藍色のブルース
昨日引用したベンヤミンの元ネタは『すばる』4月号の今福さんの『群島-世界論 特別編』なわけだが、そのサブタイトルが「ふたたび南に還る アメリカという藍色の希望」なのだ。そして今、ボクは強烈に藍色(ブルーブラック)の気分を味わっている。
今日、10年近く務めた職場を退職した。失業や失恋など「失」に最も合う音楽はブルースのほかにない。ロバート・ジョンソン、マディ・ウォーターズ、ジョン・リー・フッカー、アルバート・コリンズ、ブラインド・レモン・ジェファーソン、ハウリング・ウルフ、ボ・ディドリー、ハウンド・ドッグ・テイラー、ライトニン・ホプキンス、レッド・ベリー、リトル・ジョー・ワシントン、ジミ・ヘンドリックス、忘れてはならない偉大なる三大キング、吾妻光良&スインギン・バッパーズ、高田渡、そして何といってもスリム・ハーポ(以上がボクのPCに入ってる数少ないブルースマンのリストである。ブルース筆おろしの恩師エリック・クラプトンはあえて排除)の力強く腑抜けた声が心に染み入る。
ボクが一番信頼しているレゲエという音楽も広義においてブルースである。今福/ヒューストン・ベッカーJrが言うようにブルースとは移動性を凝縮した、極めて洗練された音楽表現なのだ。ある場所からある場所への移動の心象に深く訴えかける音楽がブルースの本質なのだと思う。60年代イギリスの移民音楽レゲエが「ブルー・ビート」と言われる由縁もそこにあるんだな。たぶん。
スーダラスタ・イエロー・ニグロなボクはどう転んでも黒人にはなれないのだが、「変りゆく同じもの」(リロイ・ジョーンズ aka アミリ・バラカ)としてのブラック・ミュージックには恩返しできないほどの負い目を感じている。その負債をどのように返済していくかが今後の最重要な課題なわけだ。
最近、やたら「河原者」という言葉が気になる木。失業という好機に恵まれ、失われた「業」について深く考えてみると、いつも辿り着く源泉が河原者なのだ。芸能のルーツであり、映画(活弁士)のルーツであり、庭師のルーツ。気違い部落としてのブラックカルチャー・アプローチ。
河原者文化研究会明日発足。まずは近所の善福寺川を歩くことからスタート。暇な方は限りなく透明に近いブルーな河原を斜め向いて一緒に歩きましょう。
以上、ブルーブラックな酔いどれ感傷日記でした。
- HarpoBucho
- By harpobucho / Mar 27, 2009 12:33 am