〈警察〉と〈暴力〉
“ 警察は、たしかに法目的のための(処分権をもつ)暴力だが、それと同時に広範囲にわたって法目的をみずから設定する権限(命令権)をももっている。こういう官庁の非道さは、わずかなひとびとには感得されているが、それというのも、それが権限をも逸脱して粗暴きわまる干渉をおこない、繊細な領域へも盲目的に泥足をつっこみ、法律では国家に従属させえない知的なひとびとを取り締まることを、許されているからだ。その非道さは、この官庁のなかでは法措定的暴力と法維持的暴力との分離がなくされている、というところから来る。前者の暴力が、勝利することによって自己の資格を証明することを、もとめられるとすれば、後者の暴力は、新たな目的を設定しないという、制約のもとに置かれている。警察暴力は、その二つの条件を免除されている。警察暴力は法を措定する――というのは、その特徴的な機能は法律の公布ではないが、法的な効力をもつと主張するありとあらゆる命令の発動なのだから。また警察暴力は法を維持する――というのは、法目的の御用をつとめるから。警察暴力の目的は、他の法のそれとつねに同一だとか、あるいは、とにかく結ばれてはいるとかいった主張は、まったくの嘘である。むしろ警察の「法」が根本において表示しているのは、国家が、なんとかして押し通したい具体的目的を、無力からか、それともあらゆる法秩序に内在している因果関係のためか、もはや法秩序によっては保証しえなくなっているところ、まさにそのところにほかならない。だから警察は、明瞭な法的局面が存在しない無数のケースに「安全のために」介入して、生活の隅々までを法令によって規制し、なんらかの法的目的との関係をつけながら、血なまぐさい厄介者よろしく市民につきまとったり、あるいは、もっぱら市民を監視したりする。法は、時と場所とがはっきりした「決定」のかたちをとれば、形而上の範疇では批判がなされることを認めるが、これに反して、警察制度を考察してみても、なんら実体らしいものにめぐりあわない。文明国家の生活における警察という現象は、どこにも捉えどころがなく、いたるところに偏在する化けものであって、その暴力も無定形である。どこの警察も個々の点では似通ってみえるが、しかしそれでも、絶対君主制――そこでは支配者の暴力が、立法と執行との全権力を統合しており、警察がこれを代理している――における警察の精神よりも、民主制ーそこでは警察の存在は、絶対君主制でのような関係を特徴としてはいず、考えられる限りでもっとも歪んだ暴力の証示となっている――における警察の精神のほうが、より有害であることは、誤認されるべくもない。 ”
ヴァルター・ベンヤミン「暴力批判論」
「 ポリス・ブルータリティとは何か? (In Japanese) 」
日本語環境では少ない警察暴力の問題の記事。
- Intellipunk
- By intellipunk / Jul 23, 2020 3:48 pm