小悪魔なアゲハ蝶
ここ最近の悩みなき(不安多き)生活のなかで唯一悩んだことといえば、アゲハ蝶を殺すかどうか、だ。
我が家のヤヴァンガーデンを大人の香りで引き立てるサンショウの葉にアゲハの幼虫を発見したのは一週間ほど前だ。ベランダーの精神を受け継いだ自由放任野蛮スタイルなもので、放置していたらどんどん葉がなくなっていく。恐ろしいほどの食欲で植物を葉抜きにする小悪魔。しかもやたら糞がでかく、それを素敵な香りの葉の上に置いていくものだから、不快極まりない。我が家のサンショウを食卓にする居候の身であれば、糞を土に落として肥料にするくらいの最低限の仕事をしてくれなくては困る。かわいいサンショウの葉の数が減るにつれ次第に殺意が芽生えてくる。ヤヴァン・ガーデニング初の害虫認定か。
箸でつまんでポイっと外に投げれば奴はきっと死ぬだろう。アゲハの幼虫は大食いのくせに美食家で、サンショウや柑橘類しか食べないという貴族気取りで、道ベタを這っている雑草なんかには目もくれない。かといって奴のためにサンショウやミカンの木を探すほどこちとら暇ではない。サンショウの実の収穫を邪魔する害虫は排除すべきだ。どうしても生きたければ雑草を一回、食ってみな。
が! 奴を捕まえようと、観察しているうちにそのつぶらな瞳にストーンと恋に落ちてしまった。なんだかかわいいのである。新幹線200系をガチャピン仕様にしたような機関車トーマス的なかわいさ。それゃ走るためには燃料たくさんいるよね~と急に昆虫視点に世界が切り替わる。植物中心主義から生態系相対主義へ。これを園芸論的転回という。
最近の農ブームで田植えや畑いじりによく誘われるが、それを断り続けているわけは、農業は結局、食品を育てるのが目的であまり面白いとは思えないからだ。もちろん重要な営みトップクラスであることは間違いない。ただボクの興味が農業の「業」に興味がなく、園芸の「芸」に興味があるだけの話。ボクは園芸を「理想の生態系を作るユートピア企画」として捉えていている箱庭療法中の患者だ。
アゲハの幼虫のかわいさは、醜い故の反転したかわいさでもあるわけだが、ボクが恋に落ちたポイントは実はそこではなく、芋虫が持つ潜勢力にある。ゆっくり這うしかできない不自由なカラダからメタモルフォーゼして空を自由に駆け回れる翼を獲得するカタルシスへの賭け。食欲によって現れるその自由への狂おしい渇望はピュアな恋のように美しい。そう考えてからは、もう奴のことを奴とは呼べなくなり、彼女の美しき自由が達成できるように応援することを誓うのだった。
あくる日、朝早く目覚ましがなって起きると彼女はどこにもいない。カラスにでも食われて死んだのか? その死は非常に悲しい。食い尽くされたサンショウの葉が無駄になってしまう。彼女には、綺麗なアゲハ蝶になって飛び立って欲しかった。しかしこれも生態系のルール。諦めるしかない。
そのとき彼女は葉の裏からひょっこり顔を現した。葉隠れの術かよ!
安心した。しかし心配もしている。この勢いで葉を食べ続けたら、サンショウは丸裸になり、彼女は飢え死にするだろう。「超」がつくほど偏食なので隣のセージやバジルを食べることができない。将来のアゲハ蝶にボクが言いたいのは、目先の欲望に踊らされ、消費しまくるのではなく、働きまくるのではなく(アゲハ蝶の幼虫にとって消費と労働は同じ行為である)、もっと怠けろ、ということだ。自由のために食べ続けてるわけだが、自由への道を食べつくしては元も子もない。どうか命を大事に。
サンショウの葉がなくなるのが先か、幼虫がさなぎに変態するのが先か、ギャンブルが成立しそうだ。
アゲハの幼虫について(見分け方)
http://www.h2.dion.ne.jp/~usako/ageha.html
この親切なサイトによると、ボクの前に現れる予定のレディーはモンキアゲハのはず。黒ずくめでセクシー。そして利休好みである。
- HarpoBucho
- By harpobucho / Jun 15, 2009 6:36 pm