ワンダーウォールキャンペーン 第二次グラフィティファーダの呼びかけ
▲パレスチナに土地の自由を!(グアテマラの街から)
以下は、志賀直輝 (ホーリーネーム・キトウセイシ)からの呼びかけ。さあ、どう応答しようか。悲しみを喜びに反転させるためにしきりに頭を捻る。街の急所を攻める。「ここ」と「よそ」をつなげる編集術を探る。きっと何かできることはある。
World advance
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パレスチナのガザでイスラエル兵がパレスチナ人を好き放題殺している。その数は、500人を越えて今も毎日大人からこどもまで殺されている。そこで!私は、ワンダーウォールキャンペーン並びに第一次グラフィティファーダを昨年一緒にやった28人の仲間と新たな仲間たちに「ワンダーウォールキャンペーン並びに第二次グラフィティファーダ」を呼びかけたい!グラフィティファーダやインティファーダはあえて呼びかけるもんじゃないと思うけど、ここはあえて「運動」会の開会式のように威勢良く叫びたいと思う。
でも今回はIRA、気流舎、素人の乱などにポスターやステンシルを集めてハーポプロダクションがパレスチナに送ってそれをイスラエルが作ったパレスチナのアパルトヘイト壁(以下・分離壁)に貼るんじゃない。各地の地元の壁、又は目には見えないけど確実にそこにある圧迫感としての分離壁にグラフィティファーダしようと言いたい。
今思うと、イスラエルのいうセキュリティーのために置かれたパレスチナ人を日々抑えてつけている分離壁、チェックポイント、監視カメラ、兵隊の侵入など形は違えど日本にも似たような壁があると思う。たとえば私が、大学生の自治会に参加していた時、大学は高い学費の使い方を学生に相談することもなく大学美化のために無駄な新設を始めた。そして大学のメインロードに建設のための大きな壁が置かれた。最近は監視カメラの設置も議論されているらしい。大学を卒業してトラックの運転手になった。トラック内にはGPSがつまれ、いつもどこにいて、何キロで走っているかが事務所のパソコンにすべてチェックされていた。週二回の朝礼でどうでもいい話をされ聞いていないと怒鳴られた。会社内にはセキュリティーのためといいカメラがそこらじゅうにあった。12時間労働で休憩もほとんどなく疲れ過ぎて寝れないから寝酒を飲む。すると翌日のアルコールチェックで引っかかりまた怒鳴られる。トラックの運転手をやめて障害者学級の委託教員になった。学校もまた子どもたちへのセキュリティーを理由に教室から校内のいたるところに監視カメラが24時間回っていた。放課後、学校で遊んでゆきたい子どもたちは校内に隣接された遊びの施設を利用し、氏名などを明記し施設側が子どもたちを管理していた。子どもたちにとって一生に一度の小学校の卒業式、楽しく送り出したいのに「君が代・日の丸」の時間になると会場の空気は誰でも気がつくほど一気に凍りつく。教育委員会は教員が起立したままでいるかを細かくチェックしていた。日本やイスラエルの留置場は24時間体制で誰かに監視され厳しい管理がある。留置場から外に久々に出たとき、外と中のたしして変わらない点に気がついた。
私がパレスチナで毎日暴力を目の前にしていた環境、日本国内の目には見えないけどなにか圧迫感のある日常生活、日本やイスラエルの檻の中の空気はほとんど大差がなかった。
だから、私は今、私たちの近くにある近所の壁や目には見えないがそこにある居心地の悪さを作っている壁にグラフィティファーダまたはインティファーダしようとなんどでも言いたい。それが、また間接的にもパレスチナでの虐殺を止めてゆく手段のひとつだと信じている(ギリシャの暴動が各地に飛び火したように)。
それに街のいたるところにパレスチナ人を大量虐殺しているイスラエル軍を支援するスターバックス、コカ・コーラ、マクドナルド、エスティ・ローダー、ネスレ、インテル、マイクロソフト、IBMディズニー、ダノン、ロレアル、サラ・リー、Hanes、Champion、ジョンソン&ジョンソ、ノキアなどの広告が溢れている。ガザの虐殺などそ知らぬ顔で平然と開店してたり販売している。人殺しを支援している会社の広告があるんだから、人を殺すなという個人広告が街中にたくさんあっていいと思う。
それにやっぱり一人でやるよりどこかに同じ風に違和感を持っている人たちと連帯する方がずっと楽しいと思うし、もっといろんな可能性があると思う。これは一年前にやったワンダーウォールキャンペーンで学んだことでもある。もうすでにグラフィティファーダやインティファーダは世界各地で休むことなく続いているが、もう一度、ワンダーウォールキャンペーンをやろう!!
以下は時間があったら読んでください。
どうしてグラフィティファーダを呼びかけたかを聞いていただけるとうれしいです。それは今いるグアテマラという国が大きい。ガザへの爆撃、ジェノサイトが始まり、世界の各地でイスラエルに抗議する活動が行われている。私も心底デモに参加したいと思った。でも、ここグアテマラには私の知る限り抗議行動はない。じゃあ、抗議のビラでも作って街でばら撒こうと思った。でも、地元の友人やスペイン語の先生に警察に捕まるからやめろといわれた。それじゃあ、仕方ない、捕まるのは嫌だからこっそりグラフィティファーダするしかないと思った。警察や政府への恐れ、何もできないというのは軍事政権下ではよくあることだと思う。では、なにがグアテマラの人たちをそうさせているのか?
おそらくその原因として、1961年から96年まで続いた36年間の内戦と激しい抑圧のトラウマ。それにリオス・モント政権下・1982年のジェノサイトだと思う。特にこの82年の政府によるジェノサイトでは8ヶ月間で7万5千人ちかくが殺害され、440の村が消滅し、100万人を越す国内避難民、30万人の国外難民が生まれた。それも殺された多くが(現在グアテマラの人口の60%である)先住民のマヤ民族だった。それもマヤ民族を殺させたのは、同民族のマヤ民族だった。政府は自警団を作り、自警団に入らぬものはゲリラとして抹殺した。だから多くのマヤ民族は恐怖から逃れるために自警団に入らざるおえなかった。そして、自ら生き延びるためにマヤ民族がマヤ民族を犯し殺すシステムが維持された。これに武装して抵抗したゲリラ兵士や、また地道な活動で抵抗を続けてきた活動家たちは拷問され殺害された。もちろん、世界中の人権団体や国連が当時の軍事政権を批判し各国の軍事支援の停止をもとめた。にも関わらず、「虐殺や拷問の洗練された手法が、米国やアルゼンチン、イスラエルなどからグアテマラ軍部へ伝授され、とりわけCIAは1993年にいたるまでグアテマラ政府軍への支援を続けていた。」(グアテマラを知るための65章より)。
グアテマラ軍部は1960年代半ばから米国とイスラエルに育てられてきた。そのゆえんとしてイスラエルを「国家」として承認を世界で二番目にしたのがグアテマラでもある。
そう、ここにもやっぱり米国やイスラエルがいる。そもそも近年、世界各地で起きている大虐殺、独裁政権の背後に彼らが不在のことの方珍しい。それにしても36年間の内戦、ジェノサイトを起こしてきたグアテマラ軍部に対して米国やイスラエルの介入さいなかったら一体何人の人間がもっと生き延びれたのだろうか?
しかし注目したいのは、80年代のジェノサイトから、マヤ民族たちはただ殺されるだけではなく、独自の抵抗を長年続けてきた。ジェノサイトから逃れたマヤ民族たちは山中に「抵抗の共同体」という自給自足的な相互扶助の共同体を作っていた。2万人を超すマヤ民族が暮らしていた。(グアテマラ虐殺の記憶ー真実と和解を求めて 参照)
しかし、内戦後から現在に至るまで、グアテマラは米国やイスラエルによって動かされていると、地元の人は言う。さらにいまだに人権団体や活動家たちへの政府からの脅迫が続いているという。また、農地の多くは米国をはじめとする多国籍企業に抑えられているため、貧しい農民、特にマヤ民族の生活は中々貧困から抜け出せないでいる。また、内戦の後遺症として、各地で殺人などの継続的な日常としての暴力が続いている。
しかし、こういった状況を改善しようと立ち上がろうとするとすぐに米国や多国籍企業、世界銀行などにつぶされてしまう。いい例として隣国のニカラグアの1979年から90年まで続いたサンディニスタ政府時代があげられると思う。革命政府は貧困から脱するために農地を貧農たちに分け与え、医療施設や学校などを各地に作り、ただお金をかけるのではなく住民自身が直接参加することで問題を意識化し地域社会を活性化させようという試みが行われた。その結果、教育の向上により識字率は上がり、土地を得たことで十分な食物が子どもたちへ行き渡り、死亡率なども下がり始めていた。その矢先、このシステムを潰したのが、米国や世界銀行だった。そして親米政府ができ、子どもの健康は失われ、貧困の格差が拡大した(いのち・開発・NGO参照)。このとき、米国はこのシステムが「共産主義」で米国を脅かすということをいっている。
ここで重なるのが、今回もそうだし毎度おなじみのイスラエルがハマスやパレスチナの抵抗運動に対して言い放つ「ハマスのイスラム原理主義、テロリズム」がイスラエルを脅かす、だからテロを撲滅させるという理由。私自身、ハマスの実態としてはよく知らない。残念ながら現役のハマス兵士の友人もいない。でも、ハマスについて知っているのはパレスチナの友人たちからよく聞いていたハマス像だ。ハマス嫌いが多いのは確かだけど、ハマスを支援する友人たちがよく言うこととして、ハマスは「学校や医療施設をたくさん作る」ということだ。これはニカラグアの社会作りと共通する面があると思う。第一、社会をつくってゆくとき、一番に力をいれるべきことは、学校と医療さらに貧農たちへの土地の分配だと思う。これは世界各地のスラムやストリートチルドレンと遊んできて心底思う。いくらその国に金持ちがたくさんいても貧乏人が多ければ結局、国全体としては経済も活性化されずに全体として豊かになることはない。そういった意味でも、ハマスだけに関わらず、パレスチナという国は多くの人たちが学校や医療を大切にしようと考えている。少なくとも私が接してきた多くの友人たちはそうだ(パレスチナの教育水準は高い、病院もわたしでも無料で受けれる)。その一方、米国もそうだけど軍事にばっかり金を使っているイスラエルの教育や医療制度はパレスチナのそれとは逆に貧乏人たちに厳しい。パレスチナ人の多くは低収入だがホームレスはいない。しかし、逆にホームレスが多いのもイスラエルだ。こういった意味では確かにイスラエルにとって健康な身体としっかりと教育を受けたパレスチナ人は脅威そのものかもしれない。
米国人だろうがイスラエル人だろうが、どこの子どもたちにも教育と健康な身体を得る当然の権利がある。それを潰すことは誰にもできない。しかし、昨日(1月7日)の地元の新聞にはイスラエルがガザの学校に爆撃して40人が殺されたと書いてあった。これほど許されない行為はないと思う。
こちらの新聞は親米・親イスラエルだけあって、ハマスを「テロリスト」と書いてある。日本の記事も見ても「イスラム過激派」と目にする。簡単には言い切れないけど、ある面では、この「テロリスト」たちは学校や医療施設をつくり、人々に健康と知恵を広めてゆこうとしてる。それに元々自分たちの土地を他国に武力で奪われた人々を「テロリスト」、「過激派」というなら、私も喜んで教育や医療に力を注ぐ優しい「テロリスト・過激派」を目指そうと思う。
パレスチナから日本の新聞やテレビに情報を発信する日本の記者たちと若干連絡をとったことがある。彼らの意識はイスラエルのやり方に懐疑的だったし、私と共通する考えが多かった。しかし、マスメディアというひとつの組織としての越えにくい隔離壁を前に、なかなか飛び越られないでいる。イスラエルの日本大使も同様だ。留置場に面会に来てくれたとき、本当によくしてくれた。大使個人としては私たちのイスラエルに対する侵略反対の活動に理解を示してくれた。しかし、現在のガザの虐殺、邦人が2人イスラエル兵に目をゴム弾で撃たれたとき、なにもできないでいる。ここにも大きな隔離壁があると思う。
これは目に見えるパレスチナの隔離壁だけでなく、世界中いたるところの社会にこの目には見えない隔離壁があると思う。今、目の前にしている目には見えない隔離壁を壊してゆくことで、世界中からこの隔離壁が減ってゆき、ゆくゆくは、イスラエルによるパレスチナ人への虐殺を止め、パレスチナの隔離壁をぶち壊すことができると思う。パレスチナの問題は、原因がヨーロッパ諸国によってもたされたように、解決するには大国の力ではなく他国の民衆の力が必要だと思う。
今、ガザで私の仲間たちISM(国際連帯運動)が死も覚悟で人間の盾となって必死の活動を続けている。スウェーデンの「ウメオの女たち」(男も含む)も毎日街頭でデモをやっている。世界中でデモや抗議活動、ボイコットが起きている。イスラエル内でもデモが起きている。イスラエル人のアナーキスト・アゲインスト・ウォールのアナキストたちが身体をはってイスラエル政府に抵抗している。西岸地区でも、毎日激しい弾圧の中、抗議やデモ、インティファーダが起きている。私のいたヘブロンでは、私の友人のこどもたちや若者が、チェックポイントに投石を続けている。
28人の仲間たち、新たな仲間たちへ、新たなグラフィティファーダ並びにインティファーダを地元でやろう!!地味でもええじゃないか!少しづつでもいい、連帯して楽しみながら、やっていこうじゃないの!!ペンと紙とステンシルとスプレー缶とボンドとハサミをもって街へゆこう!!
守るべきパレスチナのオリーブの木は俺らのすぐ足元にある!!
ps 現在、ガザだけじゃなく、西岸地区もチェックポイントの封鎖が続いたり、激しい弾圧、中には殺害も起きている。ついこの間もテルアビブでアラブ人の男性がイスラエル軍警察にて銃殺された。ということで、今、パレスチナの各地でインターナショナルの活動家、ボランティアが必要としています。そうだ!パレスチナへゆこう!と思う方いたら、ismに参加したい方いたらメールください。できるだけ協力させていただきたいと思います。 osasimi-ichiban@hotmail.co.jp 志賀直輝
パレスチナのハビビ、ハビプタ、殺されていった仲間たちの遺志を継ぐとともに、街へ出たい。
- HarpoBucho
- By harpobucho / Jan 10, 2009 2:16 am