スタイルウォーズと〈関係〉の詩学について
SEEDAのテリヤキおっさんへのDisで「お前らヘイター(hater)」という言葉が気にいった。(この件についてのまとめは、RLLクルーの∞の個人ブログ「マウスパッドの上の戦争。」へ→フェイクかリアルか?最近の大麻とヒップホップを巡るあれこれ。)
この場合、こそこそ裏で妬み嫉み僻み(ねたみそねみひがみ)つまりヘイトスピーチする奴と、ラップ下手糞というダブルミーニングなんかな。まさにhater shit!
Disは、disrespect(無礼)で、明確にヘイト(嫌悪)とは区別される情動。Disは、バトルやスタイルウォーズというヒップホップの特徴的文化のひとつ。アフリカ・バンバータが70年代後半、貧しく行き詰まった黒人コミュニティーでギャング同士抗争が頻発するなかで(諸説あるが)「争うなら銃でなく、ダンスやラップで争え」とバトルをパーティーと広めたところから、暴力ではなくダンスやフリースタイルのバトルのスタイルが生まれた。たとえばダンスのバトルをWOOFIN’の取材にくっついて見てきた時に舌を巻いた厳しさ(ダンサーのピークがティーンネイジャーってマジ?!)、またはフリースタイルバトルならLIBRAのULTIMATE MC BATTLEのDVDだけでも相当実感できるヤバさ。
韻踏合組合のHIDAとICE BAHNのFORKの高度なフリースタイルバトル
往年の映画『BEAT STREET』からNYC Breakerz Vs Rock Steady Crew
こっからは捲いて書く。いつも書いていることだから。
ヘイターはスキルで真っ直ぐにバトルせずに、安全な場所で自分を隠し揚げ足をとる。一般的に云うならヘイトスピーチだ。過去を自分の安全な場所に作り替える歴史修正主義もそれ。社会が存在せず全てを自己責任に回収し、自らの足下と無関係とし政治を無かったことにするハイエク障害は、個人自由の閉塞だ。ヘイターの閉鎖。
ヘイターにならず、常に開かれなければ。
スタイルウォーズは〈関係〉の問題だ、グリッサンの唱える「〈関係〉の詩学」とはスタイルウォーズだ。自己を閉鎖し、相手と関係ぜずに自己が存在出来ると考えることは不可能だ。グリッサンは、(〈関係〉に)先立って存在するものは、〈存在としての存在〉の空虚さ、〈関係〉に先立って存在すると主張するものは不十分、つまりうぬぼれだ、と言い切る。単純な二元論やその乗り越えの弁証法を放棄し、つまり善悪の法規の放棄だ、市場を至上価値にしない私情の詩情価値だ、多様なスタイルの蜂起だ!
- Intellipunk
- By intellipunk / Mar 07, 2009 11:19 pm