存在論的、RLL化するポストモダン


大澤真幸 東浩紀「自由を考える—9・11以降の現代思想」 読了
http://www.amazon.co.jp/dp/product/4140019670/

現代はポストモダンへ移り、対応して権力概念も変容。
ただし二項対立的弁証法的な形而上の区切りではなく繋がっている
様々な実証を交え思想を現在のアクチュアリティにつないでゆく
以下大ザッパに図式化してみる(小さな論過は見逃して)。

人間→動物化
大きな物語→データベース、島宇宙化と情報管理化
第三者の審級→第三者の審級の撤退
神・ビッグブラザー→管理のネットワーク、セキュリティー上昇
規律訓練型権力→環境管理型権力
価値観の共有→価値観の共存
キセルする自由個人で音楽を聴く自由匿名の自由→OA化セキュリティー化ユビキタス化iD化著作権化DM化
虚構の時代→動物の時代
大儀→動機の不透明さ
ビオス(政治的身体)の「生の形式」→ゾーエー(生物的身体)の乖離と管理
ドゥボール。スペクタクル化
アウシュビッツとポストモダニズムの近似性。スペクタクルの有無。
アガンベン。例外状態の全面化(アウシュビッツ・阪神淡路震災の残りの者)ホモ・サケル
フーコー。生権力と生政治
ヴァーチャルな政治的身体→ムーゼルマン剥き出しの生
ハーパマス。レジシマティー正統性の危機
デリダ。固有性→確率的状態、交換可能性
スターリニズムとポストモダニズムの近似性。固有性→偶然性=偶有性
セキュリティ化した権力は偶有性を奪う権力
ヘーゲル。理知の狡知
社会全体を覆う共感→シミュラークルな共感(交換可能性の低下)
個人の偶有性の領域を持つ大きな物語→個人の認証管理
「超越」した抽象身体→原身体性
アーレント。人間の条件アクション(活動)→ワーク(制作・仕事)→レイバー(労働)
コミュニケーション=アクション(活動)→2ちゃんコミュニケーション=動物化
ジジュク。9.11は象徴界が現実に侵入されたというイメージが侵入した
ベンヤミン。カフカの「掟の門」の解釈
「聖書のない状態」→「聖書」→「聖書の読めない状態」
コジューブ。ヘーゲル的人間→アメリカ型動物化家畜化
不純な愛から純愛への昇華崇高化→純愛と性欲処理の共存
ロールズの「普遍」のモダニズム→ローティのポストモダンなシニシズム
哲学者文芸批評家、加藤典洋竹田青嗣→社会学者、橋爪大三郎宮台真司
レッシング。法・規範→市場・アーキテクチャ(ゾーンニング/フィルタリング)
著作権の肥大とコモンズ
ベック。リスク社会
バーリン。積極的自由→消極的自由のフィルタリング
エンデ。自由の牢獄
酒井隆史。「匿名」の自由→排除のメカニズム
アーレントのいう人間の活動の区分に対応する権力の変容。権力は従来の政治活動であるアクションにかかるのではなく、レイバー/ワークに作用する。
アーレントの三層構造の崩壊。消費=労働の固有化記名化
権力の、内面的イデオロギー管理→群れの効率的管理=家畜化
警察国家等古典的権力観→ディズニーランド・マクドナルド・ウィンドウズ化
フクヤマ。ヘーゲル哲学「人間性」→「歴史の終わり」バイオテクノロジー(プロザック)で人間の本質の変容
平等選挙思想→イシューの利害調整
デカルト「コギト」→ロールズ「無知のヴェール」
匿名の自由→多重人格的、記述主義的還元、データの固有性の上昇
柄谷。単独性→特殊性
「誤配可能性」の低下、運命やヨブ的神のきまぐれ超越性の消滅
多数意見の偶然の正しさ→多文化主義的多様性
キャラ化確定記述の固有性
広義の資本主義的必然の運動
デリダ。ハイデガーの人間「世界を作る」現存在/石「世界がない」存在者という西洋哲学→世俗化動物化「世界が貧しい」
ハイデガー。ゾルゲ→ダス・マン
スピヴァク。西欧→オリエンタル、サバルタン
ネグリ。プロレタリアート→マルチチュード
帝国主義→〈帝国〉
ドゥルーズ=ガタリ。モル的状態/モレキュレールの逃走線→数学的カオスの秩序
ハッカー。ウェーバー「プロテスタンティズムの精神」→ドーヴァルズ「それがぼくには楽しかったから」
批評される文化→身体的快楽の技芸
自然な選択肢を抑えることで現れる自由の感覚(ネガティブな発見)→自由が奪われている感覚自体を奪う(「無」の奪われ)
冷戦構造の思想・文学→ポスト冷戦のエンターテイメント
確定記述に固有名、特殊性に単独性、石に現存在→「anyoneの思考」、民主主義の「偶有性へのポテンシャル」
愛とは個人への特定の性質への愛ではないはずだ。真の愛とは偶有性への愛だろう。
単一他者への愛や共感が普遍的な愛や共感と矛盾しない方向がある。






これはバトラーの戦略、本質主義→構築主義にもかかってくるだろう。
マッケンジー・ワーク「ハッカー宣言」も「快楽」という同様の出口を提出している。民主主義の進化と「愛」で締めるのはネグリ=ハート「マルチチュード」と同じ。しかし彼らの議論に欠けているのはグローバリズムであったりキャピタリズムだったり黒人文化そして音楽と快楽だったりする。そのあたりは[VOL]界隈の言葉が進んでいる。

そういえば「RLLは政治でアガる人たち?!」と野田努に驚かれた、どうやらニュースクールらしい。確かに従来の人間的正義感(大きな物語)から現れる政治主体(左翼)の枠組みからRLL外れている。今までの彼らは労働者階級をまだ信じているし政治は大文字だし、この本を理解出来なかったりするだろう。RLLはそうしたものと関係ない楽しいことの為に小文字の政治を文化として享受している。「着る思想」ってヘーゲルに怒られそうなコンセプトだしね。あと密かに妄想するRLLの左翼再生プロジェクトとは楽しさに目覚めさせること。

RLLは正義の政治ではなく、政治の悦楽(JOY)へ視線は移っている。快楽的抵抗の「文化=政治」として黒人文化や陶酔文化や聖社会学を接種している。全ての文化から政治を読みとることを〈悦〉とする。ネグリの生政治とは、アガンベンのストレートな読みとは逆に、フーコーの生権力を反転させ生命賛歌にした。そこにB感覚でアガるRLLの戦略がある。RLLがサウンドデモに見るのはその「B感覚」からだ。プロザックを怖がるフランシス・フクヤマは、セカンド・サマー・オブ・ラブを知らない。あとJOYを知らないダサい社会学者が多くって困る。本当のポストコロニアル研究ってこうゆうことだと勝手に思ってるんだけれど。


以下はメーデーサウンドデモのDJ逮捕の時の僕らRLLの支援メッセージ。
「弾圧者たちは、踊るという快楽行為がリアル・ポリティクスとつながることを、警戒し恐怖している。Bio-politics感覚に酔いしれるサウンド・デモという新世代の快楽を前提にした祝祭=意志表明が、権力者にとって緊急な弾圧対象に思えたということだ。大きい音楽でこころ踊る楽しさ、連帯しながらそれぞれに路上を跳ねる喜び、メッセージ以上にノリを大事にするスタイル、政治を音楽を通して体現できる気軽さ、そしてそれらによって普通の若い人が新しい自由に開かれることを、懸念し恐れ予防しようという意図があったのだ。
だからこそ、僕らはこれからも抵抗として踊り続けなければならない。踊れないファシストに抵抗するために、自由と喜びのために踊るのだ。
逮捕拉致監禁された仲間を解放させよう。また一緒に踊るために。」
この本と無関係に書いたこのメッセージは、911以後の世界を(もっとも1999世界と読み替えたいが)反映していると考えている。


「自由を考える—9・11以降の現代思想」は特段新しい事を、僕らRLLには提示してはいない。ドゥルーズやネグリやファノンやフーコーやギルロイやグレーバーや平岡正明で思考していたRLLだけれど、しかし現状認識としてそれほど離れた場所には居ないこともわかった。とりあえず今まで通りでいいらしいな。


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  • By intellipunk / Nov 22, 2006 5:29 pm

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