[平和主義] コミュ「戦争は人類の本能?んな阿呆な」を受けて
戦争と国家と共同体論とアナーキズムについて考察する
自分のマイミクココペリさんの日記「なぜヒトは戦争するようになったか。」でのwolfせんせいとの対話をそのまま流用しつつ(必読!)。
正月にぼんやり考えてた「楽しいのは左、安心すんのは右」([欺瞞的な固定したアイデンティティで安心したがる(不安を避ける)のが右翼/自己を時間と空間の中の揺らぐ運動体として存在する態度が左翼]というテーゼですけど。)を前提に、最後にアンチ・ファシズム共同体論にデヴィッド・グレーバーからアルフォンソ・リンギスに持っていくのはかなり自己中な解釈だなー。
でも全部RLLにとっては自明であった!
今日の日記でハーポ部長が政治快楽からファッショをネタにしている。まったく自分が裏から言葉でこじ開けようとしているのを軽々と…つまり彼は素でマルチチュードなんですね。
でね、このアンチ・ファシズム/無為の/明かしえぬ/何も共有していない者たちの共同体って中身は、去年読んだ平岡正明の「マリリンモンローはプロパガンダである」収録のエイゼンシュタイン論の中のレーニン/ソヴィエト部分が全くそのままなのだ。グレバーもびっくりなソヴィエト民衆解釈(肝っ玉母さん!)アナーキズムなんだよね。
さて、このあたりも参考に。
86であげた文化人類学者ピエール・クラストル
http://www.amazon.co.jp/dp/477380307X
http://www.amazon.co.jp/dp/4891762063
99での考古学佐原真・松木武彦
http://www.amazon.co.jp/dp/4062582139
http://www.amazon.co.jp/dp/4000271148
今回の現代思想/哲学の今村仁司
『抗争する人間〈ホモ・ポレミクス〉』
http://www.amazon.co.jp/dp/4062583240
大雑把にいえば全部同じことに帰結している。
人類の歴史上、人間の群れに命令者と服従者の分化が起こり、それにより〈暴力機械〉が立ち現れることで戦争が出現した。それこそがのちの王権/国家であり、人間の本能ではない。
そこで、これ萱野稔人の二冊
『国家とはなにか』
『カネと暴力の系譜学』
「国家は、基本的には暴力に関わる一つの運動態である」「現在あるようなかたちでの国家は、暴力が集団的に行使されるあり方が近代において変化したことによって成立した。つまり、暴力の実践のほうが国家の存在に先立つ。国家の存在は、暴力が行使される特殊なあり方の上に立脚している。」
暴力が他の暴力を駆逐し、それが国家として立ち現れる原理を明快にしている。暴力が国家を作り戦争を生む。根本には、他人を自分のままにすることが〈暴力機械〉を生み出す。
そこで今話題の『アナーキスト人類学のための断章』デヴィッド・グレーバー
http://www.amazon.co.jp/dp/4753102513
ヒエラルキーのない全く新しい昨今のNGO組織の意思決定と国家以前の未開共同体との類似性をみながら、〈暴力機械〉を迂回してゆく可能性を論じる。
VOLのシンポジウムでは萱野さんとグレーバーの国家に対する強度差があって面白かった。
同一性原理を回避する、多元主義的な多様性を持った共同体にしか戦争をしない選択はない。
そこからは「何も共有しない共同体」論が先端。参考↓同じくVOL編集委員の田崎さんの解説
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/omth2/biblio/democrat.htm
- Intellipunk
- By intellipunk / Jan 11, 2007 5:17 am