脱がしてツボ圧し読書
付箋のフェティシズム
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以前、誤って洗濯してしまい凝固した付箋の質感にグッとくるというフェチ日記を書いた。本を読む行為よりも、本がある暮らし(必ずしも読む必要はない)が好きなボクにとって興味をひくものは文字を追うことよりも、本そのものの存在を愛でることなのかもしれない。
だからボクが本を手にとりまず最初にする儀式は、全体のページをパラパラめくって序文やあとがきなどを軽く流した後に、本の帯を外し、そして本のカバーを脱がして丸裸にすることだ。
まさかそんなとこは見られないわよね、と油断している本もあれば、脱がされることを意識して勝負下着の如く気合いが入ってる本もある。図書館で本を借りて一番残念なことは、カバーがビニール加工されていて脱がすことができないことである。
intellipunk装丁本を脱がしてみると派手な蛍光『ヒップ』。勝負下着か。
『ドゥルーズとガタリ 交差的評伝』を脱がしてみると、なかなか素敵な質感の裸体。おもわず付箋の彫刻を置きたくなってしまったのだった。
もちろん中身もちゃんと読む。付箋を圧していく場所はその本のツボである。付箋の最も非合理的な使用法が上記の写真だとしたら、下記の写真は付箋の大変合理的な使い方だといえる。
水色付箋=ドゥルーズエピソード
ピンク付箋=ガタリエピソード
黄緑付箋=交差的エピソード
黄色付箋=ゴシップエピソード
付箋の色分けによって印象深いエピソードのジャンルを分けてあるので、後の発掘が大変楽ちんなのである。一番読み返してしまうのはやはりゴシップエピソードなわけで、思想家や偉人の伝記を読むときは、恐縮です!の梨本視線をいつも心がけている。
本に奇麗に貼れる紙製ではない付箋に変更してしまったので、もう二度と付箋の彫刻が作れないと思うと少し寂しい気もしないではない。
- HarpoBucho
- By harpobucho / Oct 23, 2010 3:45 pm