ROCK IS・・・・
美術手帳1970年10月号特集 「ROCK IS・・・ 原始性への回帰 日向あき子」より抜粋。
ロック共和国。
それはロックの響きが流れるところに生まれる。ロックにしびれる世代が作る無形のコミュニティーである。ジャズから来たこの音楽は、国の垣根を取り払い、霊妙な魔力でもって若い層の心をひとつにする。
ロック世代。彼らは知覚の充足の中に神々の国が宿ることをフィーリングによって知っている。彼らの祖先はには、カミュの自然人ムルソーがいる。「ボニーとクライド」やコクトーのアンファンテリブルがいる。
あるいはむしろ、彼らは文明の中の憂鬱な野蛮人、この人工の荒野の中の聖なる原始人だ。彼らの奇装、彼らの音、彼らの遊びは、その共和国のための儀式であり、儀式はしばしば創造のドラマにかかわる・・・・・ ロックミュージック。それは地球を単位とした人間、グローバル人間の感じ取り方と在り方を知らせる響きだ。
いま、ロックシーンに立ってみると、あのころ(50年代のビートニクのころ)から無署名の巨大な意思とでも言ったものが歩き始めたのがわかる。それはその都度いろんな風に姿を変え、いろんなシーンを通ってきた。それらの変化するシーンはすべてこの巨大な意思の自己実現のためのものであった。
ビートニク、ポップ、そしてロックまたはプレスリーや、文化人類学の復活や、原始に帰れや、マーシャルマクルーハンや、フランツ・ファノンや、反戦や、ヒッピーと、網の目のように結ばれている。それはまたドラッグ・カルチャーや環境芸術化、複製文化。イデオロギーの終焉、禅や老荘思想、黒人文化、コミュニケーションの迅速、情報社会と呼ばれるものや大学問題や新しい性の考え方や、ニューファッション、アンダーグラウンド・シネマ、テレビ、漫画、都市化、ビートルズ、感覚型全人性、テクノロジー、等々の貴重な財産目録を持ち、これらは奇妙な網の目で結ばれている。だからこのうちのどれひとつをひっぱってきても、鋭敏にすべての部分が振動し、からまりあってくるのである。
美術手帳1970年10月号特集 「ROCK IS・・・ 原始性への回帰 日向あき子」より抜粋。
いやー 久しぶりにかなりアゲアゲなテクストに出会ったんだけれど、やっぱりそれが70年代の文献というのには無意識的にか、欲望的にか、どうなのかよくわからないのだけれど、漠然とした理由があって、この激しく揺れ動いていた時代の手触りやにおいといったものがテクストにまで沁み付いてしまい、同じような感覚や感性や衝動をもった読者にとって、過去のテンションを再生産することができるからなのだろうか・・・・・もちろん、想像的な領域だけなのだけれど・・・・
不思議なことにこのテクスト、今読んでみるとROCKのことを語っているとは思えない。もちろん、それは現在が2005年だからこそであって、35年も前のテクストがウソをついていると非難される筋合いはないのだ。それでも、このROCKという言葉をTECHNOやダブやレゲエ、ヒップホップに置き換えたとき、こんなにもすんなりと収まってしまうのはなぜだろう?そして、この35年前のROCKらしい2005年のテクノではなく、2005年のテクノらしくなくなってしまった35年後のROCKに、僕たちは何を求めてきたのだろう?この二つの間にできてしまった溝は何だろうか?そしてテクノもまた35年後には今のロックのように商品となり、古びていくのだろうか?時の澱みの中で・・・・
これはちょっと気になるところだ。
ROCKの政治性、実験性という前衛性が失われ、それがテクノという新しいジャンルに移っただけ・・・・と、簡単に処理できるのもある程度は確かなのだろうけど、どうも、いくつもの違和感が残る。初期ROCKの魅力は初期のテクノとは違うだろうし、だからといってまったく似ていないわけでもない・・・特にこのドラッグと音楽とシャーマニズムによる知覚のグローバリゼーション・・・もしくは、アンチグローバリゼーションをグローバルに共有するというグローバリゼーション・・・・・そんな部分だろうか?だとすればROCKとは・・・テクノとは・・・・いったい何だろうか?
ROCK IS・・・・
- ∞+∞=∞
- By ∞+∞=∞ / Apr 14, 2005 6:12 pm