RLL61
切手
ジル・ドゥルーズの力強い言葉がありますね。「堕落した情報があるのではなく、情報それ自体が堕落なのだ」と。ハイデガーも、「情報」とは「命令」という意味だと言っている。そうです。皆、命令を聞き逃していないかという恐怖に突き動かされているのです。p17
この時代に何もしないで茫然としているというのは、許されないことをしているではないかという罪悪感にも似た何かに責められることになる。
それでもなお、そうしたのは何故か。それは本を読んだからです。何時の時代も、誰もがそうしてきたようにね。p20
カフカやヘルダーリンやアルトーの本を読んで、彼らの考えていることが完全に「わかって」しまったら、われわれはおそらく正気では居られない。書店や図書館という一見平穏な場が、まさに下手に読めてしまったら発狂してしまうようなものどもがみっちりと詰まった、殆ど火薬庫か弾薬庫のような恐ろしい場所だと感じるような、そうした感性を鍛えなくてはならない。p30
何故ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリが卒然として「何故、革命の別の形式が可能になったと考えないのか」と言ったのか、その理由を考えてみましょう。そしてガタリとネグリがその共著において断々乎として「平和とは革命の一状態である」と宣言したのかを。過去の革命がいかに血塗られたものであろうと、革命の本体は暴力でも主権の奪取でもなくテクストの書き換えであるという概念に、われわれはいまだ到達していなかったのです。p79
KRSワンという偉大なラッパーをご存知ですか? 彼は日本語ラップにも大きな影響を与えた『サイエンス・オブ・ラップ』という本の結論で、次のように言っています。女性的なるものこそが創造的な思考を代表するものであり、母親しかいない環境で育ったアメリカに暮らすアフリカ人の子供たちが創り出したものであるからこそ、われわれの音楽は創造的であり続けているのだ、と。p107
ルジャンドルにとって「テクスト」というのは、たとえば黒人のダンスです。(中略)彼らは彼らの神話を―もっと言えば「法」を舞っているわけです。ブランショが「読書とは、墓石との熱狂的なダンスである」と言ってますが、それを受けているのでしょう、ルジャンドルは「かくして、彼らは法とダンスしにやってくるのだ」と言ってます。読書はダンスであり、人は法と踊るのである。そう、彼らが身にまとっているすべて、呼吸法や発声法、服や装飾品や音やリズムや歌そしてダンスの振り付けは、それそのものが法典であり、聖典であり、神話であり、詩なのです。p154-155
彼(ニーチェ)はこういう意味のことを言っている。いつかこの世界に変革をもたらす人間がやって来るだろう。その人間にも迷いの夜があろう。その夜に、ふと開いた本の一行の微かな助けによって、変革が可能になるかもしれない。ならば、われわれがやっていることは無意味ではないのだ。絶対に無意味ではない。その極小の、しかしゼロには絶対にならない可能性に賭け続けること。それがわれわれ文献学者の誇りであり、戦いである、と。p206
佐々木 中 『切りとれ、あの祈る手を —〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』(河出書房新社)より
このような使い勝手よく細工された文章の抜粋を読んでわかった気になるのはいい加減やめよう。ちゃんと本を読もう。その読めなさを読もう。
ボディはフレンチレッドとホワイトの二種類。
このTシャツの製作、販売に関して著者の許可が下りず、イメージのみのリリースとなります。
終わりなき未来に向けてRiot Love Letter(RLL)を投函したら、「切手」貼り忘れで戻ってきてしまったというオチ。革命難しき。