう自分でも思ってしまうことが問題なんですよ!」とトークが妙な白熱をしてきたところで時間オーバー。

話し相手が欲しい方はぜひ活用してみてください。

改めて告知するけど、先々週から毎週火曜日の気流舎の店番を再開。先のことはまったくわからない。今回紹介した赤い疑惑『『オレ達は日本で生きている』(来週あたりには入荷予定か)、「FOREST ZINE VOL.1 再土着」、ビフォの本など人文書新刊なども取り扱っているので興味のある方はぜひお越しを。RLLのTシャツも割引で絶賛販売中。

話し相手が欲しい方はぜひ活用してみてください。
人と人の出会いの中にしか、現状を好転させる新たな閃きは生まれないものです。

気流舎の遊び方
http://www.kiryuusha.com/blosxom.cgi/shop/070405a.html



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