アイデンティティを混ぜっ返せ
以前書いた左派右派テーゼ「楽しいのは左、安心すんのは右[欺瞞的な固定したアイデンティティで安心したがる(不安を避ける)のが右翼/自己を時間と空間の中の揺らぐ運動体として存在する態度が左翼]」を再提出しましょう。
松岡正剛の千夜千冊の左翼仕事
サイード『戦争とプロガパンダ』紹介。
[このアメリカとイスラエルの異常ともいえるほどに欺瞞的な同盟関係を、いったいどうすれば打ち破ることができるのか。むろんサイードは対抗軍事力や対抗テロリズムを持ち出すのではない。むしろもっと悲痛なものを持ち出した。戦争とプロパガンダに対してサイードが持ち出したもの、それは、「一つのアイデンティティ」によって「他のアイデンティティ」を決して押しのけないという大義によって成立する「バイナショナル・ステート」(二国民国家)というものだった。
その提案がはたしてどのように有効なものなのか、サイードはそれを確かめる時をもてずに他界した。われわれはこのメッセージをどう受け取ればいいのだろうか。]
複数の自己規定、自己矛盾する複合的多義的多元的な自分。これがサヨクという態度である。
アイデンティティの話は、例えばカリブの、対白人帝国主義価値からの、被植民性である黒人純血性概念の「ネグリチュード」から/混血性概念の「クレオール」への視点の移動がわかりやすいか。
もしくは、ヘテロ/バイ/ゲイのセクシャルからのモノセクシャルからポリセクシャルへの移動。
国家においては、国民という概念と民族という概念の倒錯を指摘する国民国家批判、近代批判のポストモダン概念。
とまれ、保守の規定する伝統的固定的概念が、それ自体が非人格的な権力構造(マシーン)によって、恣意的に編纂された嘘っぱちな捏ち上げだってのは、フーコーが暴いたわけですね。右は非知的反知的であると。
例えば、日本の中世が百姓とサムライの黄ばんだ世界だったなんてことはなくて、もっと豊かな非常民漂泊民や無界アジールやサンカや蝦夷琉球だったりが広がっている振れたアイデンティティーがたくましく花開いてたってことも、民俗学として宮本常一や網野善彦や赤松啓介を知ると出てくるわけだ。日本というアイデンティティもそんないに磐石ではない、多くの共同幻想で生まれているわけだ。
文化人類学/民族学が西洋近代中心主義批判であるとイルコモンズさんに「文化人類学開放講座」で教えてもらった。つまりサイードのいうオリエンタリズム概念の類似は様々に存在している。
そういやサイードのあれらも、反本質主義のデリダの脱構築から発せられたもので、もともと哲学の命題だったと。世界は何であり自分は何なのか。実存主義から構造主義/ポスト構造主義へ。
そこから、先日に書いた「共同体」話につねがったりね。
そのまま土地やモノの私的所有制度から著作権概念へもつながる。ここが資本主義の根底のルールへの不信である。
階級概念もそこへつらなる、ベタに云うならプロレタリアートからマルチチュードへ。お前の持ち物って、とりあえずお前誰? お前は俺じゃないの?
それから純文学の物語批判の文学壊し(おいらは高橋源一郎は好きです爆)、舞台のブレヒトやべケット、美術ならデュシャンにウォホールが双璧、それらも基本的には混ぜっ返した振れた自分のDUB鏡。
そっからどう、スタイルウォーズしようか。何に救いを求めるのか。脱構築は正義とか云えるほど勤勉でもないけれど、サバルタンは語り得ないわけで、やっぱり最後は、自己観察参与という自分探し仲間探しがカルスタポスコロなわけだ。てめぇのトライバル・スタディーズですね。
暴力と戦争と近代と帝国主義と西洋白人価値観と資本主義は何重にもからまっている、実は同じひとつの運動である。僕らはそれに、叛/脱/非/を繰り返しながら自分の人生をかけて挑む、楽しむ、嗜む、笑う。
『高円寺一揆』第二弾!!
3/30(金) にあるぞ!!!
http://mixi.jp/view_event.pl?id=16540742&comment_count=2&comm_id=689660
先日第一弾の映像。
http://www.youtube.com/watch?v=BWND80YfrYE
サイードの訳者中野真紀子さんの新しいプロジェクト『デモクラシー・ナウ日本版』
http://dnjapan.info/
- Intellipunk
- By intellipunk / Mar 24, 2007 6:53 pm