BEST BOOKS

RLL 2013′S BEST BOOKS

毎年恒例、RLLのBEST BOOKS。今年はintellipunkひとり。


PANTOPEN 1 『パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』黒岩比佐子(講談社文庫)
2013年末に秘密保護法が強行に可決された。治安警察法〜治安維持法の二巡目の様に感じる。「ヘーゲルはどこかで歴史上の偉大な事件や人物は2度現れると述べているが、彼には言い落としたことがあった。つまり1度目は悲劇として、2度目は喜劇として」このマルクスの言葉とともに、あの社会主義者の冬の時代の始まりなのかと憂鬱になった。しかしそうは云ってられない。二度目の喜劇役者の台本として、一度目の悲劇の冬をどうやって先人は乗り切ったのかを確かめるべく、大逆事件・大杉事件・亀戸事件を獄中の幸運により逃れた堺利彦の伝記を紐解く。だが意外にも彼の運命は悲劇だけではなく、そこに書かれた陽光の様にぽかぽかとした人柄に暖められた。逆境の時代に楽天人生を生き切った堺利彦をリスペクト! 朗らかな政治的闘志への優しい視点を著者黒岩氏から教えられ、読後には希望のような昂揚感がある。今のファッショ蠢く時代に必要なのは、ニヒリズムの混じらないユーモアと人間性だと痛感した。


hiroseBooks 2/3 『絶望論―革命的になることについて』廣瀬純(月曜社)/『アントニオ・ネグリ 革命の哲学』廣瀬純(青土社)
2012年に出された市田良彦『革命論 マルチチュードの政治哲学序説』(平凡社新書)への直接の返答として、2013年に廣瀬純によって出された2冊の本は読むことができる。市田良彦『革命論』では、BPMを揃えてDJセンスで繋げられた最高のパーティー革命論として、アルチュセールを軸に、アガンベン、ネグリ、アレント、シュミット、デリダ、ラクー=ラバルト、ナンシー、バディウ、ランシエール、バリバール、ドゥルーズ、ズーラビクヴィリ、スピノザ、マトロン、フーコーが並べられ通読できる、アゲアゲである。それに対して廣瀬は、ドゥルーズの不革命性を主題にした『絶望論』とネグリの革命性を主題にした『アントニオ・ネグリ 革命の哲学』両A面シングルのような兄弟のような本でばっちり決めてくれた!
ドゥルーズ『絶望論』では、アルチュセールとドゥルーズが共に革命の不確実性により絶望させられつつも「恥辱」(市田的には「陽気なペシミズム」)によりドゥルーズが「革命的になること」となる。このいささかアクロバティックな展開は、宇野邦一『ドゥルーズ――群れと結晶』で若干理解可能になる。『アントニオ・ネグリ 革命の哲学』では、アルチュセールの弟子たちバディウ、ランシエール、バリバールを革命の哲学になりえないとしてバサバサと撫で切る。接続乗り入れ可能な思想系譜のドゥルーズとネグリの違いを際立たせる「恥辱」と「怒り」の存在論。ドゥルーズの『スピノザ-実践の哲学』から『意味の倫理学』への転歩と、ネグリ『野生のアノマリー』から『構成的権力』への転歩という、共にマルクスの革命性とスピノザの不革命性を担保しながらの、両者の行き先を分けるマキャベリとブスケ。2014年早々に市田『存在論的政治 反乱・主体化・階級闘争』が出ることによって、またマルチチュードで革命を興せるか骰は振られるが、しかしここにガタリの不在を感じる。



karibusekairon 4 『カリブ-世界論: 植民地主義に抗う複数の場所と歴史』中村隆之(人文書院)
近代帝国主義の植民地主義からポストコロニアリズムへ、そして世界はグローバリズムに移行した。このことを極東の列島に居て思考する場合、列強と天皇と戦争と経済とスペクタクルで粉飾されるために、自分の物語に刷り合わせるには鼻白む思いだ(日本浪漫派を読むんだったらセガレンの〈エクゾティスム〉に身を焦がしたほうがずっとましだ)。だからなのか、遠く離れたカリブ海アンティル諸島フランス語圏のグアドループとマルティニックから綴られた哲学詩人たちの言葉を通してポスト植民地主義の生きる態度〈クレオール〉を学び自分の物語とする。セゼール、ファノン、グリッサン、シャモワゾー、コンフィアン、何故に綺羅星のように瞬くこの島の思想家に魅かれるのか『カリブ-世界論』で知ることになる。彼らの思想の基になる現実と実践、マルコムXやゲバラにのっかって第三世界革命論を語るだけでは見えて来なかった、その場所の事情と対応した思索が腑に落ちる。永きに渡り支配的な国家と資本の力に屈服も結託しない、民衆の団結と詩人の営為は、2009年のゼネストと「高度必需品宣言」に結実する。



kaizokuBooks 5 『海賊旗を掲げて―黄金期海賊の歴史と遺産』ガブリエル・クーン(夜光社)
インドネシアのマージナルのドキュメンタリー『マージナル=ジャカルタ・パンク(Jakarta, Where PUNK Lives-MARJINAL)』を観てわかるように未完の第三世界プロジェクトが潰えたサードワールドにはPUNKが燃え広がっている。ストリートチルドレンはPUNKSになりスクワットとスラムは混雑する。先進国であってもPUNKは『CRASS』やブレイディみかこ『アナキズム・イン・ザ・UK』や清水知子『文化と暴力』で描かれるサッチャー新自由主義の合わせ鏡として滅してはいない。またイタリアのアウトノミアとロンドンのPUNKが同時期1977年に爆発したというビフォの指摘しかり、それは高度資本主義(グローバリズム・ネオリベラリズム・金融資本主義)という資本主義の最先端モードに対する発作の文化なのだ。吹きだまったプレカリアートのエチカとしてhiphop同様に、都市部族様式を超えて世界的な生き方へと姿を変えている。
歴史上の海賊を、現代のPUNKのソレのようにして、資本主義の立ち上がりである17世紀の第一グローバリズム期に対応する文化生態として観ることで得られる知見は、軽く今まで持っていた海賊のイメージをぶっ壊す。勿論『ミルプラトー』の戦争機械・平滑空間の編成・逃走線などの資本と歴史の過程で編まれるドラマとして読むことも可能。海の物語は(陸地においては『素朴な反逆者たち(Primitive Rebels)』『匪賊の社会史(Bandits)』などホブズボームの功績は大きい)ロマンチックなだけに名著が多いが『村上海賊の娘』『海賊ユートピア』も2013年に出たので翻訳者菰田氏の活躍で海賊イヤーだった気がする!



BEST2013 6 『コスモポリタニズム 自由と変革の地理学』デヴィッド・ハーヴェイ(作品社)
カントの「地理学」を枕にコスモポリタニズムという思想を錬金してゆく。ポストコロニアリズムとグローバリズムは表裏でありネオリベ新自由主義の一方からの見え方であるならば、そっから地球市民権シチズンシップはいかに可能なのか、フーコーやウォルツァー、マーサ・ヌスバウムやウルリッヒ・ベック、ジャレド・ダイアモンドやトーマス・フリードマンをざくざく切る。解放的なコスモポリタニズムを空間・場所・環境という地理学的道具で構想していく、ハーヴェイの立ち上げた地理学的批判理論すごいじゃないか。2013年は『反乱する都市』も出て活発、ハーヴェイ+マルクス資本主義分析は現在無双。



7 『社会的なもののために』市野川容孝、宇城輝人、山森亮、宇野重規、小田川大典、川越修、斎藤光、酒井隆史、中野耕太郎、前川真行、道場親信(ナカニシヤ出版)
社会学の先生たちが社会ソーシャルの意味意義変遷見方を巡ってああでもないこうでもないと座談する愉快な本。サッチャーの「社会というものは存在しない。あるのは個人だけだ」が新自由主義によって日常にまで浸透してきている現在に、社会なき跡地に新たに打ち立てるのは何?(デュルケムからタルドへという哲学方面の潮流もあるが、この本では関係ないか)ネオリベ・労働・都市・民主主義・国民・共同体・311などなどと「社会的なもの」を軸にぐるぐると、先生たちのキャラをしりつつ読むと社会思想バトルロイヤルのようで、出口はどっちだ。



8 『新・音楽の解読: ダダ/インダストリアル/神秘主義/ハウス/ドローンまで、誰も教えない音楽史』能勢伊勢雄(DU BOOKS)
音楽の解読と書きながら、音楽史だけではなく、カウンターカルチャー・DADA・サイケデリック・オカルティズム・ビートニクとオルタナティブミュージックの縁を、ディスクガイドではなく世界解釈して、ステッチしてマップワーク。カタログ化していない音楽の紹介は、良い意味でペダンチックで新鮮。いくらでも音はネット上で聞けるけれど、俯瞰して見渡し美学的に一環して系譜学として提示される体験は貴重(もともと講義だったので、これすごい体験だったはず!)。



9 『自発的隷従論』エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(ちくま学芸文庫)
若い!青年18歳!16世紀に人々はなぜ自ら被支配されようとするのか?!にザックリと格調高い美文で詠われる思想。が、この後に体制司法官として活躍し33歳で死んでしまう。王政下の外患罪にされてしまう代物は、ひっそりこっそり読まれていた劇薬のような発禁本。似たのでは明治41年秘密出版クロポトキン『麺麭の略取』があるね。確かに共通するのは、高潔で崇高な理想と汚らしい現実への叱咤がある革命思想。『国家に抗する社会』のピエール・クラストルが心酔して「思想史のランボー」と呼ぶのもいい、筋がいい。



10 『ゾミア―脱国家の世界史』ジェームズ・C・スコット(みずず書房)
『海賊旗を掲げて』『国家に抗する国家』など『ミルプラトー』を読むことで読み解ける、アナキズムの未完の歴史の一つとして。インドシナ半島の山岳地に作られた国家ではない時空間と人々の暮らしが存在することは、文化人類学・経済人類学の方からの国民国家批判として『無縁・公界・楽』のようにも観え、『権力を取らずに世界を変える』のように新しいアナキズムに強いインスピレーションを与える。現在、杉並区図書館で3人待ち、新宿区図書館ではHarpoBuchoが通読中で2人待ち。



以下、次点 ぜったい読むといい本!? 
伊藤守『情動の権力―メディアと共振する身体』(せりか書房)
黒島伝治『瀬戸内海のスケッチ―黒島伝治作品集』(サウダージブックス)
ジャン=クレ・マルタン『ドゥルーズー経験不可能の経験』(河出文庫)
山森裕毅『ジル・ドゥルーズの哲学: 超越論的経験論の生成と構造』(人文書院)
スラヴォイ・ジジェク『2011 危うく夢見た一年』(航思社)
ブレイディみかこ『アナキズム・イン・ザ・UK-壊れた英国とパンク保育士奮闘記』(Pヴァイン)
上野俊哉『思想の不良たち――1950年代 もう一つの精神史』(岩波書店)
二木信『二木信評論集 ~しくじるなよルーディ~ (ele‐king books) 』(Pヴァイン)
Patrick Potter、Gary Shove『BANKSY YOU ARE AN ACCEPTABLE LEVEL OF THREAT【日本語版】』(パルコ出版)


よかった本やこれから読みたい本
西川勝『「一人」のうらに―尾崎放哉の島へ』(サウダージブックス)
山川均、賀川豊彦、内田魯庵、山崎今朝弥、村木源次郎、和田久太郎、堀保子、有島生馬、大杉豊『新編 大杉栄追想』土曜社
栗原康『大杉栄伝: 永遠のアナキズム』(夜光社)
エリゼ・ルクリュ、石川三四郎 『アナキスト地人論――エリゼ・ルクリュの思想と生涯』(書肆心水)
安藤礼二編『折口信夫対話集』安藤礼二編(講談社文芸文庫)
中田英樹『トウモロコシの先住民とコーヒーの国民―人類学が書きえなかった「未開」社会』(有志舎)
山口昌男『山口昌男コレクション』(ちくま学芸文庫)
C.アウエハント『鯰絵――民俗的想像力の世界』(岩波書店)
多木浩二『映像の歴史哲学』(みすず書房)
粉川哲夫『映画のウトピア』(芸術新聞社)
清水知子『文化と暴力 揺曵するユニオンジャック』(月曜社)
ロイック・ヴァカン『ボディ&ソウル ある社会学者のボクシング・エスノグラフィー』(新曜社)
ピーター・ランボーン・ウィルソン『海賊ユートピア: 背教者と難民の17世紀マグリブ海洋世界』(以文社)
平井玄『彗星的思考 アンダーグラウンド群衆史』(平凡社)
現代理論研究会、矢部史郎、マニュエル・ヤン、森元斎、田中伸一郎、村上潔、栗原康、アンナ・R家族同盟、白石嘉治『被曝社会年報 1: 2012-2013』(新評論)
HAPAX VOL.1』(夜光社)
ジグムント・バウマン、デイヴィッド・ライアン『私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について リキッド・サーベイランスをめぐる7章』(青土社)
デヴィッド・ハーヴェイ『反乱する都市――資本のアーバナイゼーションと都市の再創造』(作品社)
中山智香子『経済ジェノサイド: フリードマンと世界経済の半世紀』(平凡社新書)
セルジュ・ラトゥーシュ『〈脱成長〉は、世界を変えられるか――贈与・幸福・自律の新たな社会へ』(作品社)
ヴィジャイ・プラシャド『褐色の世界史――第三世界とはなにか』(水声社)
アントニオ・ネグリ『叛逆―マルチチュードの民主主義宣言』(NHK出版)
ジャック・ランシエール『アルチュセールの教え』(航思社)
ジャック ランシエール『言葉の肉―エクリチュールの政治』(せりか書房)
ジャック・デリダ『エクリチュールと差異(叢書・ウニベルシタス)』(法政大学出版)
ジョー・ブスケ『傷と出来事』(河出書房新社)
國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)
千葉雅也『動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(河出書房新社)
清水高志『ミシェル・セール: 普遍学からアクター・ネットワークまで』(白水社)
竹村和子『境界を攪乱する――性・生・暴力』(岩波書店)
ダナ・ハラウェイ『犬と人が出会うとき 異種協働のポリティクス』(青土社)
ダナ・ハラウェイ『伴侶種宣言 犬と人の「重要な他者性」』(以文社)
ミシェル・フーコー『ユートピア的身体/ヘテロトピア』(水声社)
箱田徹『フーコーの闘争―〈統治する主体〉の誕生』(慶應義塾大学出版会)
熊野純彦『マルクス 資本論の思考』(せりか書房)
ハイデガー『存在と時間』(岩波文庫)
ジョン・D・バロウ『無の本 ゼロ、真空、宇宙の起源』(青土社)
レオ・シュトラウス『自然権と歴史』(ちくま学芸文庫)
宇野重規『民主主義のつくり方』(筑摩選書)
アーノルド・ミンデル『ディープ・デモクラシー: 〈葛藤解決〉への実践的ステップ』(春秋社)
田中泯、松岡正剛『意身伝心: コトバとカラダのお作法』(春秋社)
小川真『カビ・キノコが語る地球の歴史: 菌類・植物と生態系の進化』(築地書館)
三木成夫『内臓とこころ』(河出文庫)
渡邉格『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』(講談社)
レイ・オルデンバーグ『サードプレイス―― コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』(みすず書房)
シャロン・ズーキン『都市はなぜ魂を失ったか ―ジェイコブズ後のニューヨーク論』(講談社)
ロブ・ホプキンス『トランジション・ハンドブック―地域レジリエンスで脱石油社会へ』(第三書館)
マティルド・セレル『コンバ―オルタナティヴ・ライフスタイル・マニュアル』(うから)
トーマス・マクナミー『美味しい革命―アリス・ウォータースと〈シェ・パニース〉の人びと』(早川書房)
速水健朗『フード左翼とフード右翼 食で分断される日本人』(朝日新書)
内沼晋太郎『本の逆襲』(朝日出版社)



RLL 2012′S BEST BOOKS
intellipunk 2012 BEST BOOKS
RLL 2011′S BEST BOOKS
RLL 2010′S BEST BOOKS
RLL 2009′S BEST BOOKS
RLL 2008′S BEST BOOKS
RLL 2007′S BEST BOOKS



intellipunk 2012 BEST BOOKS

例年やっているRLL BEST BOOKSが遅れたので、個人ベストも10冊選書したのでお茶濁しにお茶受けにお茶らけに。



12kojinBEST

1.ジョルジョ・アガンベン『到来する共同体(叢書・エクリチュールの冒険)』(月曜社)
http://getsuyosha.jp/kikan/isbn9784901477970.html
ナンシー『無為の共同体』ブランショ『明かしえぬ共同体』(そしてリンギス『何も共有していない者たちの共同体』)へと続く共同体論真打ち登場。全編金言なのだが特にここ!→15階級のない社会「惑星的プチ・ブルジョアジーとはたぶん人類が自らの破壊に向かって歩んでいくさいにとる形態であろう」必読。同じこと考えてました! かぼちゃ色の用紙も素敵です。


2.廣瀬純『蜂起とともに愛がはじまる――思想/政治のための32章』(河出書房新社)
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309245744/
連載をまとめたモノで前著『シネキャピタル』ほど一貫してはいないし喰い足りなさを感じるくらいの短さではあるが、映画/哲学/運動の三題噺が続く思想駄洒落形式がいい。「頭痛」と題された長めの巻頭では、知識人の役割と責務を「叛乱の叛乱」と指し示す。固有名詞のマリアージュとそれを強引に婚姻させる笑えるほどアクロバットな数々の発想、心底かくありたい。


3.ジュディス・バトラー『戦争の枠組:生はいつ嘆きうるものであるのか』(筑摩書房)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480847195/
ポスト構造主義フィミニズム理論家バトラーが911以後の暴力を解き明かす。2章「拷問と写真の倫理」ではグアンタナモからソンタグを引き寄せたように、5章「非暴力の要求」では一方的に向井孝を引き寄せて読む。ヨーロッパの移民の問題などは個人的にバリバールなどのを先に読んでいたお陰で問題は具体的ではあったが、全体に抽象性が高いままの戦争批評は悠長だと感じる。


4.ジャンニ・ヴァッティモ『透明なる社会(イタリア現代思想)』(平凡社)
http://www.heibonsha.co.jp/catalogue/exec/viewer.cgi?page=query&newissue=201210
平凡社がイタリア現代思想シリーズを本気出してきたよ。今のネット批評としても読むことが出来るネット以前のメディア環境論だが、そこはヴァッティモ。ハイデガーを基礎にニーチェ、ベンミン、アドルノといったドイツの哲学者から引きながら弱い思考へ。理想的理性は不可能で割り切れない不透明なコミュニケーションと多元性がポストモダンなのだと語る彼は、欧州議会の政治家。


5.ジャック・ドンズロ『都市が壊れるとき:郊外の危機に対応できるのはどのような政治か』(人文書院)
http://www.jimbunshoin.co.jp/book/b94404.html
フランス国内の2005年の暴動で顕在化した郊外から記述しはじめているが、これはマイク・デイヴィスの名著『要塞都市LA』と『スラムの惑星』の変奏曲と読める。福祉国家からネオリベラルへの移行によりあぶり出された社会問題を都市問題として解析する見事な手さばき。もちろん打ち捨てられた”くず(ラカイユ)”側として脱領土化するために読んだ。


6.竹村和子『彼女は何を視ているのか――映像表象と欲望の深層』(作品社)
http://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/jinbun/tanpin/24180.htm
一昨年惜しくも急逝した、日本に於けるフェミニズム思想の第一人者だった竹村和子氏の遺稿集。映画をジェンダーの無意識が表れている対象として(当たり前だが映画は監督の表れではない)まとめた、映像映画論集。若干の喰い足りなさを感じさせるが、もちろん読みくだすにはそれなりに力がいる。付録に記された氏を看取ったチームKの闘病記は泣かせる。


7.田中東子『メディア文化とジェンダーの政治学――第三波フェミニズムの視点から』(世界思想社)
http://sekaishisosha.co.jp/cgi-bin/search.cgi?mode=display&code=1568
カルチュラルスタディーズの手法で構築主義的ジェンダー観を日本のポピュラー文化から読み解くのは類書がないのでは。それに絶対に標準インストールすべき第三波フェミニズムへ理解し易い! これは女性学をわら人形叩きしない最短距離だ。田中東子せんせい、日本のカルスタを引き受けてる感が男前いや女前っす。


8.赤尾光春、早尾貴紀、ダニエル・ボヤーリン、ジョナサン・ボヤーリン、上野俊哉、ポール・ギルロイ、浜邦彦、合田正人、鵜飼哲、本橋哲也、田崎英明、竹村和子『ディアスポラの力を結集する――ギルロイ・ボヤーリン兄弟・スピヴァク』(松籟社)
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-87984-306-7.html
2009年のシンポジウム「ディアスポラの力を結集する」が本になった! シンポの最前列に仕事さぼっていって興奮したんだよね。そのときのに、スピヴァクとギルロイと竹村和子さんのテクストが追加された。ジャケは最悪だけど、震災ディアスポラたりえる列島民にはその問題意識はリアルでアクチュアル。


9.こだま和文、磯部涼、毛利嘉孝、ハーポプロダクション、Likkle Mai、Rumi、二木信、鈴木孝弥、平井玄、気流舎店主、児玉雄大『Shall We ダンス?――3・11以降の暮らしを考える』(メディア総合研究所)
http://www.mediasoken-publish.net/blog/2012/03/shall_we311.html
個人なのにプロダクション(制作集団)名義のハーポ部長をはじめ、ほぼ知り合いが書いている雑誌的なにか特別な本。大杉栄の「みんなが勝手に踊って行きたいんだ」という巻頭言からはじまり、311からのリアクションとしてはものすごく重要な至言が並ぶ。死ぬまで生きる間は踊っていたいよねってこと。児玉さんりすぺくと!


10.小椋優子、菅谷昭『食で対策!放射能:大切な人を守るレシピと、今できること』(筑摩書房)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480878571/
312以後に食べることを語ることは野蛮である、とまで言いきりたくなる程にベクれたかもしれない食事が苦痛になっていた。知的であることは拒食の正当な理由になる。だから食と放射能を正面から考えることをしないとダメだというド直球の本で救われたわけだ。生活改善という意味で『脱資本主義宣言』とともに読むべき一冊。



こっから下は、未読ですがとっても良さそうな2012年出版の本をセレクト。たぶんこれから読むよてい。前年に出た本が凄くよかったというのはよくある話。
2012年に読んで一番よかった本は、山内明美『こども東北学(イースト・プレス)で、2011年の本なのでした。
http://www.eastpress.co.jp/panse/rensai.php
誰にでも推薦するわけではないですが、東北という自分の地の記憶を久しぶりに思い起こさせてくれるおいらの魂を揺さぶられた一冊でした。自身のマイナーなセンターから外れた存在からモノを考えることが出自だと、ドゥルーズ「マイナー性」の系譜ではないけど改めて実感したわけです。赤坂憲雄の東北学の先攻研究もあり(個人的にイタリア南部問題と近い構造的なものだとも考えていたし)綴り方運動の実践の後に育った自分ではあったが、まったく山内さんの素敵な語り口にやられてしまったんですね、感涙。




折口信夫(編:安藤礼二)『折口信夫芸能論集』(講談社文芸文庫)

デヴィッド・ハーヴェイ『資本の〈謎〉――世界金融恐慌と21世紀資本主義』(作品社)

市田良彦『革命論 マルチチュードの政治哲学序説』(平凡社新書)

アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『コモンウェルス――〈帝国〉を超える革命論』(NHKブックス)

ポール・ド・マン『盲目と洞察――現代批評の修辞学における試論 (叢書・エクリチュールの冒険)』(月曜社)

ジネット・ランボー、キャロリーヌ・エリアシェフ『天使の食べものを求めて――拒食症へのラカン的アプローチ』(三輪書店)

ジャン・ルイ・シェフェール『映画を見に行く普通の男―映画の夜と戦争(エートル叢書)』(現代思潮新社)

ナンシー・フレイザー、アクセル・ホネット『再配分か承認か?: 政治・哲学論争(叢書・ウニベルシタス)』(法政大学出版局)

ジャンニ・ヴァッティモ、ピエル・アルド・ロヴァッティ『弱い思考(叢書・ウニベルシタス)』(法政大学出版局)

マリオ・ペルニオーラ『無機的なもののセックス・アピール (イタリア現代思想2)』(平凡社)

上村忠男『ヘテロトピア通信』(みすず書房)

赤坂憲雄、小熊英二、山内明美『「辺境」からはじまる ―東京/東北論―』(明石書店)

ロベルト・ボラーニョ『2666』(白水社)



RLL 2012′S BEST BOOKS

毎年恒例、RLLのBEST BOOKS。遅くなりました。∞の原稿ストライキで(骨董ブログには1月中には6本も記事を上げてるのに)発表出来ない状況にありました、深くお詫び申し上げます。

2012best


RLL 2012′S BEST BOOKS

1 『三つの旗のもとに―アナーキズムと反植民地主義的想像力』ベネディクト・アンダーソン(NTT出版)
19世紀後半のスペイン帝国統治下のフィリピンとキューバとアナキズムの三つの旗に集った人々の知られざる交歓の事実を、今までナショナリズムを記してきた『想像の共同体』のベネディクト・アンダーソンが熱く厚く書き記した! そこから見えるのは19世紀末の反植民地闘争反帝国主義のナショナリズムは、実はインターナショナリズムを内包して、当時の最初のグローバリズム状況下に活性化したアナキズムと呼応連結して躍動していたって事実。ダイナマイト発明とアナキスト爆弾闘争の系譜もつまびらかにされ、その流行の中で植民地帝国主義は徐々に崩壊していくさまも詳細に、サラエヴォ事件や安重根まで記述される。そのまま現在の反グローバリズムとエコロジーとグリッサンがつなげて説明されていた高祖岩三郎『新しいアナキズムの系譜学』の記述に重ねて考えられるだろう。双方ともアナキスト地理学者エリゼ・ルクリュも関係しているし、これは間違いなく歴史の二週目に観えてくるよ(?)パリコミューンと植民地とランボー、アナキスト活動家とヴァレリーやマラルメやシニャックやスーラの交流、反植民地主義とビスマルク帝国主義などなどのトピックもパッチワークされて世界を可能性で想像してしまう。たったひとつ残念なのは素敵な原著のジャケットを台無しにしている、保守的なNTT出版のカバーデザイン。これのオリジナル装幀を勝手に作ってしまいたいぜ。


2 『脱資本主義宣言 グローバル経済が蝕む暮らし』鶴見済(新潮社)
 最も深く迷い続けた者だけが最も遠い場所に辿り着く。1993年に発売された「完全自殺マニュアル」からすでに20年。この20年間に鶴見済が記してきた本の一冊一冊のタイトルを思い出し、もう一度、振り返ってみよう。それは、この人が歩いてきた長い長い道のりを振り返るということだ。完全自殺マニュアル(93)ぼくたちの完全自殺マニュアル(94年)、無気力製造工場(94)、人格改造マニュアル(96)、檻の中のダンス(98)、レイヴ力(00)、そして、脱資本主義宣言(12)。一見バラバラなように見えるテーマが並ぶが、常に通底しているのは、巨大な生の不安への怯えと苦しみである。自分自身で悩み、苦しみ、ただなんとかそれを解消しようとして必死に取り組んできた軌跡の一つ一つの区切りとして、一里塚として、これらの本は輝いて後方に並び、連綿と光っている。この人の本は、決して単なる即物的なマニュアルでも、社会学的な批評やエッセイでもない。この著者がひたすら地道に綴ってきた、私小説だ。闘いの歴史だ。鶴見済の本は美しい。圧倒的な力強さを孕んで僕らの心を鷲掴みにする。ここには彼の弱さも、醜さも、彼が感じてきた喜びも、悲しみも、全て描かれている。だからこそ力強く、美しいのだ。おそらく、初期のマニュアル的な本を愛するファンの人々は今回の「脱資本主義宣言」を単なる著者の左傾化として捉え、がっかりしているのではないだろうか? しかし、僕がこの本を読んで思うのは明らかな原点回帰である。確か完全自殺マニュアルの巻頭言には90年代的な現象として「歴史の終焉」と「退屈な日常」がセットで語られていたはずだ。この厭世主義の果ての、気楽な選択肢としての自殺のマニュアル化。これがこの本のテーマだった。それに対して今回の「脱資本主義宣言」において徹底して追及されるのは、退屈な日常の解剖と、その歴史である。震災や右傾化による歴史の回帰を経た現在でも、資本制の中での日常は続いている。そう、資本主義のファンタスマゴリアとしての日常。それがなぜこんなにも清潔なようで醜く、気楽なようで深刻な不安を常に生み出すのか? なぜこれほどまでに普通の日常の生が、呪われているのか? この本を読めばそれが嫌と言うほどわかるだろう。この本は退屈で普通な、自殺したくなるほどくだらない日常の背景に何が潜んでいるのかを暴き出す。鶴見済はまったく変わってなどいない。徹底的に容赦なく、冷徹に、不安の根源を分析し、問い詰めている。この人がこの先どうなっていくのか、僕にはわからない。だからこそ目を離すことができないのだ。


3 『リアリティのダンス』アレハンドロ・ホドロフスキー(文遊社)
大ファンである映画監督の自伝と聞いて、わくわくしながら読み始めたら、まったくといっていいほど映画の話がでてこないじゃないか! 彼にとって映画は単に表現の一手段に過ぎず、本質的に彼の職業は「セラピスト(テラピスト)」だったという衝撃的事実にさらにわくわく。「芸術は癒しのためにある」ってあんな映画撮っておきながらよく言うよ! 同じくノマドを生きるビフォの哲学と接続して読むと面白いかも。 少年時代のトラウマ体験、セラピーとしての演劇、明晰夢の訓練、魔術修行、呪術医や禅僧からの学び、うさんくさいグルのもとでのアシッド体験(驚くべきことにその初体験は『エル・トポ』撮影の後)……バンド・デシネ(bande dessinée)の脚本家としても知られるホドロフスキーの巧みな ストーリーテリングに乗せられ、エピソード酔い確実(ブルトン、カスタネダなどの知識人との笑える邂逅が読みどころ)。後半は彼のオリジナル療法「サイコ・テラピー」の奇抜な処方例が延々と続き目眩がしてくるが、これが「現実のダンス」なのか。ホドロフスキーは同タイトルの映画をすでに完成させており、公開が非常に楽しみ。


4 『CRASS』ジョージ・バーガー(河出書房新社)
CRASSという過剰な意味と言葉が張り付いたこのパンクバンドは、やたらかっこいいジャケットを身に纏ったレコードは手に入るけれども(そして例の日本の家紋に影響を受けたCRASSマークをあしらった黒いTシャツは手に入るのだけれど)、大手音楽メディアを信用せずファンジンのみに門戸を開いたため、当時から日本の音楽誌では詳細な情報は伝えられず、長らく彼らの過剰な意味性を解する者は少なかったはず(例外は遊動社の『クラスストーリー…IN WHICH CRASS VOLUNTARILY BLOW THEIR OWN』!)。待望と云ってもいいはず、この本でようやくその漆黒のヴェールが剥がされるというわけだ。中産階級/労働者階級、ヒッピー/パンクス、メジャー/インディー、音楽活動/政治活動、女性/男性、スキンズ/アナキストという幾つかの対立項を乗り越えたところを目指していた彼らの活動の誠実さにまず敬意を表したくなる。ネオコンネオリベの元祖鉄の女サッチャーと激烈に闘い疲弊した描写はつらいが、これが現在形の闘いだということもこの本を読むことの意味でもあるだろう。野田さんの熱い解説でわかったように、ストーンヘンジ・フェスティバルからうまれピストルズを経由してレイヴカルチャーまで通低する彼らの理想主義の精神は、闇に包まれた過剰な言葉の意味を知らなくとも、アンダーグラウンドのエチカとして僕らには何故か届いていたのだった。



5 『ジャスト・キッズ』パティ・スミス(アップリンク/河出書房新社)
パティ・スミスの青春自叙伝はなんと、2010年度全米図書賞ノンフィクション部門受賞ってことで、これはもう最初から鉄板本! ニューヨークに上京したての何者でもなかったころの初々しいパティが、フォトグラファー未満のセクシーな美青年ロバート・メイプルソープと出会い、愛し合い、高め合い、拗れ別れ、デビューし、彼が死ぬまでの、あの伝説的な物語が本人から語られる。舞台は黄金の70年代ニューヨークなので、ふたりを彩るのはギンスバーグやバロウズやウォーホルやサム・シェパードら、チェルシーホテルの神話的アーティスト達。随所に挿入されるミューズパティを撮ったロバートのスチールにどきどきしたり、「マリファナはふざけるために吸うのではなく詩を書くために吸うものだ」パティ・スミスってエピソードにグッときたり。RLLも、かの有名なメイプルソープ撮影の「ホーセズ」ジャケットをTシャツ化しているので、この本と一方的に関係しているよね!?


6 『フォークナー、ミシシッピ』エドゥアール・グリッサン(INSCRIPT)
人文読みの皆さんにとっての2012年は、比較文学ならポール・ド・マンの一択だろうというメジャーな意見をよそに、RLLは黒人趣味のあいかわらずな選択でグリッサン一択にさせていただきます。これはグリッサン唯一の作家論であり、プランテーションとクレオール文化、奴隷制と黒人の苦しみといった、アンティーユ諸島とルイジアナの比較文学ともいえる。しかしながら彼は何を書いても、全体-世界論である〈関係〉の詩学であり、既成の評論でも詩でも小説でも哲学でもあるジャンルレスの「試論」なのだ。だから、いくらウィリアム・フォークナーの核心に迫っても研究書や文学論の枠などなく、ほどなくいつものグリッサンの詩学であるとわかりこちらも身も心も委ねてしまう。黒人奴隷の子孫の詩聖は、没落してゆく南部の愛国者で人種差別主義者の大酒飲みを、文学によって礼賛する。訳した中村隆之せんせいの「カリブ‐世界論」も必読!!!!



7 『〈借金人間〉製造工場  “負債”の政治経済学』 マウリツィオ・ラッツァラート(作品社)
新自由主義という政治的経済的欺瞞を弾劾する作品社の勢いが止まらない!『資本の〈謎〉 世界金融恐慌と21世紀資本主義』デヴィッド・ハーヴェイ、『なぜ、1%が金持ちで、99%が貧乏になるのか?《グローバル金融》批判入門』 ピーター・ストーカー、『なぜ私たちは、喜んで“資本主義の奴隷”になるのか? 新自由主義社会における欲望と隷属』フレデリック・ロルドン。この社会科学の流れの中で、最もフランス現代思想に近しいこの本をセレクト。借金人間〈ホモデビトル〉ってのも負債もニーチェやドゥルーズで、金融危機後の世界経済を考えるって倒錯ぽっくて僕ら的。



8 『日本巫女史』中山太郎(国書刊行会)
初版1930年、柳田國男の弟子である在野の研究者が書いた異形の本がこの時代に復活。やたら分厚く存在感のある佇まい(そしてカバーを取るとシブいサイケ調!)。冒頭小言における死んだ妹への想い「私の学問のために死んでくれた妹のために本書を完成し、そして霊前へ手向きてやろう」が本と同じくやたらに重く、なかなか頁が進んでいないことを白状してしまおう。自らの民俗学を「歴史的民俗学」と呼んでいるだけに、資料の掘り方も半端無く、目次を眺めているだけでその壮大さにクラクラしてくる。そんな意識状態で読むのがいいのかも。師匠の柳田や研究仲間の折口と違って、文章が平易で読みやすく、すっとはいってきてありがたい。


9 『原発幻魔大戦』いましろたかし(エンターブレイン)
P90にインテリパンクが描かれている!という誤解で、いましろ先生と知己を得たという思い出も嬉しい! しかし秀逸なのはフィクション/ノンフィクションの垣根を超えたところで、きな臭いこの時代の空気をしっかり伝えられているという点だ。311後の生活者のリアルな生き様、同僚とは日常に戻ったフリをしながらもひとりになればウェブの陰謀論スレスレの情報に振り回されつつ治世への怒りをもたげながら、ただ今日も金曜官邸前か繁華街のデモを歩くしかない僕らを代弁するなんてコミックは他にない。日本列島で放射能と政府に恐れおののいたすべての人に読んで欲しい、危機感がほとばしる。




10 『災害と妖怪――柳田国男と歩く日本の天変地異』畑中章宏 (亜紀書房)
柳田國男没後50年に出たタイトルにフックがある良書。柳田國男の『遠野物語』『妖怪談義』『山の人生』などを基に、日本各地に残る妖怪の足跡を追いながら、ほそぼそと残る「災害伝承」の関係を明らかにしていく。専門書のような難解さがないので、「民俗学」への知覚の扉をひらかせてくれる入門書として最適。紹介されている文献も、柳田がまだ「非常民」の方に向いていた初期のものが多く、非常にそそられる。本書が災害時に自発的な助け合いの輪が広がることを論じたレベッカ・ソルニット『災害ユートピア』と同じ出版社というのもミソ。江戸の民衆は災害にカタルシスを感じ、それを再生の契機としての「世直し」観念と結びつけていた、という宮田登流の「災害ユートピア」をミックスすると、アナキズムの友愛的側面と破壊(と創造)的側面を感じとることができる。グレーバー以降、民俗学や人類学をアナキズムと重ねて読む癖がどうも抜けない。



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