一松ならこう言うね。
トリオフォー「上祐亭サイコ寄席」ほかいろいろ
根菜ズ「唯一僕が得意なスポーツ」(ライヴ音源)
トリオフォーと根菜ズの間にはこんないいエピソードがあるのをボクは知っている。トリオフォーのメンバーの結婚式に根菜ズがその日だけグループ名を「婚祭ズ」に変更し、ディスりの真逆なヒップホップマナーで新郎新婦を祝福したということを(事実誤認があったらゴメンなさい)。洒落ている。
石田一松ならこう言うね。
「洒落の上手な人は精神の統一性が足りない、とよくいはれる。成程、洒落をいふためには、現実の現象たる相手の会話の、内容、言語以外に、洒落れるべき、他の現実的または非現実な現象に、自己の注意力が飛躍し、妄想する必要があるので、洒落の上手な人のこの瞬間的な注意力の飛躍、妄想を捉えて、精神の統一がないとか、注意力が散漫であるとか結論づけられるらしい。しかしその反面において、洒落の上手な人は、相手の会話といふ現象の、内容或はそれ構成する言語を、注意深く、誰れよりも詳細に把握することの出来る人でなければならぬ。であるとするならば、洒落の上手な人が、精神の統一性を欠いているとか、注意力が散漫であるとかと、極論することは少々早計である。であるから、諸君も安心して洒落を大いに勉強して貰ひ度い。」
さらにこう言い放つね。
「ユーモアーを理解できない人種は、殆どといっていい程も邪心を持っている。金銭欲と物欲に、自分の思考の全部を支配されて仕舞って、洒落気の余裕のない、無味乾燥の人生を送っているのである。」
以上は、「のんき節」というキラーチューンでお馴染みの石田一松著『のんき哲学』より引用。
今、手元にある版は昭和22年発行のレア本で、序文を話芸の神様、徳川夢声が書いている。しかも一松本人のサイン入り。これはおそらくタレント本第一号だろう(吉田豪氏は掘っているだろうか?)。
なんで、そんなディープな本を掘っていたかというと、この前の「Cut’up労働歌」のイベントで、あえて添田唖蝉坊ネタをハズし(大熊ワタルさんの前だったので)、弟子の一松を取り上げるというヒネりっぷりを披露するため。そこからアクロバティックに高円寺駅前の石田(ECD)さんに繋げたわけだが、「Land of the Dead」を現代の切羽詰った「のんき節」として聴く感性もなかなかラジカルなんじゃないのか、と。まー、この前のイベントではまったくボクの妄想を伝え切れなかったんだけども。
一見『のんき哲学』はシャブリベ(ネオリベの次に流行る左翼用語)批判の書のようにみえるが、実は一松はヒロポン(覚醒剤の商品名)愛好家だったのだ。当時はまだ違法ではなく薬局で誰でも自由に買えたので、忙しい芸能人や徹夜勉強の受験生に人気があったらしい。
吉本興業所属のタレントであった一松はヒロポン液を一升瓶にいれ楽屋に常備していたし、政治家であった一松はジョニーウオーカー赤ラベルの四分の一サイズボトルに詰め替え、議員会館の個室で会議の前に静脈注射をキメこんでいたとさ。
あーのんきだね~♪
(オチを考えるのメンドーになったのでこんな手抜きな落とし方。一松師匠、ユーモアーの勉強やり直します!)
- HarpoBucho
- By harpobucho / May 22, 2007 3:47 am