反転するやつし
年末に大掃除をしてたら、模索舎月報2010年4月号が出て来た。そこにボクは「失業カルチャーを生きる」というタイトルでこんな文章を書いていた。
「失業カルチャーという側面から歌舞伎を見るときに「やつし」という概念は重要だ。身分を降格させて、本来の生活状況とは違う生活状況に生きる人物のことを「やつし」という。やつしにとって大切な点は単に下降した生を生きるということではなく、下降した生を生きながらも、本来の生を保持していることである。」
海老蔵事件を予見(?)したかのような文章である。身分の低い者(海老蔵目線で)にボコボコにされ、卑しいワイドショーの餌食にされ、極上(極下?)のやつしを味わった海老蔵の復帰後の芸力が愉しみだ。
人のことを考えている場合じゃない。ボクが最大限の関心を持っているのはやはり自分問題である。やつしな生活から抜けでようとしているのだが、はたして戻るべき本来の生活がどこにあるのかさっぱりわからないのである。
正月に和田掘公園で物騒なものを拾った。
金色のマシンガン。銃剣付き。子供のおもちゃに刃物はえぐい。なかにタマが数発入っていたので夕日に向かって発砲してみる。今年の抱負は武装闘争? それはありえない。拾い物や貰い物との遭遇に因果な意味を求めたがるボクは、このマシンガンとの出会いがいったい何なのかオチをつけたくてしょうがない。数日前に100円で買ったハイジャックの女王の本のせいもあるのだろうか。
周りの人間から言われている影響か、実は失業状態が本来のボクのあるべき姿なんじゃないかという気もしていて、そう考えるとまた明日からやつしの日々が始まるわけである。
- HarpoBucho
- By harpobucho / Jan 10, 2011 11:48 pm