サウンドデモ、あるいは路上を巡る祝祭空間としての政治史。

ReclaimTheStreets.jpg

ダンシング イン ザ ストリート サウンドデモだよ路上開放!!
路上に溢れる強烈なビート、人、人、楽器、
旗、笑顔、叫び声。それを取り囲む機動隊、
公安警察、逮捕、弾圧。
ここ数年全国の至る所で増えてきたサウンド
デモの主催者・関係者を集め貴重な映像やト
ークが爆発する!

2月26日(火) 新宿Naked Loft

【司会】間宮賢(RLL)
【Guest】ランキン・タクシー/松本哉(素人の乱)/毛利嘉孝(東京藝術大学准教授)/小田マサノリ(イルコモンズ)
二木信(ライター)/DJラマダーン/他
OPEN18:30/START19:30
前売/当日¥1,000(+1drinkから)

明日夜にネイキッドロフトでサウンドデモのイベントやりまーす!!(詳細は一番下に!)2年前に利賀村の演劇祭、利賀サマーアーツプログラム2006でRLL名義でサウンドデモについてまとめて発表した時の文章を転載します。下の表もそのときに作ったんだけど、大分付け足しました。今回のイベント当日でも使う予定です。

「サウンドデモ、あるいは路上を巡る祝祭空間としての政治史。」

 ドゥルーズ、ガタリは「ミル・プラトー」のリトルネロという章で、こう、書いている。幼子が暗闇に一人。何も見えないし、何も触れる物もなく、ただ、おびえている。だけど、ちっぽけなメロディを口ずさめばどうだろう?小さな口から零れ落ちるつたない反復の切れ端が、彼を包み込み、やがてそれは彼の足取りをステップに変え、カオスに一筋のラインを描き出していく。最初はおぼろげだった軌跡がやがてはっきりと暗闇の中に浮き立ち、ラインを描き、そのラインに沿っていく子どもは、いつの間にか安定した秩序を生み出し、調子が上がればそれを変奏したり、アレンジしていくことだってできる。もちろん、時に大きすぎる音のバリヤーは他人のリズムを邪魔したり、破壊したりしてしまうこともあるし、ファシズムが必要とした音楽のように、単一のリズムを他人に強制することも可能だ。リトルネロにはそういった「力」や「効果」があり、それは心臓の鼓動や脳波、月の周期に合わせた生理のように、バイオリズムに貫かれた身体の絡まりあう環境へのアンサンブルに加えられた新しい一筋の要素なのだ。

サウンドデモはいくつものリトルネロが絡まりあっている。

 その時々のテーマや主張、集まってくる人びと。主催者の意志。デモ隊を取り巻く公安警察や機動隊、そして移り変わっていく街並みやそこを行く人々の視線。デモ隊の中の人間も歩きつつその位置を変えるし、歩道に出たり立ち止まったりする。途中でコンビニに入ってジュースやお酒を買ってくる人だっているし、そのまま帰ってしまう人、よく分からないけどデモに吸い寄せられるように入ってくる人もいる。そして、そういった様々な人や風景やその絡まりあった流れの中を、音楽が包み込んでいる。サウンドデモにはいくつものリスクやコスト、秩序やカオスが流れていて、その流れの中で人びとは不安に浮き立ち、時に音楽に乗り、高揚し、鬨の声を上げる。いくつものリスクやコストというのはDJや責任者の逮捕や運動の失敗に絡んでいて、それは気まぐれな天候や公安の弾圧や、機材トラブル、DJのスキルや観客の動員数、集まるカンパの総額、当日の街の様子まで、ほとんど関数として予想できないものばかりだ。

 だから、サウンドデモは非常にフレキシブルで多様な要素が絡み合い、普通の音楽イベントに比べれば比較にならないほど危険で、それに見合った現実的な利益の無いイベントなのだ。チケットを売っているわけではないから現金収入はゼロで、カンパを集めても赤字ということがほとんど。誰かが逮捕されればかなりの金額の弁護士費用や、無料で動いてもらえる大量のボランティアスタッフが必要になる。誰が逮捕されるかなんて逮捕されるまでわからないし、その罪状も同じことだ。(DJが道路交通法違反で逮捕されたこともあった。普通なら切符を切られてすむはずなのに。)つまり、誰が、どれくらいブタ箱にぶち込まれるかさえよくわからないってことだ。

 だけど、下の表を見てもらえればわかるように、こんな一文の得にもならないことのために様々な場所で、様々な人たちが苦労してサウンドデモを行ってきたし、今も準備している。何人も逮捕者が出てもサウンドデモは無くならない。なぜだろう?どこかのくだらないカード会社の宣伝文句ではないけれど、一言で言わせてもらえば路上で爆音を出して公道をダンスフロアーにしてしまうことや、そこで狂ったように踊ることは、まさに「プライスレス」な心地よさだからだと思う。(このデモの監視や規制のために機動隊や公安警察が使う人件費=税金もかなりなお値段、プライスレスなのだけれど)フェリックス・ガタリはこう言っている。「秩序や制度はカオスを排除したり、コントロールするためにあるのではない。より強くカオスに触れるためだ」と。サウンドデモはまさしく、より強くカオスに触れるために、それと共に踊るために、僕たちが複数の要素や環境の中に、音楽というリトルネロのバリヤーを絡めてかき混ぜる実験の場なのだ。


本邦サウンドデモ略史

94~99 東京「東京レズビアン・ゲイ・パレード」主催はILGA日本。だんだん参加者が増えたが96年に主催団体が分裂。後に先細り、実質的に消滅した。

2000~ 東京 渋谷「東京レズビアン&ゲイパレード2000」が行われる。主催はTLGP

2001~ 

01年6月26日 早稲田「地下部室撤去反対闘争RAVE」 
01年7月31日 早稲田「地下部室撤去反対闘争RAVE・SECOND IMPACT」 
01年9月23日 東京 渋谷「CHANCE!ピースウォーク」東京の小林一朗という男性が「報復戦争に反対する動きを起こしませんか」と呼びかけた一通のメールからインターネット上で人が集まり、メーリングリストが作られた。 第一回目の「ピースウォーク」は9月23日に渋谷の代々木公園~渋谷駅前~原宿というコースで行われ、約300人が参加した。

2002~ 02、03年は東京レズビアン&ゲイパレードは行われなかった。秋にはブッシュがイラク攻撃を示唆し、10月始めにCHANCE!はイラク攻撃反対のピースウォークを始めて開催する。さらにこの戦争は世界の環境や人権にも被害を及ぼすため、アムネスティ、オックスファム、グリーンピースといったNGOも実行委員会へ加わっていく。10月末に渋谷の宮下公園に約700人集まり、翌03年1月には日比谷公園へ7千人、3月には4~5万人が集まる。

2003~ 03年~04年は渋谷において反戦サウンドデモが盛り上がる!!それが大阪、京都、名古屋へ飛び火していく。

03年5月10日 渋谷「STREET RAVE AGEINST WAR」
03年5月30日 渋谷「有事法粉砕 STREET PARTY TO DEMONSTRATION」
03年7月19日 渋谷「PARTY AND PROTEST/ANARCHY,PEACE,FREE!DUMB」
03年8月3日  大阪「ぐるぐる道頓堀」
03年10月5日 渋谷「SET BUSH FIRE/STREET PIRTY+DEMONSTRATION」
03年10月19日 京都「解放どすえ」

2004~ 

04年1月24日 渋谷「PARTY+PROTEST!!IRGENT ACTION AGAINST SDF DISPATCH TO IRAQ!」
04年5月8日 大阪「アメ村右往左往」
04年6月6日 名古屋 デモンストレーション/ストリートパーティー in 名古屋
04年6月13日 新宿「輸入盤CD規制反対大暴動in新宿」
04年9月19日 京都「反戦ミュージック2004」
04年11月14日 西荻~阿佐ヶ谷「KNOCK OUR SECURUTY!! GRAFFITY AGAINST CONTROL!!!」
04年11月23日 大阪城公園~京橋「早起き大阪城 ~基地いらん! 戦争あかん! 11.23.関西のつどい~」

2005~ 渋谷を中心とした反戦サウンドデモが終わり、反戦という主題も含みつつ、格差社会、反グローバリゼーションの拡大を背景に、貧乏人やらマイノリティがそれぞれの主張を打ち出したユニークなサウンドデモが増えていく。

05年5月1日 渋谷「RECRAIM THE STREETS! MAYDAY2005DEMONSTRATION」
05年8月13日 渋谷「ゲイ・パレードTLGP2005」3年ぶりに復活。以降毎年行われる。
05年8月20日 高円寺~中野「放置自転車撤去反対!オレの自転車を返せデモ!!」
05年9月11日 京都「反戦ミュージック2005」

2006~

06年2月24日   高円寺「三人デモ」
06年3月18日   高円寺「反PSE高円寺デモ」
06年3月21日   下北沢「まもれ シモキタ!パレード」
06年3月25日  大阪「反PSE法御堂筋、四ツ橋筋サウンドデモ」
06年3月26日  新宿「反PSE大イベント」
06年4月30日 渋谷「MAYDAY FOR FREEDOM AND SURVIVAL06 FOR THE CONSPIRACY OF THE PRECARIATS」
06年7月8日  福岡「迷惑をかけるやつらのデモ」
06年8月30日 秋葉原「MAYDAY!MAYDAY!MAYDAY!4.30弾圧を許すな8.5PRECARIATS」
06年9月16日 高円寺~中野「家賃をタダにしろ!中野~高円寺一揆」
06年10月17日 下北沢「下北 INSIST! ~世田谷区長よ、シモキタの声を聞け!!」
06年11月26日 原宿~渋谷「反戦と抵抗のフェスタ2006」
06年12月3日 仙台「仙台サウンドデモ STOP6ヶ所!STOP再処理!」

2007~

07年4月1日   仙台「HARUTIGU ROKASO2007」
07年4月16日~21日 高円寺 高円寺選挙
07年4月30日 大久保「自由と生存のメーデー07 プレカリアートの反抗」
07年5月13日 青山「MARIJUANA MARCH TOKYO2007」
07年6月30日 秋葉原「アキハバラ解放デモ」
07年11月17日 北海道 札幌「G8歓迎に非ず」
07年12月1日 表参道「反戦と抵抗のフェスタ07 生きのびる」

2008~

08年2月10日 熊本「熊本ニートデモ」

従来の左翼や党派、労組のデモと、サウンドデモはどう違うのか?60年安保について語られた言葉と、RTS(リクレイムザストリート)について語られた言葉が響きあうことの意味を考えよう。

 こうした状況(60年安保)において、既存の政党(共産党や社会党)や労組とは異なる組織が現れ始めた。それは、組織が人々を動員するのではなく、人々が自分達の表現手段として組織を作るという動きだった。こうして安保闘争では、「いままでの型にはまった運動方式ではなくて、自分達で考えた運動方式が出現することとなった。実際に当時の国会周辺は、各地から集まった各種のグループが掲げる様々なプラカードや旗で埋まり、「多声部の複雑なフーガ」の様相を呈していた。そこには学生や労組員のデモだけでなく、劇団員や作家の隊列、大学教授の請願団、暖簾を掲げた商店主のデモ隊、さらにはムシロ旗を持った農民、ウチワ太鼓を鳴らす仏教徒、子連れの女達などが集まっていた。こうした連帯感の中では、孤立した運動家が抱きがちな、悲壮感やヒロイズムが消えていった。6月4日の交通ストの報道は、「どの顔も険しくは無い、むしろ明るい。たえず沸き起こる拍手、歌声」「ごくあたりまえのことが行われている、というカラっとした明るさ」「その日の午後はうきうきと、お祭り気分の表情だった。自信と誇りが祝典となった・・・」を伝えている
                     
                    小熊英二 『民主と愛国』


 このDiY文化(RTS)は既存の左翼運動に対する批判でもあった。RTSの主要な参加者となったのは、旧来の左翼運動の持つヒエラルキー構造にあきあきした人々だった。旧来の左翼運動は、中心的な指導者が存在し、指導者がデモや集会を組織し、参加者がその話を聞くという形式が主流だった。しかし、その指導者の話とやらも、すでにどこかで語られたことばかりだった。それは、何か積極的に作り出すというよりは、常に何かに対して「反対」するばかりで、否定的で、悲観的で、消極的なものでしかなかったのである。若い世代はそうした古い左翼文化にうんざりしていた。RTSのDiY文化は、そうしたこれまでの左翼のスタイルを批判したのだった。カーニバルという手法も、指導される大衆という固定的なヒエラルキーを反転させ、享楽と開放を同時にもたらすために導入されたのだった。

                      毛利嘉考『文化=政治』



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