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フジロックにいます!

嘘です。職場にいます。冷房が復活したので快適です。

しかし、この3日間で見かけたメンツが濃すぎる。ボクの日常生活は何かのフェスなのではないかと錯覚するほどに。フジロックにリー・ペリーが出たときに、「俺の人生がフェスティバルだ」と言ってたっけ。

ストレンジャー・コール、平岡正明、菊地成孔、康芳夫!、秋山祐徳太子、マイク・モラスキー、梁石日!、上杉清文、末井昭・・・・・いったいいつの時代だ!(菊地とマイクは今の人か、いや、平岡さんとかも現役なわけだけども・・・・・むにゃむにゃ)

ストレンジャー・コールのライヴがかなり良かった。正直、期待していなかっただけにこれはうれしい。プリンス・バスター以来のスカでウキウキ。真っ赤なシャツとネクタイに真っ白いスーツ姿のスレンダーなおじいちゃん。$マークの派手な帽子が、日本にマネー稼ぎにきたぜ!って自分の存在を笑い飛ばしてるかのようで粋。ダンスもかっこいい。歌ってるときの表情が素敵。

平岡×菊地対談は、某音楽雑誌編集長が言うように、持ちつ持たれつの八百長プロレスなわけだが、ボクはガチンコ格闘技よりも昭和プロレスが好きなわけで。菊地さんのトーク術が、馬場社長を相手にするときの実力派若手レスラーのようで、トーク内容よりもコミュニケーション形式を楽しんだ。んで、観客が前述したとおりのコワイ?メンツで、何気に後を振り向いたら、上杉清文さんがいたのはビックリした。

フェスのトリはデニス・ボーヴェル。今夜、新宿OPENの20周年記念でセレクターやるみたい。


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  • By harpobucho / Jul 28, 2007 3:29 am

ある、一人の、女の子の壊れ方について

ブリトニー・スピアーズが、『OK!』誌のインタビュー中に奇行を連発。同誌の編集者によると、取材スタッフが“呆れて悲しくなる”ほどの状況だったという。ブリトニーは取材中、愛犬のヨークシャーテリアにデザイナーズ・ブランドのドレスの上で排便をさせたり、高価な衣装を身につけたまま姿を消したりと、まさにやりたい放題。このとき撮影した写真は“掲載基準に満たない”との理由でお蔵入りが決定したという。また、撮影中も“わけのわからないことをペチャクチャとしゃべったり、赤ちゃん言葉で話したり”していたそうだ。『OK!』誌の編集長は「これまで立ち会った中でも、間違いなく一番奇妙な撮影現場だった」とコメント。高価なデザイナーズ・ドレスをまるで“紙ナプキン”のように扱うブリトニーに、スタイリストが悲鳴をあげる場面もあったようだ。さらに、扉を開けっ放しにしたままトイレに何度も足を運んだり、衣装が「セクシーじゃない」「丈が長い」などと繰り返し文句をつけることも。そして取材開始から約3時間後、撮影も終わらないうちに借り物の衣装を着たままその場から立ち去ってしまったという。関係者も「目がイってたし、話していることもムチャクチャだった。食べたものをグッチのドレスの上に吐いていたしさ。完全にイカレてるって感じだったよ」と証言している。もはやマスコミすら手を上げるほどに壊れてしまったブリトニー。はたして今後、彼女が正気に戻る日は来るのだろうか…!?



以上、ミクシニュースより引用。





 確か岡崎京子だったと思う。一人の資本主義化に生きる女の子の壊れていくこと、その、壊れ方を描いていくことが自分のマンガの作風というか、テーマだ、と、いうようなことをしゃべっていたような気がする。例えば「PINK」なんかだとマンガ連載時にはハッピーエンドで終わっていたのに、単行本になったときは一話分余分に話が付け加えられ、悲惨なラストで終わるように変更された。(「PINK」は直接主人公の崩壊が描かれるわけではないが、その予兆がたっぷりと描かれ、その崩壊のニュースを知ることの無い女の子の描写で終わる。だけど、崩壊はすでに始まっていることは、一人一人の読者が想像で埋めるよう強制されている。それはそれで悲惨なラストだ)





 「PINK」だけではなくて、「私はあなたのおもちゃなの」とか、「ヘルタースケルター」のように、彼女の物語に出てくる女の子は欲望に囚われ、暴走し、精神や身体をすり減らし、ボロボロになっていく。それが作者の意図として運命付けられていることを知りつつ、薄氷を踏むような思いで彼女のマンガを読んでいくことは、一種の、ホラーを読むような感じだ。





 アイドルとしての、文字通りそのまま、偶像や記号、イメージとしての付加価値を持った女の子の、イメージそれ自体の価値が、株価や為替のように乱高下していく。それはいくつもの事件やメディアや、複雑な要素が絡まりあい、そのやり取りの中でイメージの価値は漂い、浮き沈みする。「崩壊」というそのままのタイトルの小説を書いたフィッツジェラルドは、第一次大戦後のアメリカの黄金時代に、その株価と供に頂点にあった自分の名声と世界に耐え切れなくなって、タクシーの中で号泣する。自分はもうこれ以上上がることができないのだ、と。そしてブラックマンデーが訪れ、アメリカの短い夢は終わる。「バビロン再訪」の世界がやってくる。村上春樹がフィッツジェラルドで一番好きな小説だ。











続報。

http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=269235&media_id=15



[eiga.com 音楽ニュース] 去る7月26日、ブリトニー・スピアーズがラスベガスのリゾートスパから出てきたところ、張り込みをしていたパパラッチ2人に撮影されて怒り心頭。哺乳瓶を投げつけ、「殺してやる」と怒鳴りつけた。 当時ブリトニーは、息子2人とボディガードを伴っており、パパラッチの証言によると、ボディーガードの1人がパパラッチ1人の動きを封じるため体を壁に押さえつけたという。また、残りのパパラッチも、同じボディーガードに投げ飛ばされ、警備員が止めに入るまで殴る蹴るの暴行を受けたとか。その際、ブリトニーは壁に押さえつけられたカメラマンに向かって、哺乳瓶を叩きつけながら「殺してやる!」と脅したとのこと。 この件で、パパラッチ2人はブリトニーを訴える構えをみせているが、ブリトニーの弁護団からは何のコメントも発表されていない。



啓蒙問題

某音楽家のシークレットでアンダーグラウンドな勉強会っつうか学習会に潜り込んできた。
彼/彼女のスタンスは、ここでのことをネットで口外しないように、というものなので、それを尊重しながら慎重に。そのスタンスは、非先進国の非エリートの言葉が価値観が遡上しないすることがない、インターネットの言説空間の欺瞞を刺すに十分な、サバルタン問題とメジャー・ミュージシャンのパパラッチ問題を加味したもので、納得がいく。

音楽家は、既に某学会誌に『○○○!』という文章を発表しているので、今回の中身もそれに準じた形で、反グローバリズムについて。その文章は、童話に似せたスタイルのフィクションで、個人的には『茶色の朝』に非常によく似ている様に考えていた。「茶色」のかわりに「灰色」を用い、その金と権力に象徴される世界に虹色の世界の善性が対峙する、というもの。
僕は「寓話」というものが、非常に苦手だ(そして比喩表現も)。それは改めてどこかで説明したい。とにかく寓話は、高度の抽象性を持つので非常に危うい。ボルヘスやハイナー・ミュラーやべケットぐらいの視線を保持し、神ではなく流れの中の作家として、「寓話」を作品として見せられるほど、『○○○!』が卓越したものではない、のが不満であった。ひとことで云えば稚拙であり、それはミュージシャンでありながら英米文学科で言葉の人であった彼 /彼女への期待の裏返しでもあったのだが。

しかし今回は、そのテクストではなく、映像を使っていた。パートナーの白人の撮影・編集・翻訳・監督した映像を上映しながら、二人で日本語/英語で『○○○!』の同一の世界観のテクストを朗読しながらも、ギターに似た楽器を伴奏するというもの。映画を解体/再構成した一つのアートフォームとして成功していて、ブレヒト的な教育劇の効用を発揮していた。それはもちろん有名ミュージシャンが啓蒙する、というスタイルの異化効果が大きいのだろうが。


その映像はメヒコ(メキシコ)のオアハカからはじまった。以前のこの僕の日記にも書かれているオアハカの運動と弾圧のことを、現地で撮影してきた映像だ。州知事の権力腐敗とオアハカ州教職員組合を守るために、お母さんお父さんたちがその友愛を前提に立ち上がり、警察と機動隊の組織暴力と対峙した様子を、民主主義と友愛の共同体を見つめる視線で活写。ファンキーなデモと直接行動は、悦びを政治から引きはがさない素晴らしい絵だった。その後、今日も警察の弾圧で何人かが殺されたことをミュージシャンは語る。
これを知る映像はたくさんある
しかし、視聴者はあまりに違う日本との接続に戸惑いを隠せないようでもあった。
そしてメキシコシティー。昨年の大統領選での左派大統領候補陣の勝利が、メディア資本と結託したファシスト大統領によって誤魔化され騙され逆転されたことを、一般市民の目から映す。明らかに不正があったことをチョムスキー的なやりかたで描き、証券取引所の「灰色」の男達を盗み撮り。もちろんカメラはマルコス副司令官も追いかけた。
サパティスタの行動を初めて知る、聴衆。お洒落裏原系/渋谷系のセレブなデザイナーやアーチストやミュージシャン達。その違和感に異化効果を感じてしまった。

そしてパナマ。「灰色」の思惑であるパナマ運河拡張をめぐる吐き気のするバビロン支配を、現地のやるせない目線でグローバリズムの負を映す。日本製品や中国製品が運河を渡り、その過程で中継地点のパナマを汚染してゆく。収奪の現場を、化粧をしない資本主義の残酷さを、その上の豊かさを書く。経済開発主義は決して人を豊かにはしない。

それから、ベネズエラへ。底辺労働者階級のおばさんにくっついてドキュメント、猪木的大統領チャベスへの親愛を引き出す。テレビのチャベス生放送番組に突っ込みを入れるおばちゃん。彼の施行した再分配に感謝するおばちゃん。クーデターのときのチャベスへの信頼行動を回想して「愛している」と言葉する。大きな政治が小さな政治と接続されているのが驚きであり、チャベスの笑かすギャグにベネズエラ国民が浜ちゃんみたいに総突っ込みするのも発見。チャベスを独裁者だと報するニューヨークタイムスを手にし、「灰色」の手先と喝破する某音楽家、それを証明する一級映像。

次はボリビア、原住民出身モラレス大統領登場。元々の持ち主であるインディオに、大地主制度を解体し分け与える政治的祝祭を活写。そして伝統的なカラフルなインディオの模様を生地屋のおばさんに聞く。その後、モラレスの元に中南米の大統領たちが集まったサミット、アメリカが絶対に報道しない不都合な真実的会議を映す。ボリビア副大統領は元テロリストというレッテルの運動家で、ファンキーでウキウキで歌を歌い、モラレス大統領はコカの葉を食べる。アメリカのイデオロギー洗脳の下で絶対に流れないそれらは、映像としてかなり貴重だ。
しかし『闘争の最小回路』で状況を知っていたので、すんなり理解は出来たのだが、初対面したアメリカ的見方しかしてこなかった日本の豊かな視聴者は何を思ったのか。

最後は、錫の鉱山。グローバリゼーションの大きな負。汚染された土地。人が使い捨てられる鉱山。レアメタルは携帯電話やパソコンに不可欠であり、それへの大規模金融投機がおこっているが、実際は経済的奴隷制を強化している。参考はこれ→『グローバル経済と現代奴隷制』最後は坑道を守る悪魔(的な地元の神様)を見るため地下800メートルまで降りて撮影。


とりあえず、映像が寓話をふっ飛ばす力があった。つまり寓話は、日本の豊かなマトリックスに住む凡人には、想像力の架け橋になっているのだろう。そして生の朗読と生ライブは異化効果として、作品鑑賞を阻害する。ネットやDVDにパッケージするには向かない、真実を伝えるには納得する表現形式だ。地味にシークレットでアンダーグラウンドでやるしかないことに、賛成する。だから、この文章は見逃してくれないかな。


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  • By intellipunk / Jul 21, 2007 4:30 pm

拾う紙あり

彦馬呂風にナチュラル・レゲエ@グラスルーツを表現するなら、「音の宝石箱や~」だろうか。アックスマンのセレクトはいつもスペシャルで、音に何か魔法がかけられているような気もしてくる。そして毎回レゲエの新しい聴き方に気付かされる。来月からは第2週目の金曜日に変更になるそう。これからは、その週の土曜日は午後出勤にしてもらおう、と心に誓いつつ後ろ髪(心のドレッドロックス)をひかれながらも労働のための睡眠という労働をしに4時前には帰る。

土曜日、眠さに耐えて朝から仕事。夜は下北沢へ。路上解放講座。とんでもない映画の上映会に感動して、終了後、気流舎でみんなとおしゃべり。来週の土曜日にボクらもイベントをやるんだけど、あまりに下北を知らな過ぎるってことで、下北通の方の案内で朝まで飲み明かしコースへ。

ネオリベ批判(新自由主義に対する批判じゃなくて「ネオリベ」という言葉を前提に物事を考えることの自己批判)の話から、夜が深まっていくにつれ、恋愛先進国フランスのゴールデン街系映画青年も加わって、恋バナに発展。政治から性事へ。性的保守、性的ラディカル、性的プログレッシヴなど、謎の言葉が飛び交う。

朝方、自転車で環七を走ってると夏目漱石が「おはようございます」と。千円札を拾いテンションがあがる。最近、路上と仲が良い。そーいえばブルームーン(月に満月が二回あるありえないことが起こる日)の明け方にミックスマスター・モリスのDJブースの下で五円玉を拾ったときもテンションあがったなー。リキッドルームだっただけに、モリスの顔が「えびす」さん(漫画家じゃなくてね)に見えてしょーがなかった。

今朝拾った千円で、今、蚕糸の森公園でやってるフリーマーケットであやしげなおじさんから水木しげる趣味の木彫りのお面を購入。これは、どこのお面ですか?と聞くと、軽い沈黙の後に、沖縄かどっかのじゃない、とテキトーな答え。かなりあやしい。ボクにはアフリカやどこかの先住民族のものに見える。ボクは身元不明のあやしいものが好きなので、そのわけのわからなさに満足である。でも、やっぱちゃんと知りたいという欲求もあるのでお面カルチャーに詳しい人はウチに来て鑑定して。


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  • By harpobucho / Jul 08, 2007 3:34 am

10年越しの恋、実る。

10年片想いの女の子に思い切ってコクったら、実は10年前からあたしも好きだったのと言われたときの感情とはこんなものだろうか。

勝新太郎と勝プロダクションに恋して10年。大きな歓びとともに、なんで今まで告白しなかったんだろうという後悔の念が大波になって押寄せている。出会えるチャンスは一年に一回程度。毎年、上野や浅草のハッテンバにコッソリ現れるあのコ。もう、捕まえた。一生離さないよ。瞼に焼き付けたから。いや焦げ付いたったって感じか。

仕事の出勤時間を18時という超重役出勤に変更してもらって、池袋新・文芸座に『顔役』を観にいく。いつもは自転車だが、雨が降りそうだったので電車に乗る。情報ジャンキーは、電車中の広告をチェックしないと気が済まない。シャブカルチャー雑誌『プレジデント』の見出しに思わず噴き出す。「人間付き合い革命」。わーmixi特集だー!「高生産人間 VS 低生産人間」。わーバトルだ!

まるで天下の人間様がロボットのような扱いだ。彼らから見ると、ボクらなんて低生産人間を量産することを企み、革命を阻止しようとする反動野郎に映ることだろう。いつから人間はこんな粗末な扱いを受けるようになったのだろう、っと湿気と人ゴミで深い不快な車内で考える。そんなとき「人間がいます。聖●新聞社の本」ってフレーズが目に飛び込む!こっちもニンゲン革命!あー電車に乗るのはこれだから嫌だ。漢字表記の革命って文字も嫌だ。電車というハコは、眠気と疲労で意識が朦朧としている通勤労働者にネオリベ/シャブリベ洗脳するための空間なんだな、と考えているうちと池袋に到着。「岡崎」のつけ麺を3年ぶりくらいにススリ、バビロン解放戦線のナカマといざ、新・文芸座。

この映画館は小学校のころの旧文芸座時代から知ってるハコだし、映画パンフレットマニアだったハーポ少年のお気に入りのハコだった。勝新のほうにも縁がある。麻薬取締法違反で逮捕されて銀幕の世界から離れた時期に立ち寄った、彼にとってもゆかりのハコだ。そのときのトークショーに立ち会えなかったことがこの恋を酷くこじらせた。

だが、今日、やっと会って交歓/交感した。それは鑑賞や視聴ではなく、圧倒的な体験だった。内的体験?無理をして前から二列目に座る。見辛い。でも、これが体験するためにはいい。現実世界もそう見やすくできていないからだ。

告白を前に急に緊張してきて便意を催しトイレに駆け込む。用をたしてる最中に始まりのブザーがなる。やばい!またチャンスを逃す!駆け足で戻ると、映画はすでに始まったおり、オープニングからカッコ良過ぎて、でも、暗くて自分の席が見つからなくて、スクリーンを見るべきか、座席を探すべきか迷い軽いパニックになる。無事、席に着くともう、目の前には顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔、顔といい顔のオンパレード。毛穴までくっきり。さすが顔役ってタイトルだけある。勝新の目から見える凄まじい世界を2時間たっぷり体験して、ボクらはすっかり消耗しきった。勝プロを携帯メールのアドレスにするほどの勝プロ好きと、勝プロに就職しようと考えたほどの勝プロ好き二人は、まるですごい体験をしたパーティの朝のような気分で感想を述べ合った。株式会社勝プロダクションは、プレジデント的世界観とは真逆な価値観<蕩尽>を示してくれる。倒産するための会社。やばいはずがない。マイッタ。

二本目、勅使河原アシッド宏の『燃えつきた地図』は、本当にさっきの映画で燃えつきたので後方に下がりチル気味に観る。前の映画の後遺症で話の筋が追えない。ただただハッとするシーンだけを追う。勝新と渥美清の正月映画スターの共演にハッとしたり、若い中村玉緒のお姫様のような美しさにハッとしたり、若い市原悦子の色気にハッとしたり、実兄若山富三郎の迫力にハッとしたり、40年前の新宿の風景にハッとしたり。

結論。この世には、洗脳するためのハコと解放するためハコがあるって話。どっちのほうで多くの時間を過ごすかで人生の豊かさが決まる。プレジデント的な世界観を目指すか、勝新的な世界観を目指すか。どっちも極端過ぎるんだけども。

あと、映画好きと一度でも公言したことがある人は、『顔役』チャンスあったら体験しといたほうがいいです。


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  • By harpobucho / Jun 27, 2007 3:39 am

ありえない景色

ありえない景色が好きだ。たまらなく。

いつもありえない景色を探して街を歩いたり、自転車を漕いだり。ここだけの話だが、ボクがデモに参加する理由は単にありえない景色にありつきたいだけであり、政治的なイデオロギーとはあまり関係なかったり、でもやっぱりあったり。秩序が崩れる光景を眺めるのが好きというなんちゃってアナキズム。

今日、遅めの通勤で青梅街道を自転車で走っていたら、新宿付近でありえない景色に出会った。それは出会いたくないありえない景色だった。イタリアンレストランの巨大な看板が落下し、女性がぺしゃんこになっていた。目を背けて、ペダルの回転をあげた。

渋谷では温泉施設が大爆発。テレビで観たが、まったくありえない景色だった。「あ~極楽、極楽」って湯に浸かったらドカーンと・・・・まったく洒落にならない。ボクは病的な洒落ストなんで、冗談や洒落にならないことが苦手でしょーがない。真面目に「ご冥福をお祈りします」と言うしかない。

そんなのはボクが好きな「ありえない景色」に認めないぞ。ヴィリリオが言うように、技術文明は常に新しい事故を発明するんだ。ひとつの技術の発明はひとつの事故の発明に等しいわけで、今日のふたつのありえない景色は全然ありえる景色ってわけだ。

23時歌舞伎町を自転車で走りながら帰路を急ぐ。が、このあたりは「ありえない景色」の宝庫なので、いつも自転車の速度を最低レベルまで落とす。今日も収穫あり。こーゆーのだよ、ボクが求めているのは。

完全にビキニ状態の褐色肌の美形ギャルがメイドの恰好をして歩いている。裸に近い露出ギャルだけど、なぜかコンセプトはメイド。それを見て、だらしなく寝転がっていたホームレスのおじさんがムクっと起き上がる。ギャルメイドとは反対側からは、力士が歩いてくる。有名なのか無名なのかわからないけど、巨体、髷、浴衣という完全な記号として人の目には映る。力士とくっついて歩いているのがなぜかアフリカ人。アメリカ人かもしれないけど、直感でアフリカ人。そのアフリカ人が物凄い勢いで力士に質問をあびせかけてる様子。ホームレスのおじさんの目を完全に奪ったギャルメイドと、その力士と黒人がすれ違った瞬間、なんと!

特に何も起こらなかったわけだけど、あの空気には何かビビっときたよ。

ありえない景色。
そこでしか吸えない空気。

「ありえない景色」ファンは注目!
下北沢路上解放戦線

RLLも何かやる予定。お楽しみに。


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  • By harpobucho / Jun 20, 2007 3:42 am

反グロ

反グロってっても、グロテスク嫌いじゃない、金融資本主義グローバリズムに反対ってことだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

はてなでもMixiでもG8というかアンチ・グローバリズム・ムーブメント(Global Justice Movement)についての知識が乏しすぎる日記ばかりね。日本だけ情報鎖国で、21世紀の〈文化=政治〉運動ってな価値観がなくってさ。未だに冷戦下 55年体制視野狭窄なので悲しいね。



これは、新しい価値観。国民国家下の右派左派の小競り合いではなく、グローバリズム下の新自由主義(akaシャブリベ)か「もう一つの世界は可能だ」か、という選択の時代だ。

G8や世界銀行やIMFやWTOや世界経済フォーラムが専制談合政治でワシントン・コンセンサスに従い、非民主的にエリートが全てを仕切ってゆくことに、世界社会フォーラムやattacや民主主義を信じる世界中の様々な人間が反対している。日本は中国と同様にこのムーブメントに乗り遅れた情報鎖国だ。


シアトル1999(反WTOに7万人!)やプラハ2000(反IMF・世銀2万人)、イタリアジェノバ2001(反G8に25万人!!)やメキシコカンクン2003(反WTOに1万)や香港2005反WTO、そしてスイスダボス会議に対抗して毎年行われるブラジルのポルトアレグレでの世界社会フォーラムや2003年イラク反戦の全世界200万人デモ。そして今回ドイツ反G8。確実に時代が動いている。




これは既に政治運動が文化運動になっている、21世紀的な特別なジャンルである。デカいパペットやコスプレやダンスが標準インストール。もちろん日本でもお馴染みのサウンドデモスタイルもあるしそれ以外の音楽や路上劇もある。なにしろ世界中の人間が集まるカーニバルである、フジロックなんて目じゃない興奮だろう。ブラック・ブロックが戦術だなんて最近知ったぞ!それでいてお洒落な若者の先鋭的な文化とアナーキーな政治的激しさを持ちながらヒエラルキーのない集団が動く。これらの新しいお洒落運動については毛利嘉孝著『文化=政治 グローバリゼーション時代の空間叛乱』(月曜社)に詳しい(必読!)。



とりあえず今やってるドイツハイリゲンダムの情報を連張り。チェック!



イルコモンズさんのブログからはたくさんのリンクが見られます。刮目して見よ!

さて来年の洞爺湖が楽しみである。


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  • By intellipunk / Jun 06, 2007 11:32 pm

一松ならこう言うね。

トリオフォー「上祐亭サイコ寄席」ほかいろいろ

根菜ズ「唯一僕が得意なスポーツ」(ライヴ音源)

トリオフォーと根菜ズの間にはこんないいエピソードがあるのをボクは知っている。トリオフォーのメンバーの結婚式に根菜ズがその日だけグループ名を「婚祭ズ」に変更し、ディスりの真逆なヒップホップマナーで新郎新婦を祝福したということを(事実誤認があったらゴメンなさい)。洒落ている。

石田一松ならこう言うね。

「洒落の上手な人は精神の統一性が足りない、とよくいはれる。成程、洒落をいふためには、現実の現象たる相手の会話の、内容、言語以外に、洒落れるべき、他の現実的または非現実な現象に、自己の注意力が飛躍し、妄想する必要があるので、洒落の上手な人のこの瞬間的な注意力の飛躍、妄想を捉えて、精神の統一がないとか、注意力が散漫であるとか結論づけられるらしい。しかしその反面において、洒落の上手な人は、相手の会話といふ現象の、内容或はそれ構成する言語を、注意深く、誰れよりも詳細に把握することの出来る人でなければならぬ。であるとするならば、洒落の上手な人が、精神の統一性を欠いているとか、注意力が散漫であるとかと、極論することは少々早計である。であるから、諸君も安心して洒落を大いに勉強して貰ひ度い。」

さらにこう言い放つね。

「ユーモアーを理解できない人種は、殆どといっていい程も邪心を持っている。金銭欲と物欲に、自分の思考の全部を支配されて仕舞って、洒落気の余裕のない、無味乾燥の人生を送っているのである。」

以上は、「のんき節」というキラーチューンでお馴染みの石田一松著『のんき哲学』より引用。

今、手元にある版は昭和22年発行のレア本で、序文を話芸の神様、徳川夢声が書いている。しかも一松本人のサイン入り。これはおそらくタレント本第一号だろう(吉田豪氏は掘っているだろうか?)。

なんで、そんなディープな本を掘っていたかというと、この前の「Cut’up労働歌」のイベントで、あえて添田唖蝉坊ネタをハズし(大熊ワタルさんの前だったので)、弟子の一松を取り上げるというヒネりっぷりを披露するため。そこからアクロバティックに高円寺駅前の石田(ECD)さんに繋げたわけだが、「Land of the Dead」を現代の切羽詰った「のんき節」として聴く感性もなかなかラジカルなんじゃないのか、と。まー、この前のイベントではまったくボクの妄想を伝え切れなかったんだけども。

一見『のんき哲学』はシャブリベ(ネオリベの次に流行る左翼用語)批判の書のようにみえるが、実は一松はヒロポン(覚醒剤の商品名)愛好家だったのだ。当時はまだ違法ではなく薬局で誰でも自由に買えたので、忙しい芸能人や徹夜勉強の受験生に人気があったらしい。

吉本興業所属のタレントであった一松はヒロポン液を一升瓶にいれ楽屋に常備していたし、政治家であった一松はジョニーウオーカー赤ラベルの四分の一サイズボトルに詰め替え、議員会館の個室で会議の前に静脈注射をキメこんでいたとさ。

あーのんきだね~♪
(オチを考えるのメンドーになったのでこんな手抜きな落とし方。一松師匠、ユーモアーの勉強やり直します!)


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  • By harpobucho / May 22, 2007 3:47 am

リンギスならこう言うね。

いまさらながら『デトロイト・メタル・シティ』3巻分を一気読みして、不覚にもすっかり主人公に感情移入してしまった。サツガイせよ!デスメタルとお洒落スウェーデンポップスほどの落差はなくても、こんな時代、多くの人間が存在を二重化して生きているのではないか。バビロン社会をいい感じに乗り切るためにはかなり重要な問題。

「社会は、たた単に暴力的な者を社会病質とみなすのではなく、―暴力であっても、警察やプロ・ボクサーにおいて見られるように完全に社会化されることもある―、二重、三重の人生を送る者を社会病質とみなすのだ」

だからこそ、こー思うわけ。

「自分の動きの最終目標や、自分の活動の目的、自分の移動の理由がまわりの人々に見えていると感じるとき、私たちの安心の程度はさらに増す」

国や金に安心を求めるより、こっちのスタイルのほうがなんかシックリくる。心配するな、でも安心するな、とシンゴ西成は言うけど、安心への努力も重要な気がする。つまり信頼できるナカマを増やせってこと。


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  • By harpobucho / May 20, 2007 3:51 am

ア太郎、おそ松クン、バカボンのパパ、うなぎ犬の深さを思い知れ!四谷シモンに”同棲生活”を迫られた赤塚不二夫。27年の空白。

平岡正明の『戦後事件ファイル』第一章、敗戦満州崩壊は、赤塚不二夫のために掲げられた章だ。赤塚はは昭和10年9月14日熱河省承徳に生まれた。父親藤七は関東軍憲兵で、後にソ連国境地帯の八路軍相手の警察官となり、敗戦時には奉天消防署鉄西署署長をしていたが、ソ連軍に逮捕されシベリアに抑留された。消防署署長になったのは現地の人々をいじめてばかりいる憲兵に嫌気がさしたからだ。

 敗戦後女で一つで内地から引き上げる苦労と悲惨は計り知れないものがあった。平岡のテクストには「赤塚自身は引き上げ経験の地獄絵図を直接には書いていない」と記しているし、実際に写真1にあるように、生まれてからマンガ家になるまでの27年間は空白だ。しかし、平岡のテクストが書かれた76年以降、赤塚は積極的に「地獄」について語りだしている。身近なものでは新宿にある、水木しげるの絵の広告でおなじみの「平和祈念展示資料館-戦争体験の労苦を語り継ぐ広場-http://www.heiwa.go.jp/tenji/index.html」に、赤塚の絵が寄贈されている。(他にも、千葉てつや等々)その絵とは・・・



>(日本に)到着して30分後、栄養失調になっていた綾子(赤塚家一番下の妹)が死んだのです。母は、激しく泣きながら、乳児のミルクまでとりあげた税関のやり方をののしっていたのを、覚えています。


 というシーンだ。さらに、母の実家の大和の3年間においては、満州から帰ってきたというだけで、酷い差別を受ける。


ワンコーリアフェスティバルの本人インタビューより
http://hana.wwonekorea.com/history/hist/10th94/newManga/man_int-akatukaFujio.html

>オレは満州から引きあげてきて、奈良の大和郡山に3年間住んでいたんだけど、あのあたりってヨソ者を徹底的に排除する風潮があったんだ。隣がエタ村で、差別意識が定着してたのかもしれないな。オレも差別されたよ。配給の列に並んでて、オレの順番になると「満州、ダメ」とか言って本当にくれないんだから。いい大人が子供に対してだよ。今でも忘れられないよ。


 また、赤塚は太平洋戦争当時の軍国主義的イデオロギーに対して同インタビューでこう語っている。


>オレは10歳のときに終戦を迎えたんだけど、それまで特攻隊になろうと決めてたし、本気で天皇のために死んでもいいって思ってたよ。軍事教育ってやつだよね。

 
 

 まるで初期大江健三郎の主人公『遅れてきた青年』のようだ。だからこそ、この体験がマンガの中において空白であったとしても、平岡が指摘したように「赤塚不二夫のマンガを(日本人の占領、引き上げ体験の)ドキュメントとして読め!」ということが可能なのだ。クズ野菜で育ち、孤児だったア太郎や、狂犬トロツキー、山本四十六といった特異なキャラクター達がアナーキーに暴れまわるのは、悲惨と残酷の空白の上だ。しかし、決してこの物語を悲劇として読んではいけないのだ。なぜならフロイトが言ったように、「喜劇の反対は悲劇ではなく、現実なのだ」から。




PS 柄谷行人は『終焉を巡って』で村上春樹の初期羊三部作において明らかに、巧妙に全共闘的な象徴がさりげなく触れられつつも他のたわいない話題と併置され、無視されるように語られることを指摘している。それは全共闘的なものだけではなく、あの三島由紀夫の自決についても同じだ。羊三部作は明らかに60年代を描く80年代小説であり、その喪失感を際立たせるために中心が空白になっている。(それは高橋源一郎の不条理でPOPなドタバタ小説『さようならギャング達』にも言えることだ)

 



また、下記ブログには赤塚不二夫とダダ、シュールレアリズム、イタリア未来派を架橋する、非常に面白く興味深い考察がある。

赤塚不二夫ふたたび
http://livinity.jugem.jp/?eid=90

>”人間好き”の赤塚氏の酒を介した人脈の壮麗さ、、ざっと軽く挙げても筒井康隆、吉行淳之介、野坂昭如、井上ひさし、田中小実昌、小松左京、そして横尾忠則、件の浅葉克己、黒田征太郎、篠山紀信、唐十郎、四谷シモン、つまりは戦後日本文化史におけるきら星たち揃い踏みといった感があり、ことに唐十郎が「おそ松くん」の原作を用意していたなんていう話(かわりに赤塚不二夫が”状況劇場”の出資者-パトロンであったとは!)、四谷シモンに”同棲生活”を迫られたなんて話には唸らされる。

かりに唐十郎、四谷シモンの名だけを取り出してみても、そこにはすぐに澁澤龍彦、瀧口修造、マックス・エルンスト、ハンス・ベルメール、と芋蔓式に名が連なるのであり、さらに横尾忠則の名を加えれば、60年代新宿アングラカルチャーの内訳としてのダダ・シュルレアルとポップの混淆の精髄を赤塚マンガが体現していたと考えたところで少しも無理がない。おそ松くんの背後に唐十郎なのだから。

ダダ・シュルレアリスムの要諦とはすなわちオートマティスム(理性の支配を受けない”無意識”-野性の自動記述)とディペイズマン(思わぬ出会いによる異化相乗作用)の詩学であるといえる。それにメタモルフォーゼ(変身/変容)の美学。そして未来派の「スピード/ダイナミズム」。そうきけば、それをそのまま赤塚ギャグマンガの特徴であるといっても差し支えないではないか。



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