朝のつぶやき集5

気付くと一ヶ月近くブログを書いていない!
mixi日記をtwitterな気軽さでさらっと書いてそのまま放置が続いてしまった。
ちょっとここにまとめてみよう。

悩と脳 2010年06月02日09:10

なんだか最近すごく悩ましい。

別に落ち込んでいるわけではなく、相変わらず楽観的な思考スタイルなのだが、人生で一番悩ましい季節を迎えている気がしてならない。友人と少しでもトークを深めると悩ましい話題に移行せざるをえず、ボクは密かにこの治療法を「友人セラピー」と呼んでいる。逆に相手の相談にのっていると自分の悩みを相対化できるので、友人セラピーは互酬性があってよい。セラピーDiYのすすめ。

「悩殺」という言葉があるように「悩ましい」という響きにはどこか官能的なものがあり、やみつきになる。「悩みがないのが悩み」と嘯いていたスーダラ時代がかつてあったが、脳内ではいまや毎日のように長時間の自分会議が開かれている。

会議中の脳みそを活性化させようと昨日映画の日にギャスパー・ノエの新作を観に行ったら悩みはさらに官能的に深まったのだった。「2010年SEXとマジック・マッシュルームの旅」と宣伝は映画の見世物性を前面に出している。しかも映画の中にLSDやDMTは出てくるけどMMは出てこない。なんともいかがわしい映画。舞台はTOKYOで欧米人のエキゾ趣味全開である(「チベット死者の書」とか出てくる)。

『エンター・ザ・ボイド』
http://www.enter-the-void.jp/


環境を変える 2010年06月03日09:03

ソフトバンクのケータイを持っていると、なんでiphoneにしないの?と問いつめられることが重なり、ついに意を決して機種変更しにソフトバンクのショップに。

長年ソフトバンクを使っているのでポイントがたまっており、月々に支払う額はあまり今までと変らないのだが、頭金5250円払えといわれやめてしまった。ショップによってシステムはまちまちで、頭金がかからないとこもあるというのでそこで契約しよう。どこがいいのか。やはり量販店か。

基本ケータイでネットをやらないんだけど、移動中にドミューンを聴きたい。平日の夜、部屋に縛られているのはやはりよくない。ケータイをもって町へ出よう。

環境に大変作用されやすい性質なんで、悩ましいときにはまず環境を変える。とりあえず情報環境から。次は労働環境。この話はちゃんと書かなければなるまい。


朝の間 2010年06月04日09:03

最近は朝起きて窓を開ける瞬間が一日の中で一番好きな間だ。天気のいい日はなおさら。東からの斜光で木々の緑がキラキラしている。

窓を開けたら、まず空気を肺いっぱいに吸い込む。そしてメダカに餌をあげ、植物に水をあげ、小鳥のさえずりに耳を傾ける。コーヒーを飲みながら、ゲゲゲの女房を見る。貸本~漫画雑誌初期の赤貧時代。水木サンの名言「才能と収入は別なんですよ」という言葉を思い出す。

チャーリー・パーカー(バード!)を聴きながら、mixiの日記を書く。窓の外から聴こえる鳥の鳴き声とのジャムセッション。この前、窓からめじろが部屋の中に飛び込んできて5周ほど天井をぐるぐるまわって飛び立っていった。残していったものは糞尿! しかも真っ白い襖を汚していきやがったのだが、よくよく糞尿痕を見てみるとクールな日本画みたいに見えて結構気に入っている。なんでも見方次第である。

筆がのってくるころには出発の時間が迫っている。社会人としての準備をまったくしていないことに気付き、日記をたたみ、モードを切り替える。あわただしいのなんの。さっきまで優雅に大空を飛び回っていためじろが狭い部屋の中に迷い込んだ途端、見苦しくバタついているかのごとく。


朝の間はあっという間。


夕の魔 2010年06月05日09:14

夕暮れの散歩が大好きだ。特に平日の。川の水や草木の緑を照らす西からの射光が大変美しい。

失業時代の最大の楽しみを今振り返ってみると、裏庭(と勝手に呼んでいる)の和田堀公園の夕暮れ散歩の間だったかもしれない。この一帯が「杉並のチベット」という呼ばれ方があるのを最近知ったが(誰も呼んでないかもしれないけど)、「カフェ・タンジール」という自宅カフェをやっていたので、個人的にはモロッコがある一帯の呼び名「マグリブ」に見立てるほうが気にいっている。アラビア語で「日が没するところ」という意味で、日本の美称「日出ずる国」の反対だから賛成なのだ。

永福図書館の裏にあるパンザマストに設置されたスピーカーから流れる「夕焼け小焼け」の響きがタンジールで聞いたアザーンの響きに似ているもんだから、散歩途中の図書館観覧がボクにとってはモスク礼拝、なんてこと書くとムスリムの方に怒られそうだが、図書館には確かに信仰すべきカミがいた。

夕暮れ時は「逢魔が時」(おうがまどき)などと呼ばれ、人間の時間が退潮し魔性のモノたちが出没し始める境界の時間だと昔の人は考えていた。今でもそのフィーリングは生きていて、その間の魔を感じるためにボクは散歩を繰り返していたである。

「俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。父さんが胸やけで、母さんが霜やけだった。わっかるかなァ~? わっかんねぇだろうなァ~…」

夕暮れ散歩を繰り返すと、この松鶴家千とせのギャグのサイケデリックの先にある深いブルースがわかってくる。

わっかるかなァ~?



つづく





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  • By harpobucho / Jun 20, 2010 10:11 pm

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