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気違い部落 in 宇宙 後編
人類学や民俗学に興味を持ったのだから、きだみのるのように愛車ドブネズミ号で全国を駆け、地方の農村をフィールドワークしなくてはと思ったわけだ。でも、ボクは車を運転しない主義(単なる車買えない階級って気もするが)なので、自転車のビアンキ号で行ける距離じゃないときついなあ、と思ってたわけだ。
そんなとき、マイミクの宇宙ヤングさんから、こんな話を聞いた。四谷にある宇宙村がヤバいYO!そんなわけで愛車ビアンキ号で行くことにした。ちょうど仕事の帰り道だった。
宇宙村
http://www.uchumura.co.jp/
UFOやオカルトで有名なたま出版と同じビルの1階に「気違い部落」を発見。店自体がひとつの宇宙を形成している。なんだかヤヴァイブスを感じる。うさんくさい隕石群、意味不明な巨大なオブジェや仏像っぽい何かたち、ピストルなど無数のガタクタおもちゃたち・・・・壁には村長である景山八郎さんがユリ・ゲラーと何かコラボしている写真や、隕石を発見したときの村長の脳波のグラフなどが張ってある。店の奥にはリー・ペリーのような風貌のおっさんが夕方のニュースを観ている。おっ!村長発見!さっそく話しかける。
ボク「凄い量ですねー、これ全部値段付いてるのですか?」
村長「値段は付けてない。値段を付けると泥棒に持っていかれる。欲しいものがあったら、言いなさい」
命令形だった。さすが村長である。あんな巨大で意味不明なオブジェや大仏、何百万って書いてあっても誰も持っていかないよ!っと心の中で突っ込みながらも、ある男のことを考えていた。みうらじゅんである。MJ、この仏像絶対好きだな、だってbirdにとてもよく似ているんだもん。
MJが今ピンチである。文化系男子&女子の間ではテッパンだった、MJにいま批判が集中している。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=15460663&comm_id=1000&page=all
さすがのMJでも、実存のかかった性はネタにならないようだ。これからのMJの言動に注目してみよう。ネタで返すのかどうか。とりあえず「エロスとタナトスは誠実に」という標語を自分のために作ってみた。話を戻そう。
宇宙村の村長は確かに狂っている部類だろう。でも、そんなに悪い狂い方ではないと思う。正常な異常だと思う。というか、ありきたりな電波系の話である。一番たちが悪いのは、正常なふりをした異常だ。気を付けなければいけないのは、お茶の間で気味の悪い笑顔を振り撒くスピリチュアル・カウンセラーや、ボクらの街を住みにくくしている、これまた露骨に笑顔が不気味な障子チンコや、あなたの会社で重いノルマをサディスティックにかせるあの上司たちだ。彼らは、わざわざフィールドワークに行かなくても出会ってしまうテレビや会社の中にいる身近な人たちだ。だから危険。
ある人はこう言った。
「人間はだれでも気違いだが、人の運命というのは、この気違いと宇宙とを結びつけようとする努力の生活でなかったら、なんの価値があるだろう。」
誰の言葉だっただろう。寺山修司が何かの本で引用していたのは覚えているが、その本のタイトルも発言者も忘れた。宇宙に向かって無限定に狂えば、それは芸術になるかもしれない(実際なるのは少ないが)。
ボクの好きな宇宙のイメージは、稲垣足穂の耽美的なアヌスから出発し、蟻の戸渡りで平岡正明の下品なキンタマを経由して、勃起したジョージ・クリントンのP-FUNK(Pって確かペニスのPでしょ?)から射精された数億ものファンクの精神がデトロイトの地下で星座群を形成する・・・みたいなそんな宇宙が好き。ナチュラル・レゲエ@グラスルーツの宇宙宏氏の低テンションなトースティングも好き。。
で、窪塚くんだけど、彼はいったいどんな宇宙に向かっているのだろう?最近のブリトニー・スピアーズもそうだ。ノーパンで人前に現れたり、衝動的に自らバリカンで頭を剃ってしまったり・・・
現代の気違い部落は、それぞれの宇宙の中にある。
- HarpoBucho
- By harpobucho / Feb 19, 2007 4:13 am
気違い部落 in 宇宙 前編
キチガイ!
ブラク!
「声に出して読みたい日本語」ってのは確かに存在する。発話してはいけないからこそ、大声で何回も叫びたい衝動に駆られることがある。「王様の耳はロバの耳」の床屋のように。
そんなときは、まずゴダールだ。『気狂いピエロ』を「きぐるいピエロ」と発話する人間をボクは差別する。ここは思い切って「きちがい」と発話すべきだ。これはチャンスなのである。それでも物足りなかったら、きだみのるだ。映画にもなっている『気違い部落』というタイトルを発話するときは本当にドキドキする。このネーミングに実は精神異常や被差別部落の意味はないのだが、口に出した途端、やはりタブーを冒した気分になり、高揚感と罪悪感がぐちゃぐちゃに混ざり合った複雑な気分を味あうことになる。そして、それは残念なことに非常に美味なのである。差別が絶対悪であるが故に。
最近出たきだみのるに関する本『自由になるためのメソッド』が気になっている。マイミクwolfさんの影響も大なわけだが、最近、「エピソード・ハンター」の肩書きを名乗り始めてから、ボクの関心事が人類学や民俗学に移行していることに拠る。あの世界は、ホントにいい逸話の宝庫なんだもの。
昨日は素人の乱で赤松啓介の『復刻 民俗学』を100円でゲット。日本民俗学の祖である柳田國男にはあまり興味がない。やはりそのアンチである赤松や宮本常一に惹かれてしまう。歴史学では網野善彦だ。彼らが描く非常民(マルチチュード?)やアジール(T.A.Z?)の世界観を「美しい国、日本」として安部総理や右翼の方々と積極的に共有していきたい。
人類学に関しても中心からズレる傾向があって、マルセル・モースよりも、彼の教え子たちに興味がある。そのなかの一人がきだみのるってわけだ。他には日本人だと岡本太郎がいる。彼を講義に誘ったのがジュルジュ・バタイユで、コントル・アタック仲間のミシェル・レリスも学友だ。ミシェル・レリスは黒人(アフリカ)好きだしね。レヴィ・ストロースも教え子の一人だが、人類学者として出世しすぎたのであまり興味がない。
まずい。知ったかぶりが楽しくて、本題になかなか入れない。このへんの話はイルコモンズさんの「文化人類学解放講座」「文化人類学者に”なりそこねた人たち”と”なりすました人たち”の肖像」が面白いので、ボクは本題に進む。
本題は今日行った「宇宙村」へのフィールドワークの話のはずだったんだけど、これから用事があるので帰ってきてから続きを書きます。
宇宙村
- HarpoBucho
- By harpobucho / Feb 19, 2007 4:01 am
現代の海賊たち
スマステーションで中村玉緒が勝新太郎について語ってます。かなりレアな勝新写真や映像が流れていて得した気分です。勝新はいいエピソードに事欠かないから、エピソード・ハンターのボクにとっては人間国宝です。今、報道番組ではシチリア島でのサッカーセリエAの試合をめぐっての大規模な暴動映像が流れています。
はい、テレビばっか観ています。
サッカーにあまり興味なかったのですが、最近ドイツのあるチームが非常に気になってます。
森永博志が責任編集している『ドクロマガジン』に「現代の海賊たち」という特集で、ドイツ3部リーグに所属するFCザンクトパウリの記事があります。
「世界で最も罪深い1マイル」と言われている歓楽街(行ってみたい!)に本拠地を持ち、ついた愛称が「売春宿のサッカーチーム」。でもそこにあるのはサッカーだけじゃない。パンク、グラフィティ、スクワッティング、ドラァグクイーン、ラスタ・・・・とカウンターカルチャーの見本市みたいなサポーター文化。
チームの会長が同性愛者ってのも実は凄い。音楽業界じゃ珍しくないけど、圧倒的な男社会、一般的にナショナリズム、右的であるといわれるサッカーの世界でこれは驚くべきことなのです。しかも、もともとアーチストで活動家っつー略歴。ね、なんか凄いでしょ?このチーム。
もともとFCザンクトパウリは労働者たちによって支持された保守的なカラーのチームでしたが、80年代に誰かがドクロの旗を持ち込んでから、急にオルタナ系のファンが増え始めたとか。その頃にはクラブの規則には「性差別、人種差別禁止」などの基本理念が明記されていたとか。
試合観たことないけど、なんかサポーターになっちゃいそうです。ドクロTシャツ、ネットで買えるので着ちゃおうかな。ボクがドクロなんて意外でしょ?ギャップってのがモテる、って女性誌に書いてありました。
誰がいつドクロを応援に持ち込んだのか、とかいいエピソードが書いてあるので、エピソード・ハンターの方は立ち読みしてください。写真もいいです。
ドクロを持ち込んだ男が「パンクって何?」と訊かれて、こう応えています。
「俺が知りたいよ。パンク・・・・何かに対抗すること。助け合うこと。良い音楽を聴くこと。行いに信条があること・・・・かな。」
イエス!
- HarpoBucho
- By harpobucho / Feb 04, 2007 4:15 am
特集:盗む
昨日の「シュガーヒル・ストリート」のライムスターのパフォーマンスはなかなか良かったです。来週はマイティ・クラウンがパフォーマンスするよ。はい、テレビばっか観ています。
でもテレビ観ながら読書もしています。今読んでる昔の雑誌『遊』の1981年11月号の特集が面白いです。「盗む」
「みんなで盗めばこわくない」ってキャッチコピーで多くの著名人が盗み体験を告白。このへんはけっこうアクチュアルで面白いんでまた改めて書きます。
今日は人の日記を盗みます。Chai-Royさん、ゴメンナサイ。
ギャングがモリッシーを聴いてるってオモロエピソード。こーゆー情報をたくさん収集したいです。巷の噂レベルでいいんで。あと以前の日記でボクが絶賛した劇団ひとりの映像。検索で探してもなかなか出てこなかったのは、盗んだ側の知恵です。テレビ局は盗みに関しては厳しいですからねー。自分たちは盗みや騙しばっかやってるくせに。
◆チカーノ・ギャングとザ・スミス
結構古いインタビュー(2005年11月)からですが・・・。
トーマス・キャンベル(TC)「ひとつの重要な新しい動きは、チカーノ・コミュニティがモリッシーを大好きになったということ。それは本当に巨大なシーンになってるんだ。カリフォルニアで最近起きた一番クールな動きだよ」
トミー・ゲレロ(TG)「しかも、チカーノのギャングの連中がモリッシーを聴いてるんだよね」
TC「そうそう。ボクの家の前のギャングの連中が、モリッシーを聴いてたしね。セントラル・バレーの方でそういう連中が多いんだ。フレズノにメキシコ移民の農民が多いんだけど、モリッシーがでかい会場でライヴをやって、チカーノ・コミュニティの連中がみんな見に来るよ」
TC「チョロ(チカーノ・ギャングスター)の連中がモリッシーを聞いてるっていうのは、すごくハードコアなヒップホッパーが、ボーイ・ジョージを聞いてるのと同じようなものなんだ。スヌープがボーイ・ジョージとツルんでたらヘンだよね」
TG「ザ・スミスを聞いて、連中は癒されるんだよ。ボクの持論は、ハードコアなギャングの連中は、仲間が撃たれたりすると、ザ・スミスを聞いて心を慰める」
- HarpoBucho
- By harpobucho / Feb 02, 2007 4:18 am
[平和主義] コミュ「戦争は人類の本能?んな阿呆な」を受けて
戦争と国家と共同体論とアナーキズムについて考察する
自分のマイミクココペリさんの日記「なぜヒトは戦争するようになったか。」でのwolfせんせいとの対話をそのまま流用しつつ(必読!)。
正月にぼんやり考えてた「楽しいのは左、安心すんのは右」([欺瞞的な固定したアイデンティティで安心したがる(不安を避ける)のが右翼/自己を時間と空間の中の揺らぐ運動体として存在する態度が左翼]というテーゼですけど。)を前提に、最後にアンチ・ファシズム共同体論にデヴィッド・グレーバーからアルフォンソ・リンギスに持っていくのはかなり自己中な解釈だなー。
でも全部RLLにとっては自明であった!
今日の日記でハーポ部長が政治快楽からファッショをネタにしている。まったく自分が裏から言葉でこじ開けようとしているのを軽々と…つまり彼は素でマルチチュードなんですね。
でね、このアンチ・ファシズム/無為の/明かしえぬ/何も共有していない者たちの共同体って中身は、去年読んだ平岡正明の「マリリンモンローはプロパガンダである」収録のエイゼンシュタイン論の中のレーニン/ソヴィエト部分が全くそのままなのだ。グレバーもびっくりなソヴィエト民衆解釈(肝っ玉母さん!)アナーキズムなんだよね。
さて、このあたりも参考に。
86であげた文化人類学者ピエール・クラストル
http://www.amazon.co.jp/dp/477380307X
http://www.amazon.co.jp/dp/4891762063
99での考古学佐原真・松木武彦
http://www.amazon.co.jp/dp/4062582139
http://www.amazon.co.jp/dp/4000271148
今回の現代思想/哲学の今村仁司
『抗争する人間〈ホモ・ポレミクス〉』
http://www.amazon.co.jp/dp/4062583240
大雑把にいえば全部同じことに帰結している。
人類の歴史上、人間の群れに命令者と服従者の分化が起こり、それにより〈暴力機械〉が立ち現れることで戦争が出現した。それこそがのちの王権/国家であり、人間の本能ではない。
そこで、これ萱野稔人の二冊
『国家とはなにか』
『カネと暴力の系譜学』
「国家は、基本的には暴力に関わる一つの運動態である」「現在あるようなかたちでの国家は、暴力が集団的に行使されるあり方が近代において変化したことによって成立した。つまり、暴力の実践のほうが国家の存在に先立つ。国家の存在は、暴力が行使される特殊なあり方の上に立脚している。」
暴力が他の暴力を駆逐し、それが国家として立ち現れる原理を明快にしている。暴力が国家を作り戦争を生む。根本には、他人を自分のままにすることが〈暴力機械〉を生み出す。
そこで今話題の『アナーキスト人類学のための断章』デヴィッド・グレーバー
http://www.amazon.co.jp/dp/4753102513
ヒエラルキーのない全く新しい昨今のNGO組織の意思決定と国家以前の未開共同体との類似性をみながら、〈暴力機械〉を迂回してゆく可能性を論じる。
VOLのシンポジウムでは萱野さんとグレーバーの国家に対する強度差があって面白かった。
同一性原理を回避する、多元主義的な多様性を持った共同体にしか戦争をしない選択はない。
そこからは「何も共有しない共同体」論が先端。参考↓同じくVOL編集委員の田崎さんの解説
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/omth2/biblio/democrat.htm
- Intellipunk
- By intellipunk / Jan 11, 2007 5:17 am
アソコのポジショニング問題
いきなり不謹慎なことを書いちゃいますが、芸能人の訃報というものは、退屈な日常生活にサプライズをもたらすエンターテイメントだと思ってます。芸能に携わるということは死までも見世物にすることではないか、と。葬式は彼ら/彼女らの最後のショーであり、テレビを通じて、一大スペクタクルとしてお茶の間に届けられるわけです。勝新の葬式のワイドショー映像、誰か持ってない?
丹波哲郎や岸田今日子の死がボクたちにとってショックなのは「大霊界」や「ムーミン」といったかたちで幼少時代に刷り込まれ、自分のイメージの中に入り込んだ何かを失ったことがショックなのであり、要は自分が想像以上に年齢を重ねてしまったことに対する驚きでしかないのです。
しかし、訃報で久々にヘコむ気分を味わいました。カンニング中島の死は、全盛期の虎ノ門を観ていたテレビっ子のボクにとっては、知人の死のように、フツーに(=とても)ショックなわけです。中島の死は葬儀のスペクタクルを生み出さないし、誰のノスタルジアも刺激しません。芸能人としては無駄死にです。まったく無念でなりません。
相方の竹山は、これから「かわいそうな人」というカテゴリーに分類されてしまうでしょう。これは汚れ系コメディアンにとってはタレント生命にかかわる大危機です。コメディアンにとっては、味方(ファン)と敵(逆ベクトルのファン)の視線のみが重要なのです。同情の眼差しほどキツいものはありません。竹山は、これを振り払うために、タレント生命をかけて相方の死をネタにする可能性がなくもありません。あるいはタレント生命を自ら絶つかもしれません。あんがい何事もなかったようにタレント活動を続けているかもしれません。今後の竹山の動向に注目です。
で、やっと本題なのですが青島幸男が死にました。ボクが嫉妬心で呪い殺したのかと思いました。ボクは青島幸男を妄想の中でライバル視していました。彼の芸風が好きなわけじゃありません。都知事としての仕事は全く知りません。ただ彼のポジショニングのみに嫉妬していたのです。
高度経済成長絶頂期に、サラリーマン経験もないくせに「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」と作詞して『ニッポン無責任時代』を演出した立役者が彼なのです。スーダラの思想家なのです。スーダラスタファリズムにとっては、ラスタファリズムにおけるマーカス・ガーヴェイのような存在なわけです。
スーダラとか無責任男とか聞くと植木等のことを連想しがちですが、彼はいたって真面目な性格だったらしいです。青島幸男が作詞した『スーダラ節』の歌詞の不真面目さに悩んだあげく、郷里の父に相談したくらいです。有名な話ですが、浄土真宗の僧侶である父は、その歌の歌詞を聞いて、「この歌詞には浄土真宗の教えがある」と言ったそうです。そして「スーダラ節」が生まれ、「スーダラスタ節」が生まれました。スーダラスタファリズムの思想的側面に影響を与えたのが青島幸男だとすると、情動的な側面に影響を与えたのが、植木等の父、植木徹誠だったのです。
青島のポジショニングのうまさの話をしようと思ったのですが脱線ついでに植木徹誠のいいエピソードを記しておきましょう。
世の中の戦争熱が高まっている頃、招集令状を持って壇家の人が挨拶にやって来た時、徹誠はこう言ってのけました。
「戦争というものは集団殺人だ。卑怯といわれても生き帰って来い。そして、なるべく相手も殺すな。」
今なら誰でも言えますが、あの時代にこんな言葉が言えるなんておったまげたものです。もう感動して、青島幸男のポジショニング問題はどーでもよくなりました。もう書くの疲れたし。
が、本題を書かないで終わる日記も寂しいので、簡単に要約しておきます。
クレイジー・キャッツ期における青島幸男のポジションはものすごくおいしい。あの位置にあこがれる。平成の無責任男こと、高田順次のあのポジションも同様にものすごくおいしい。あのポジションはただ待っていても獲得できない。楽勝に見えて、実は、かなり複雑な力に関する交渉事が必要とされる。それは密かに水面下で進行する。日々、ちょっとずつズラしていく。その結果があのポジションなのだ。
ボクの職場でのポジションもいい感じです。なんと今年の仕事納めは明日!怒涛の18連休です。同僚はもっと年末まで働いているんだけどね。これは単にボクの境遇がラッキーなのではなく、日々の地味な交渉術のなせる高度な技(アート)なのです。楽するためなら努力しますよ。
こんないいかげんな発言が周囲に許されるようになれば、そのポジショニングは大成功です。いい加減です。ボクはまだまだですねー。
↓
高田純次 発言集1000選
- HarpoBucho
- By harpobucho / Dec 21, 2006 4:21 am
サンタ
先日、地下鉄車中で5つぐらいの女の子とそのお母さんの話を聞いてしまいました。
女の子「サンタさんは本当はどうやってくるの?」
お母さん「ソリに乗ってくるんだよ」
女の子「ソリに乗ってくるの? サンタさんって人間?」
お母さん「サンタさんは人間だよ」
女の子「本物の人間がくるの?」
その後はお母さんが、プレゼントの方向へ話を逸らしました。
これは、その女の子の中でサンタクロースという存在の初めての疑問が生まれた瞬間でした。もしかしたらお母さんのいっている世界の説明は間違っているのではないかしら、とどこかで思ったのではないでしょうか。
これがサヨクの考え方です。世界が在るという状態を整合性をもって認識するということを、どう解釈するのかべきかできるのか。哲学的には認識論、もしくは存在論そしてフッサール現象学的思考です。う~ん、というかこれに関わらない哲学は哲学ではありませんね。それが今でも命題ですし、その哲学的な考えを現実に世界に引き戻すのがサヨクです。理不尽なことがあるなら、その問題を解決して世界を円滑に理解したい、という思考です。根拠のない世界のことわりを許しがたいという態度です。ですからそれらの哲学的思考がないのはサヨクではありません。
ってなヨタ話はおいといて告知。
「ヒップホップ塾 Lesson One」
@素人の乱 セピア
12月9日(土)start18:00
http://mixi.jp/view_event.pl?id=12732261&comment_count=10&comm_id=1210472
高円寺北中通り商店街にある飲み屋〈素人の乱・セピア〉にて、「ヒップホップ塾 Lesson One」を開塾!!豪華講師陣集結!!!!
上記パーティのフライヤー作りました。Bling-Blingなのを試してみました如何でしょう。
楽しそうなイベントなんで皆さん来るべし!
- Intellipunk
- By intellipunk / Dec 03, 2006 5:24 pm
GUCCIから飛び出してきたナマハゲを取り囲む公安警察官をロリィタメイドがヴィデオ撮影する@表参道
もはや何が言いたいのかわからないのだが、もともと言いたいことなんかあっても大して伝わらないのだから、適当に誤魔化してウヤムヤなことをやるよりは、思いっきり外側と内側をかき回して楽しむ方が生真面目にやって落ち込むよりは100倍マシってことに、ようやくみんな気が付き始めたのだった。サウンドデモが始まってからまだ数年だが、高円寺で生まれた滅茶苦茶な、だけど決して投げやりでも諦めでもない、むしろ確信犯的な悪戯心ってやつの新鮮で猥雑で堪えられない空気が、渋谷へと伝播し、ほんの少しズレつつ、以前の生真面目さをちょろっと引きずりながら、それでも、笑いと諧謔とハプニングで路上を満たし、僕達は爽快な足取りで空間をジャックしつつある。
時は満ちた。円は一瞬だけ閉じ、そして掻き消える。
表参道に入りかかったサウンドカーからはペペ長谷川氏のめちゃくちゃな前口上が始まっていた。曰く「日本の伝統行事ナハマゲが、今日、ここに降臨する!!」だとか、「貧乏人を搾取するネオリベはいねえがぁ、フリーターをいじめる悪い資本主義はいねえがぁ。」だとか。クリスマスを予感させるイルミネーションに飾られた木々や人通りが静かに舞い降りてきた闇の中に浸り輝き、そっと忍び寄った夕凍みが、光や歓語や夕餉の匂いなんかを引き立てるような時。デモ隊は表参道に雪崩れ込んでいった。そんな奇妙な一群が警察の先導者に導かれ、ピカピカの表参道に入っていくのはどことなくパレードのようにも見えた。
そういった意味でものめずらしげに通行人やらハイソなビルから僕らを見下ろしていた人々は、一体これはなんなのだろう?と、ニコニコしながら観ていた。そんな中、いきなり、ペペさんの「アーーーー!!ナマハゲだ!!キター!!!」の一言で表参道のGUCCIから飛び出してきた二体のナマハゲが包丁を振りかざして車道や歩道を見境無く走り回ると、もう、公安警察も制服警官も真っ青になって、リアル鬼ごっこが始まったのだった。そしてそれを撮影するロリィタメイドさん。アガる音楽に、デモ隊。歩道からはいつにもまして携帯で撮られる撮られる。走り回る鬼を追いかけて取り囲んだ公安警察官とナマハゲがもみ合い、怒鳴りあい、問答になるが、もはやその光景はシュールの一言。観ている誰もが笑顔を絶やさない。特に、公安警察官はフツー?の親父の格好(チノパン、もしくはケミカルジーンズにチェックのシャツにベストに野球帽)なので、そんないい親父が5人も6人もナマハゲを囲み、説教している光景自体が普通の通行人には異常なものだ。(おそらく、公安警察の存在さえ知らないのだろう。そして、だからこそこの光景が面白いのだ)
スペクタクルな勝利を僕らは勝ち取りつつある。
ちなみに、以前の高円寺家賃廃止サウンドデモでも登場し、大盛況だった路上居間も今回のデモで登場したのだが、残念なことに警察官の弾圧によって人が乗れなかった。高円寺では乗れたにも関わらず・・・・ それだけは残念だった。さて。高円寺では最後に神輿が合流するというハプニングがあって、今回はナマハゲだった。伝統行事というか、お祭ネタのハプニングデモが流行り出しているというのは、「デモ=祝祭」であり、「蕩尽」であるというバタイユ論を援用しているRLLとしてはますますサウンドデモから目が離せない。逃亡の想像力がサウンドデモを通してどこまで広がっていくのか?その答えはこれからのサウンドデモのデザインをどこまで快楽に結び付けていくことが可能か?という問いにあると思う。音楽やパフォーマンス、ファッション、メディアの路上実験として、サウンドデモがもっとめちゃくちゃになってくれればいい。
PS 今回は前日に買った機材を使用したために、2回も音を止めてしまったのが本当に無念。やっぱ緊張したらダメだねえ。ほんと。
あと、12月3日にもあるらしい。サウンデモパレードって何だよ!!デモかパレードかどっちかにしてほしい。主体は・・・
http://www.kyokiren.net/_info/profile
小森陽一や高橋哲哉。リベラル左派ですな。個人的にはクラブ活動で体育館や教室をクラブに!!運動場をレイヴに!!にして欲しい。これはめちゃくちゃな提言ではなく、初期ヒップホップが生まれたのは学校の運動場で勝手にDJブースを出して皿を回してた黒人達なんだから、運動場でパーティーするのはクラブカルチャーでは正統派だ!!
▲▼▲▼サウンドデモパレード詳細▲▼▲▼
♪【日時】12月3日(日)
12:50~13:00 オープニング☆
13時~14時 パレード
14時~15時 駅前宣伝
♪【場所】宮下公園出発→渋谷1周パレード→宮下公園着
その後、渋谷駅駅前で街頭宣伝
♪【参加対象】40歳くらいまでの若い人、及び気持ちが若い人。
♪≪サウンドデモパレードとは≫・・・車の荷台にDJと音響機材を乗せて
音楽を流しながら、その後ろを歩くデモパレードのことです。
心地よい音楽に身をゆだねて、街を歩くのは楽しいですよ。
♪ 【その他】
着ぐるみ、変装大歓迎!
楽器、鳴り物、もちろんOK!
派手におしゃれに表現しましょう!
街を歩く人に届くようなメッセージをプラカードにして
持ってくると、アピール効果大です!
【問合せ先】
<問い合わせ先>教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会
〒113-0033 東京都文京区本郷5-19-6坪井法律事務所内
Tel&Fax 03-3812-5510(平日午後2時~5時半以外は留守電の場合あり)
メールinfo@kyokiren.net
<ホームページ>
http://www.kyokiren.net/
- ∞+∞=∞
- By ∞+∞=∞ / Nov 28, 2006 6:08 pm
ぞろ目の指向と偶然の思考と混沌の嗜好
hiphopをいかに聴いて解釈するか。
匿名性と快楽性のエレクトロニカやハウスの様に聴くか、大時代ロックや大文字のジャズの様に聴くかは重要だ。
物語では読めない音響の叙事、徹底したトラック主義か。それとも実存の張り付いた叙情、主人公の独白としてか。
計算され計画された精巧なデザインか、狂気をはらむ真実である私小説か。
また、例えば越路吹雪や美空ひばりや勝新太郎の様な芸能や演芸、つまりネタのあるエンターテイメントとしてとらえるか。それともアートやジャズやシネフィル映画や大時代ロックの様に、人間の世界の芸術概念の新しい提出と更新という歴史的意味を持つベタと捉えるか。
音の意図か音の意味か。
どのようにして撮るかがカメラマン。何を何故撮るかがフォトグラファー。さてラッパーはどうか、トラックメイカーはどうか。聴くものと作るものの意図はどうズレているのか?
とかを考えると、ロックはある時代の流れに乗って生成して衰退したんだとわかる。
50年代[芸能(叙事)]→60年代[芸術(叙情)]→70年代[芸術(叙事)]→80年代[芸能(叙情)]→解体
と。ひとりでくだらなく考えていたりします。
ドゥルーズ曰く差異を見つめて概念を創出することが哲学の仕事らしい。んじゃ哲学的な妄想は好きなんだな。
RLLのハーポ部長が駄ジャレ好きで、似ている所を見つけたり、無理矢理似せて結び付けたりして考えるタイプで面白い。僕は区切りを付けたり、系譜や流れの道筋をたどったり、それによる物のジャッジをしたりする裁きのタイプだから。真逆の思考を絡めて物を作っているので、表現の幅があってRLLには可能性感じる。
例えば、ひとりで区切りを妄想。
餡トーストはご飯か? おはぎはお菓子か? ホットケーキは?
ダンスとスポーツの境界はどこに? フィギアスケート/シンクロナイズドスイミング/新体操は? そしてそれぞれのジャンルのダンサーの境界範囲は?
近代とはどこからか? 18世紀後半のフランス革命とナポレオン? 18世紀のイギリスの産業革命? 17世紀オランダ海上帝国の株式資本? 17世紀の神聖ローマ帝国衰退とウェストファリア体制? 16世紀ドイツのプロテスタンティズム? 15世紀イタリアのルネサンスと金融? 15世紀スペインのレコンキスタ(イスラム再征服運動)と異端審問? それとも15世紀ポルトガルの大航海時代?
いやそれは順序があるのかな。レコンキスタでユダヤ人がヴェネチアへ行き、そこで金融が栄えルネサンスが開き、大航海時代で文化が混ぜ返され、ギリシアローマ文化の復興から印刷が発明され宗教改革が興り、三十年戦争で主権国家体制を作った西欧に文化の中心が移り、政治と宗教が分かれ、東インド会社貿易で株式からブルジョアが生まれ、国民国家の市民革命と産業革命が帰結される、と。
中世から合理主義と啓蒙主義と人文主義と国民国家と資本主義と民主主義が順次弾け飛んだわけだ…近代は歴史の流れの中の偶有性の帰結か。で、その先は…
- Intellipunk
- By intellipunk / Nov 26, 2006 5:06 am
存在論的、RLL化するポストモダン
大澤真幸 東浩紀「自由を考える—9・11以降の現代思想」 読了
http://www.amazon.co.jp/dp/product/4140019670/
現代はポストモダンへ移り、対応して権力概念も変容。
ただし二項対立的弁証法的な形而上の区切りではなく繋がっている
様々な実証を交え思想を現在のアクチュアリティにつないでゆく
以下大ザッパに図式化してみる(小さな論過は見逃して)。
人間→動物化
大きな物語→データベース、島宇宙化と情報管理化
第三者の審級→第三者の審級の撤退
神・ビッグブラザー→管理のネットワーク、セキュリティー上昇
規律訓練型権力→環境管理型権力
価値観の共有→価値観の共存
キセルする自由個人で音楽を聴く自由匿名の自由→OA化セキュリティー化ユビキタス化iD化著作権化DM化
虚構の時代→動物の時代
大儀→動機の不透明さ
ビオス(政治的身体)の「生の形式」→ゾーエー(生物的身体)の乖離と管理
ドゥボール。スペクタクル化
アウシュビッツとポストモダニズムの近似性。スペクタクルの有無。
アガンベン。例外状態の全面化(アウシュビッツ・阪神淡路震災の残りの者)ホモ・サケル
フーコー。生権力と生政治
ヴァーチャルな政治的身体→ムーゼルマン剥き出しの生
ハーパマス。レジシマティー正統性の危機
デリダ。固有性→確率的状態、交換可能性
スターリニズムとポストモダニズムの近似性。固有性→偶然性=偶有性
セキュリティ化した権力は偶有性を奪う権力
ヘーゲル。理知の狡知
社会全体を覆う共感→シミュラークルな共感(交換可能性の低下)
個人の偶有性の領域を持つ大きな物語→個人の認証管理
「超越」した抽象身体→原身体性
アーレント。人間の条件アクション(活動)→ワーク(制作・仕事)→レイバー(労働)
コミュニケーション=アクション(活動)→2ちゃんコミュニケーション=動物化
ジジュク。9.11は象徴界が現実に侵入されたというイメージが侵入した
ベンヤミン。カフカの「掟の門」の解釈
「聖書のない状態」→「聖書」→「聖書の読めない状態」
コジューブ。ヘーゲル的人間→アメリカ型動物化家畜化
不純な愛から純愛への昇華崇高化→純愛と性欲処理の共存
ロールズの「普遍」のモダニズム→ローティのポストモダンなシニシズム
哲学者文芸批評家、加藤典洋竹田青嗣→社会学者、橋爪大三郎宮台真司
レッシング。法・規範→市場・アーキテクチャ(ゾーンニング/フィルタリング)
著作権の肥大とコモンズ
ベック。リスク社会
バーリン。積極的自由→消極的自由のフィルタリング
エンデ。自由の牢獄
酒井隆史。「匿名」の自由→排除のメカニズム
アーレントのいう人間の活動の区分に対応する権力の変容。権力は従来の政治活動であるアクションにかかるのではなく、レイバー/ワークに作用する。
アーレントの三層構造の崩壊。消費=労働の固有化記名化
権力の、内面的イデオロギー管理→群れの効率的管理=家畜化
警察国家等古典的権力観→ディズニーランド・マクドナルド・ウィンドウズ化
フクヤマ。ヘーゲル哲学「人間性」→「歴史の終わり」バイオテクノロジー(プロザック)で人間の本質の変容
平等選挙思想→イシューの利害調整
デカルト「コギト」→ロールズ「無知のヴェール」
匿名の自由→多重人格的、記述主義的還元、データの固有性の上昇
柄谷。単独性→特殊性
「誤配可能性」の低下、運命やヨブ的神のきまぐれ超越性の消滅
多数意見の偶然の正しさ→多文化主義的多様性
キャラ化確定記述の固有性
広義の資本主義的必然の運動
デリダ。ハイデガーの人間「世界を作る」現存在/石「世界がない」存在者という西洋哲学→世俗化動物化「世界が貧しい」
ハイデガー。ゾルゲ→ダス・マン
スピヴァク。西欧→オリエンタル、サバルタン
ネグリ。プロレタリアート→マルチチュード
帝国主義→〈帝国〉
ドゥルーズ=ガタリ。モル的状態/モレキュレールの逃走線→数学的カオスの秩序
ハッカー。ウェーバー「プロテスタンティズムの精神」→ドーヴァルズ「それがぼくには楽しかったから」
批評される文化→身体的快楽の技芸
自然な選択肢を抑えることで現れる自由の感覚(ネガティブな発見)→自由が奪われている感覚自体を奪う(「無」の奪われ)
冷戦構造の思想・文学→ポスト冷戦のエンターテイメント
確定記述に固有名、特殊性に単独性、石に現存在→「anyoneの思考」、民主主義の「偶有性へのポテンシャル」
愛とは個人への特定の性質への愛ではないはずだ。真の愛とは偶有性への愛だろう。
単一他者への愛や共感が普遍的な愛や共感と矛盾しない方向がある。
これはバトラーの戦略、本質主義→構築主義にもかかってくるだろう。
マッケンジー・ワーク「ハッカー宣言」も「快楽」という同様の出口を提出している。民主主義の進化と「愛」で締めるのはネグリ=ハート「マルチチュード」と同じ。しかし彼らの議論に欠けているのはグローバリズムであったりキャピタリズムだったり黒人文化そして音楽と快楽だったりする。そのあたりは[VOL]界隈の言葉が進んでいる。
そういえば「RLLは政治でアガる人たち?!」と野田努に驚かれた、どうやらニュースクールらしい。確かに従来の人間的正義感(大きな物語)から現れる政治主体(左翼)の枠組みからRLL外れている。今までの彼らは労働者階級をまだ信じているし政治は大文字だし、この本を理解出来なかったりするだろう。RLLはそうしたものと関係ない楽しいことの為に小文字の政治を文化として享受している。「着る思想」ってヘーゲルに怒られそうなコンセプトだしね。あと密かに妄想するRLLの左翼再生プロジェクトとは楽しさに目覚めさせること。
RLLは正義の政治ではなく、政治の悦楽(JOY)へ視線は移っている。快楽的抵抗の「文化=政治」として黒人文化や陶酔文化や聖社会学を接種している。全ての文化から政治を読みとることを〈悦〉とする。ネグリの生政治とは、アガンベンのストレートな読みとは逆に、フーコーの生権力を反転させ生命賛歌にした。そこにB感覚でアガるRLLの戦略がある。RLLがサウンドデモに見るのはその「B感覚」からだ。プロザックを怖がるフランシス・フクヤマは、セカンド・サマー・オブ・ラブを知らない。あとJOYを知らないダサい社会学者が多くって困る。本当のポストコロニアル研究ってこうゆうことだと勝手に思ってるんだけれど。
以下はメーデーサウンドデモのDJ逮捕の時の僕らRLLの支援メッセージ。
「弾圧者たちは、踊るという快楽行為がリアル・ポリティクスとつながることを、警戒し恐怖している。Bio-politics感覚に酔いしれるサウンド・デモという新世代の快楽を前提にした祝祭=意志表明が、権力者にとって緊急な弾圧対象に思えたということだ。大きい音楽でこころ踊る楽しさ、連帯しながらそれぞれに路上を跳ねる喜び、メッセージ以上にノリを大事にするスタイル、政治を音楽を通して体現できる気軽さ、そしてそれらによって普通の若い人が新しい自由に開かれることを、懸念し恐れ予防しようという意図があったのだ。
だからこそ、僕らはこれからも抵抗として踊り続けなければならない。踊れないファシストに抵抗するために、自由と喜びのために踊るのだ。
逮捕拉致監禁された仲間を解放させよう。また一緒に踊るために。」
この本と無関係に書いたこのメッセージは、911以後の世界を(もっとも1999世界と読み替えたいが)反映していると考えている。
「自由を考える—9・11以降の現代思想」は特段新しい事を、僕らRLLには提示してはいない。ドゥルーズやネグリやファノンやフーコーやギルロイやグレーバーや平岡正明で思考していたRLLだけれど、しかし現状認識としてそれほど離れた場所には居ないこともわかった。とりあえず今まで通りでいいらしいな。
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- By intellipunk / Nov 22, 2006 5:29 pm
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