ヴァルター・ベンヤミン

フラヌールの忠猫

長期失業時代に鍛え上げた遊歩術がさらに最近パワーアップしている。

遊歩者のことをベンヤミンは「フラヌール」(「ボードレール論」)という言葉で論じたが、目眩によるフラフラが常にある(夢)遊病者であるボクは、追憶と陶酔にひたりながらのジグザグ歩行により、都市を自分の夢のなかに引き込んでしまうのだ。

新宿などの大都市はさすがにしんどい。駅を歩くと人にぶつかるし、線路に落ちるのではないかという強迫観念が身体を線路に引きずり込もうとする。用事があって大都市にたまに外出すると、用事が済んだにも関わらず、無駄に街を徘徊してしまって、疲弊して家に帰り倒れ込む。この瞬間がたまらなかったりする。冒険なのだ。

い時間あてどもなく町をさまよった者はある陶酔感に襲われる。一歩ごとに、歩くこと自体が大きな力をもち始める。それに対して、立ち並ぶ商店の誘惑、ビストロや笑いかける女たちの誘惑はどんどん小さくなる。次の曲がり角、遥か遠くのこんもりとした茂み、ある通りの名前などがもつ磁力がますます抗い難いものとなっていく。やがて空腹に襲われる。だが、空腹を満たしてくれる何百という場所があることなど、彼にはどうでもいい。禁欲的な動物のように彼は、見知らぬ界隈を徘徊し、最後にはへとへとに疲れ果てて、自分の部屋に――彼によそよそしいものに感じられ、冷ややかに迎え入れてくれる自分の部屋に――戻り、くずおれるように横になるのだ。
ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』第3巻


唯一、リラックスして歩けるのが、わがカフェ・タンジール(現タンジール病院)の外庭、和田掘公園だ。フラつける「遊び」が空間にあるのがいい。退院して久しぶりにお気に入りのパワースポットに行ったら、忠犬ハチ公スタイルでやつが出迎えてくれた。

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ボクは猫と直接的な交流をしない主義で、目を合わせ、微妙な距離感を楽しむのが彼/彼女らとの遊戯なのだが、今回に限ってはやつがボクを発見するなり、お立ち台から降りて、ボクの足下に絡み付き、膝の上にのってきやがった。「お帰りなさい」というメッセージのように思えて、うれしかったが、腿に食い込んだ爪が痛かったのでおもわず払いのけてしまった。

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フラフラしてると猫との距離感も狂う。



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