HarpoBucho Archive
気違い部落 in 宇宙 後編
人類学や民俗学に興味を持ったのだから、きだみのるのように愛車ドブネズミ号で全国を駆け、地方の農村をフィールドワークしなくてはと思ったわけだ。でも、ボクは車を運転しない主義(単なる車買えない階級って気もするが)なので、自転車のビアンキ号で行ける距離じゃないときついなあ、と思ってたわけだ。
そんなとき、マイミクの宇宙ヤングさんから、こんな話を聞いた。四谷にある宇宙村がヤバいYO!そんなわけで愛車ビアンキ号で行くことにした。ちょうど仕事の帰り道だった。
宇宙村
http://www.uchumura.co.jp/
UFOやオカルトで有名なたま出版と同じビルの1階に「気違い部落」を発見。店自体がひとつの宇宙を形成している。なんだかヤヴァイブスを感じる。うさんくさい隕石群、意味不明な巨大なオブジェや仏像っぽい何かたち、ピストルなど無数のガタクタおもちゃたち・・・・壁には村長である景山八郎さんがユリ・ゲラーと何かコラボしている写真や、隕石を発見したときの村長の脳波のグラフなどが張ってある。店の奥にはリー・ペリーのような風貌のおっさんが夕方のニュースを観ている。おっ!村長発見!さっそく話しかける。
ボク「凄い量ですねー、これ全部値段付いてるのですか?」
村長「値段は付けてない。値段を付けると泥棒に持っていかれる。欲しいものがあったら、言いなさい」
命令形だった。さすが村長である。あんな巨大で意味不明なオブジェや大仏、何百万って書いてあっても誰も持っていかないよ!っと心の中で突っ込みながらも、ある男のことを考えていた。みうらじゅんである。MJ、この仏像絶対好きだな、だってbirdにとてもよく似ているんだもん。
MJが今ピンチである。文化系男子&女子の間ではテッパンだった、MJにいま批判が集中している。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=15460663&comm_id=1000&page=all
さすがのMJでも、実存のかかった性はネタにならないようだ。これからのMJの言動に注目してみよう。ネタで返すのかどうか。とりあえず「エロスとタナトスは誠実に」という標語を自分のために作ってみた。話を戻そう。
宇宙村の村長は確かに狂っている部類だろう。でも、そんなに悪い狂い方ではないと思う。正常な異常だと思う。というか、ありきたりな電波系の話である。一番たちが悪いのは、正常なふりをした異常だ。気を付けなければいけないのは、お茶の間で気味の悪い笑顔を振り撒くスピリチュアル・カウンセラーや、ボクらの街を住みにくくしている、これまた露骨に笑顔が不気味な障子チンコや、あなたの会社で重いノルマをサディスティックにかせるあの上司たちだ。彼らは、わざわざフィールドワークに行かなくても出会ってしまうテレビや会社の中にいる身近な人たちだ。だから危険。
ある人はこう言った。
「人間はだれでも気違いだが、人の運命というのは、この気違いと宇宙とを結びつけようとする努力の生活でなかったら、なんの価値があるだろう。」
誰の言葉だっただろう。寺山修司が何かの本で引用していたのは覚えているが、その本のタイトルも発言者も忘れた。宇宙に向かって無限定に狂えば、それは芸術になるかもしれない(実際なるのは少ないが)。
ボクの好きな宇宙のイメージは、稲垣足穂の耽美的なアヌスから出発し、蟻の戸渡りで平岡正明の下品なキンタマを経由して、勃起したジョージ・クリントンのP-FUNK(Pって確かペニスのPでしょ?)から射精された数億ものファンクの精神がデトロイトの地下で星座群を形成する・・・みたいなそんな宇宙が好き。ナチュラル・レゲエ@グラスルーツの宇宙宏氏の低テンションなトースティングも好き。。
で、窪塚くんだけど、彼はいったいどんな宇宙に向かっているのだろう?最近のブリトニー・スピアーズもそうだ。ノーパンで人前に現れたり、衝動的に自らバリカンで頭を剃ってしまったり・・・
現代の気違い部落は、それぞれの宇宙の中にある。
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- By harpobucho / Feb 19, 2007 4:13 am
気違い部落 in 宇宙 前編
キチガイ!
ブラク!
「声に出して読みたい日本語」ってのは確かに存在する。発話してはいけないからこそ、大声で何回も叫びたい衝動に駆られることがある。「王様の耳はロバの耳」の床屋のように。
そんなときは、まずゴダールだ。『気狂いピエロ』を「きぐるいピエロ」と発話する人間をボクは差別する。ここは思い切って「きちがい」と発話すべきだ。これはチャンスなのである。それでも物足りなかったら、きだみのるだ。映画にもなっている『気違い部落』というタイトルを発話するときは本当にドキドキする。このネーミングに実は精神異常や被差別部落の意味はないのだが、口に出した途端、やはりタブーを冒した気分になり、高揚感と罪悪感がぐちゃぐちゃに混ざり合った複雑な気分を味あうことになる。そして、それは残念なことに非常に美味なのである。差別が絶対悪であるが故に。
最近出たきだみのるに関する本『自由になるためのメソッド』が気になっている。マイミクwolfさんの影響も大なわけだが、最近、「エピソード・ハンター」の肩書きを名乗り始めてから、ボクの関心事が人類学や民俗学に移行していることに拠る。あの世界は、ホントにいい逸話の宝庫なんだもの。
昨日は素人の乱で赤松啓介の『復刻 民俗学』を100円でゲット。日本民俗学の祖である柳田國男にはあまり興味がない。やはりそのアンチである赤松や宮本常一に惹かれてしまう。歴史学では網野善彦だ。彼らが描く非常民(マルチチュード?)やアジール(T.A.Z?)の世界観を「美しい国、日本」として安部総理や右翼の方々と積極的に共有していきたい。
人類学に関しても中心からズレる傾向があって、マルセル・モースよりも、彼の教え子たちに興味がある。そのなかの一人がきだみのるってわけだ。他には日本人だと岡本太郎がいる。彼を講義に誘ったのがジュルジュ・バタイユで、コントル・アタック仲間のミシェル・レリスも学友だ。ミシェル・レリスは黒人(アフリカ)好きだしね。レヴィ・ストロースも教え子の一人だが、人類学者として出世しすぎたのであまり興味がない。
まずい。知ったかぶりが楽しくて、本題になかなか入れない。このへんの話はイルコモンズさんの「文化人類学解放講座」「文化人類学者に”なりそこねた人たち”と”なりすました人たち”の肖像」が面白いので、ボクは本題に進む。
本題は今日行った「宇宙村」へのフィールドワークの話のはずだったんだけど、これから用事があるので帰ってきてから続きを書きます。
宇宙村
- HarpoBucho
- By harpobucho / Feb 19, 2007 4:01 am
現代の海賊たち
スマステーションで中村玉緒が勝新太郎について語ってます。かなりレアな勝新写真や映像が流れていて得した気分です。勝新はいいエピソードに事欠かないから、エピソード・ハンターのボクにとっては人間国宝です。今、報道番組ではシチリア島でのサッカーセリエAの試合をめぐっての大規模な暴動映像が流れています。
はい、テレビばっか観ています。
サッカーにあまり興味なかったのですが、最近ドイツのあるチームが非常に気になってます。
森永博志が責任編集している『ドクロマガジン』に「現代の海賊たち」という特集で、ドイツ3部リーグに所属するFCザンクトパウリの記事があります。
「世界で最も罪深い1マイル」と言われている歓楽街(行ってみたい!)に本拠地を持ち、ついた愛称が「売春宿のサッカーチーム」。でもそこにあるのはサッカーだけじゃない。パンク、グラフィティ、スクワッティング、ドラァグクイーン、ラスタ・・・・とカウンターカルチャーの見本市みたいなサポーター文化。
チームの会長が同性愛者ってのも実は凄い。音楽業界じゃ珍しくないけど、圧倒的な男社会、一般的にナショナリズム、右的であるといわれるサッカーの世界でこれは驚くべきことなのです。しかも、もともとアーチストで活動家っつー略歴。ね、なんか凄いでしょ?このチーム。
もともとFCザンクトパウリは労働者たちによって支持された保守的なカラーのチームでしたが、80年代に誰かがドクロの旗を持ち込んでから、急にオルタナ系のファンが増え始めたとか。その頃にはクラブの規則には「性差別、人種差別禁止」などの基本理念が明記されていたとか。
試合観たことないけど、なんかサポーターになっちゃいそうです。ドクロTシャツ、ネットで買えるので着ちゃおうかな。ボクがドクロなんて意外でしょ?ギャップってのがモテる、って女性誌に書いてありました。
誰がいつドクロを応援に持ち込んだのか、とかいいエピソードが書いてあるので、エピソード・ハンターの方は立ち読みしてください。写真もいいです。
ドクロを持ち込んだ男が「パンクって何?」と訊かれて、こう応えています。
「俺が知りたいよ。パンク・・・・何かに対抗すること。助け合うこと。良い音楽を聴くこと。行いに信条があること・・・・かな。」
イエス!
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- By harpobucho / Feb 04, 2007 4:15 am
特集:盗む
昨日の「シュガーヒル・ストリート」のライムスターのパフォーマンスはなかなか良かったです。来週はマイティ・クラウンがパフォーマンスするよ。はい、テレビばっか観ています。
でもテレビ観ながら読書もしています。今読んでる昔の雑誌『遊』の1981年11月号の特集が面白いです。「盗む」
「みんなで盗めばこわくない」ってキャッチコピーで多くの著名人が盗み体験を告白。このへんはけっこうアクチュアルで面白いんでまた改めて書きます。
今日は人の日記を盗みます。Chai-Royさん、ゴメンナサイ。
ギャングがモリッシーを聴いてるってオモロエピソード。こーゆー情報をたくさん収集したいです。巷の噂レベルでいいんで。あと以前の日記でボクが絶賛した劇団ひとりの映像。検索で探してもなかなか出てこなかったのは、盗んだ側の知恵です。テレビ局は盗みに関しては厳しいですからねー。自分たちは盗みや騙しばっかやってるくせに。
◆チカーノ・ギャングとザ・スミス
結構古いインタビュー(2005年11月)からですが・・・。
トーマス・キャンベル(TC)「ひとつの重要な新しい動きは、チカーノ・コミュニティがモリッシーを大好きになったということ。それは本当に巨大なシーンになってるんだ。カリフォルニアで最近起きた一番クールな動きだよ」
トミー・ゲレロ(TG)「しかも、チカーノのギャングの連中がモリッシーを聴いてるんだよね」
TC「そうそう。ボクの家の前のギャングの連中が、モリッシーを聴いてたしね。セントラル・バレーの方でそういう連中が多いんだ。フレズノにメキシコ移民の農民が多いんだけど、モリッシーがでかい会場でライヴをやって、チカーノ・コミュニティの連中がみんな見に来るよ」
TC「チョロ(チカーノ・ギャングスター)の連中がモリッシーを聞いてるっていうのは、すごくハードコアなヒップホッパーが、ボーイ・ジョージを聞いてるのと同じようなものなんだ。スヌープがボーイ・ジョージとツルんでたらヘンだよね」
TG「ザ・スミスを聞いて、連中は癒されるんだよ。ボクの持論は、ハードコアなギャングの連中は、仲間が撃たれたりすると、ザ・スミスを聞いて心を慰める」
- HarpoBucho
- By harpobucho / Feb 02, 2007 4:18 am
アソコのポジショニング問題
いきなり不謹慎なことを書いちゃいますが、芸能人の訃報というものは、退屈な日常生活にサプライズをもたらすエンターテイメントだと思ってます。芸能に携わるということは死までも見世物にすることではないか、と。葬式は彼ら/彼女らの最後のショーであり、テレビを通じて、一大スペクタクルとしてお茶の間に届けられるわけです。勝新の葬式のワイドショー映像、誰か持ってない?
丹波哲郎や岸田今日子の死がボクたちにとってショックなのは「大霊界」や「ムーミン」といったかたちで幼少時代に刷り込まれ、自分のイメージの中に入り込んだ何かを失ったことがショックなのであり、要は自分が想像以上に年齢を重ねてしまったことに対する驚きでしかないのです。
しかし、訃報で久々にヘコむ気分を味わいました。カンニング中島の死は、全盛期の虎ノ門を観ていたテレビっ子のボクにとっては、知人の死のように、フツーに(=とても)ショックなわけです。中島の死は葬儀のスペクタクルを生み出さないし、誰のノスタルジアも刺激しません。芸能人としては無駄死にです。まったく無念でなりません。
相方の竹山は、これから「かわいそうな人」というカテゴリーに分類されてしまうでしょう。これは汚れ系コメディアンにとってはタレント生命にかかわる大危機です。コメディアンにとっては、味方(ファン)と敵(逆ベクトルのファン)の視線のみが重要なのです。同情の眼差しほどキツいものはありません。竹山は、これを振り払うために、タレント生命をかけて相方の死をネタにする可能性がなくもありません。あるいはタレント生命を自ら絶つかもしれません。あんがい何事もなかったようにタレント活動を続けているかもしれません。今後の竹山の動向に注目です。
で、やっと本題なのですが青島幸男が死にました。ボクが嫉妬心で呪い殺したのかと思いました。ボクは青島幸男を妄想の中でライバル視していました。彼の芸風が好きなわけじゃありません。都知事としての仕事は全く知りません。ただ彼のポジショニングのみに嫉妬していたのです。
高度経済成長絶頂期に、サラリーマン経験もないくせに「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」と作詞して『ニッポン無責任時代』を演出した立役者が彼なのです。スーダラの思想家なのです。スーダラスタファリズムにとっては、ラスタファリズムにおけるマーカス・ガーヴェイのような存在なわけです。
スーダラとか無責任男とか聞くと植木等のことを連想しがちですが、彼はいたって真面目な性格だったらしいです。青島幸男が作詞した『スーダラ節』の歌詞の不真面目さに悩んだあげく、郷里の父に相談したくらいです。有名な話ですが、浄土真宗の僧侶である父は、その歌の歌詞を聞いて、「この歌詞には浄土真宗の教えがある」と言ったそうです。そして「スーダラ節」が生まれ、「スーダラスタ節」が生まれました。スーダラスタファリズムの思想的側面に影響を与えたのが青島幸男だとすると、情動的な側面に影響を与えたのが、植木等の父、植木徹誠だったのです。
青島のポジショニングのうまさの話をしようと思ったのですが脱線ついでに植木徹誠のいいエピソードを記しておきましょう。
世の中の戦争熱が高まっている頃、招集令状を持って壇家の人が挨拶にやって来た時、徹誠はこう言ってのけました。
「戦争というものは集団殺人だ。卑怯といわれても生き帰って来い。そして、なるべく相手も殺すな。」
今なら誰でも言えますが、あの時代にこんな言葉が言えるなんておったまげたものです。もう感動して、青島幸男のポジショニング問題はどーでもよくなりました。もう書くの疲れたし。
が、本題を書かないで終わる日記も寂しいので、簡単に要約しておきます。
クレイジー・キャッツ期における青島幸男のポジションはものすごくおいしい。あの位置にあこがれる。平成の無責任男こと、高田順次のあのポジションも同様にものすごくおいしい。あのポジションはただ待っていても獲得できない。楽勝に見えて、実は、かなり複雑な力に関する交渉事が必要とされる。それは密かに水面下で進行する。日々、ちょっとずつズラしていく。その結果があのポジションなのだ。
ボクの職場でのポジションもいい感じです。なんと今年の仕事納めは明日!怒涛の18連休です。同僚はもっと年末まで働いているんだけどね。これは単にボクの境遇がラッキーなのではなく、日々の地味な交渉術のなせる高度な技(アート)なのです。楽するためなら努力しますよ。
こんないいかげんな発言が周囲に許されるようになれば、そのポジショニングは大成功です。いい加減です。ボクはまだまだですねー。
↓
高田純次 発言集1000選
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- By harpobucho / Dec 21, 2006 4:21 am
渋谷で忍者を目撃!
エイドリアン・シャーウッド&リー・ペリーのダブレッスンのことも書きたいし、アナーキスト人類学者のデヴィッド・グレーバーとRLLの交流のことも書きたいけど、それ以上にインパクトのある出来事に遭遇したので、そのことを感動が薄れないうちに書いておこう。
渋谷で忍者を見たのだ。あの動きは只者ではない。
真昼間から『日本の夜 女・女・女物語』というモンドドキュメンタリー映画を観る為に、渋谷に行った。ボクは渋谷駅東口の階段を下りていた。下からは今時のスカート短めの女子高生が昇ってくる。彼女が忍者だったのではない。その後ろにピッタリと存在を消して付いてきていたおっさんが忍者だったのだ。見た目は50代くらいのややしょぼくれたフツーのおっさんである。
そのおっさん、視界から一瞬姿が消えたかと思ったら、完全に身体を屈め、顔をスカートの中に潜り込ませそうな勢いで覗き込んでいるのだ!そして任務を遂行した後、猛ダッシュで階段を駆け昇り、駅の雑踏の中に消えていった。
時間にして3秒くらいの出来事。その女子高生はまったく覗かれたことに気づいていない。目撃者はボクとボクの後ろを歩いていた女子二人組みくらいだろう。
ボクとその女子二人組みはお互い顔を見合して、この驚くべき行動について感動を共有した。確かに軽いとはいえ、性犯罪は憎むべき行為である。だが、ボクらはその完璧な職人技に感動してしまったのだ。いや職人技ではない、やっぱりあれは忍術に近い。
そんなリスクを冒してまでも女子高生のパンティが見たいのか、という途方もない呆れと、その動作の俊敏性への単純な驚愕と、なんか、いま貴重な瞬間の目撃者になれた、という喜びが交じり合い奇妙な高揚感の中でボクは『日本の夜 女・女・女物語』を観たのだった。
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- By harpobucho / Nov 06, 2006 4:29 am
痴女ボウラー
AVを借りたのですよ。だって男子だもの。みんな日記には書かないけど、男子はみんな借りるの。
レンタル屋のAVコーナーは実に異様な空間だ。無言で今夜の相手を物色する野郎どものエロの共同体。労務者から会社社長まで、AVの前では身分は関係ない。生身の女性相手では、そうはいかない。そこには歴然とした性の格差が存在する。
たまに女子が好奇心や彼氏のお供でそこに入り込むことがある。そのときこの共同体の秩序が乱れる。それが実にスリリングで、ボクはそのような光景に3回ほど遭遇したことがある。
本題
ボクは「痴女ボウラー」なんてチョイスはしていない。しかし、今、ボクの手元にそのAVがある。店員が間違えたのだ。ボクが本当は何を借りようとしていたのかはトップシークレットであるが、痴女+ボウリングというチョイスはありえない。痴女の魅力は否定しない。とゆーか好きだ。しかし、ボウリングにはまったくエロを期待していないのだ。ボウラーとくっつくことで痴女という言葉の魅力が殺されているとも思う。
でも、せっかくなので4倍速の早送りで観てみた。ボウリングのピンのようになる気配はまったくない。完全なガーター作品。
明日、レンタル屋の店員にクレームを言うかどうか迷ってる。「痴女ボウラー」が性的嗜好のストライクだと思われちゃ困る。しかし、AVレンタルで面倒事も粋じゃない。
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- By harpobucho / Oct 13, 2006 4:35 am
反スピ反シャブ
覚せい剤撲滅プロパガンダ 小さなおっさん編
これがおっさんじゃなくて、美少女だったら、アキバ系オタクどもは悶絶死するだろうな。動くフィギア。どうやら、小さな人たちはバスルームに住んでるみたいです。
東映編もよろしく。
覚せい剤撲滅プロパガンダ 東映編
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- By harpobucho / Oct 08, 2006 4:38 am
真夜中に蛾を殺す。
さっき異様な光景を見た。まだ動揺している。
22時半に仕事を終わらせ、いつものように青梅街道を自転車で走っていた。今夜は新宿OPENで「光るヨーグルト」をやってるので、ちょっと踊っていこうかな、とも考えたが、久しぶりに朝からの労働でヘトヘトになっていたので家路を急ぐことにした。
中野坂上の手前の道は暗くて人通りが少ない。前方に人影がある。一人は横たわっていて、そのすぐ近くにもう一人が突っ立ている。友達が酔いつぶれたのかな?と思いながら、自転車で通り過ぎたわけだが、どうも様子が変だ。心拍数が急激に上がり、通り過ぎてからも現実を確認するために3回振り返った。その後猛スピードで自転車を漕いだ。決して後ろを振り向くな。
ボクが見た光景はこんな感じだ。倒れている男の頭は真っ赤に染まり、頭部の周りにはかなりの面積の赤い海ができている。ハッパネタとエロを目的に立ち読みした『BURST』で偶然に開いてしまったコロンビアの死体写真とまったく同じ光景。
まあ、百歩譲って、死体は珍しくない。人は必ず死ぬ。故に死体が道端に転がっていてもおかしくはない。死体や狂気など、人間の生の部分を隠蔽してきたのが近代だが、ときにはそれが剥き出しになることもある。ボクが震撼したのは死体(と決め付けているが)ではなくて、死体の前に突っ立っている男の存在である。3回目に振り返ったときにその男と目があったのだが、いたって普通の顔をしてるのだ。感情のない顔。まるでバス停でバスを待っている朝のサラリーマンの顔。彼は何者か。殺人者なのか。
疲れによる幻覚であって欲しい、あるいは映画の撮影かなんかであって欲しいと願ったが、あれはゼッタイにリアルだ。昨晩の出来事を思い出した。
昨晩寝る前に巨大な蛾を殺した。どこから入ったのか、家の中に10センチ近くある巨大な蛾が毒粉を撒き散らしながら、恐ろしい羽音を立てて暴れまわっていた。ゴキブリと蚊以外の殺生は基本的にしない主義だが、ここは奴を殺さない限り、安眠できない、と思い、殺しを決意した。
真夜中に蛾を殺すというのは、なんだかエロチックな行為だ。こんなことを書くと頭がおかしいと思われるかもしれないが、蛾は蝶よりも肉付きがあり、セクシーなのだ。毛皮のマリーみたいに。殺虫剤で弱らした後にコンビニ袋に閉じ込め、トドメを刺す。潰すのは躊躇した。腹部から漏れる体液の色が怖かった。毒殺しよう。コンビニ袋の口に殺中剤を入れ、勢いよく噴射した。ボクは蛾を殺した。
さっき見た死体は昨晩の蛾の分身なのか。そしてあの男は・・・・
- HarpoBucho
- By harpobucho / Sep 29, 2006 4:41 am
高円寺のLKJ
久しぶりに新宿タワレコに行ったら、買いたいCDが20枚くらいあって、頭がクラクラした。レゲエの再発モノコーナーにて。最近いつも思う。商品に殺されるって。DJの人たちってカッコつけてヴァイナルジャンキーとかいうけど、あれって買い物依存症のことでしょ?
とにかく情報=商品が多すぎる。鈍感にならないとこれはやっていけない。だから、みんな文化に鈍感でいるのだな。一番身近なテレビを付けて、あゆとかB’zとか聴いて暮らしていた方が楽チンだもんな。八百屋や床屋で濃厚なコミュニケーションするより、コンビニで済ましたり、美容院ですました会話する方が楽チンチン。
情報や商品じゃない形で文化の一番おいしいところを頂きたい。そんなことを考えている。やっぱり街頭に出るのがいい。そこには生きた文化がある。これから生まれるであろう文化がある。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.youtube.com/watch?v=rQUmxHbIO5Y
昨日の明け方にアップしたYoutube画像へのアクセス数がもう2千を越えている。はてなブックマークでも注目されてる。
でも
マイミクから批判もあった。火炎瓶を投げるような(実際投げないにしてもそんな考えを持った)デモには参加できない、と。それは映像に対してピア過ぎやしないか?それともあんな映像を気軽に使うボクの方が麻痺しているのだろうか?ユーチューブ・リテラシー問題。
デモのプロパガンダとして作った映像なので、一人の人間にこのデモに行くのはよそうと思わせたってことは、効果として成功である。それが反対方向への導きであっても、人の心を映像で動かしたという自信がボクに生まれた。調子に乗って、第2弾、第3弾と作っていこう。
今、これを書きながら観ているドキュメンタリー映像「ドレッド・ビート・アンド・ブラッド」がやばい。今日、雑誌『スタジオ・ボイス』と『マッサージ』と一緒に買った。CDは買いたいのがあり過ぎるので、一枚も買わないことに決めた。代わりに本を買った。平岡さんとの仕事(遊びに限りなく近い)も一段落ついたので、シメに阿部嘉昭さんオススメの『官能武装論』を。これを読んだら、ちょっと平岡離れをして、次の遊び相手を探そう。昨日、NHKに出てた赤瀬川源平さんなんてイイね。屋根からニラが生えている家に住んでるんだよ。平岡さんと赤瀬川さんの共通点は思想的変質者ってとこ。結局のところ変質者好きの凡人なのだ、ボクは。ボクは変態じゃないと最近、強く主張しているのだが、あまり周囲に認められないのが最近の悩み。
って話をドキュメンタリー映像に戻と、これは1979年英国製作のリントン・クウェシ・ジョンソン主演の幻の16mmフィルム。もうこの時代に幻なんてないのだ。同じく幻のUKレゲエ映画『レゲエ・イン・バビロン』もDVD化されるし。ただし、『ハーダー・セイ・カム』と『カントリーマン』とのボックスセットを買わなきゃ観れないので、両方ともビデオ持ってるボクとしては単体で欲しい。誰かボックス買って焼いてください。
って今日は話がそれまくる。誰かの影響だ。LKJが若い。ブリクストンの町並みがいい。70年代~80年代町並みファンにはたまらない。この時期のニューヨークの町並みも素敵なんだな。ブリクストンは西インド諸島の移民たちの町なので、雰囲気はキングストンに近いわけだが、ボクには高円寺に見えて仕方がない。いや、マジで。
LKJが現代日本に若者として生きていたら、きっと高円寺でフリーター詩人やってるはず。そして9月16日の「家賃をタダにしろ!中野→高円寺一揆」(あるいは「家賃廃止要求デモ」)に参加しているんじゃないのかな。
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- By harpobucho / Sep 08, 2006 4:43 am
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2010.2.27 反新宿署!高円寺路上大パーティざまあみろデモ 【予告編】-
覚せい剤撲滅プロパガンダ 東映編 -
2006/9/16 家賃をタダにしろ!中野→高円寺一揆!予告編
家賃廃止要求デモ!
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