有罪者、夜まで幽閉
今日は一日部屋に閉じ込められている。ハローワークに行こうとドアをあけたところ、足がとまる。アパートの外廊下にゴム素材の下地を朝一で塗ったため、乾くまで外出できないことに気づく。
たしかに昨日、業者さんが挨拶にきて、この事態を把握していたつもりだが、具体的な作業時間を聞いていなかった。時すでに遅し。さきほど大分乾いていたので恐る恐る靴下を履いた足を地面におろしてみたが、靴下の生地がメリっとが地面にひっついた。まずい。足跡を残してはいけない。完全に乾くには夜まで待たなければなるまい。ハローワークに行けない。夜が待ち遠しい。
鎌倉のお洒落カフェやギャラリーを廻ったり、ハーブやイチゴの苗木を入手してベランダでボタニカル・ライフをはじめたり、週初めからグラスルーツで踊ってみたり、今日なんかは幽閉生活=読書のチャンス、ってことで20世紀の思想の星座を頭の中に散りばめてみたり、なんだが優雅な無職生活なのだ。仕事への切迫感がないのは、「百年に一度の大不況」という言説のせいか。百年の蓄積には敵わない。
本日のエピソードハンティング読書は矢代梓『年表で読む二十世紀思想史』、今村仁司『思想の星座』、青土社の新刊、酒井健『バタイユ』。矢代氏の逸話細部への執着、今村氏の西洋思想家への毒舌、酒井氏の「夜」への探究心に刺激されながら、今後の「しのぎ」問題について考える。あー暗くなってきた。気分が、じゃなくて、外の明るさが。夜は近い。
「私は、一人のまま、こみあげてくる笑いの潮に溺れていく。海の動きのように穏やかで、屈託のない笑い。私は夜の広大な光のなかに、私の非情な陶酔のなかに、私の不安のなかに、横たわる、すべてを空しいと知ることで、私は耐えているのだ。これほど気違いじみた仕方で戦争を捉えている者は一人もいない。そうすることができるのは私一人だけだ。他の人々は、心身を存分に責めさいなむ陶酔とともに生を愛してはいないし、悪夢の闇のなかで自分を見出すこともできずにいる。幸福な笑いから出口なしの興奮まで続く夢遊病者の道を、彼らは無視している。」
(ジョルジュ・バタイユ『有罪者』第一章「夜」)
- HarpoBucho
- By harpobucho / Mar 31, 2009 6:39 pm