Wearable Ideas RLL
ネグリ来日しない記念グッズ
こんばんは。HarpoBuchoです。いやー春ですね。いま、桜の木の中では物凄いお祭りが繰り広げられています。桜の開花とは、潜勢力の一般的な存在形態である!!!!!!!!!!!?????????
「ネグリさんとデングリ対話」@東京藝術大学
日時:08年3月29日(土)13時~21時、30日(日)10時~21時
会場:東京藝術大学上野校地美術学部構内(半外舞台、グラウンド、講義室、アトリエなど)
入場:入場無料
RLLとしてこの宴に参加します。といっても気の利いたことは何も言えないし、特別なパフォーマンスもできないので、事前にネタを仕込んでみました。
「この前衛は、今日では、道徳的アンガージュマンでも、好人物でも、イデオロギー闘争でもない。この新たなリアリズムは、むしろ、絶望的な時代の証言であり、パンクな構築的リアリズムであり、表現的暴力であり、コミュニケーションを神格化する技術をひっくり返すことなのさ。パンクのファンジン、たった一冊のなかにすら、エーコの小説の全部とオルスナの小説の全部とをあわせても及ばないほどの、ずっと多くのリアリティが含まれている。ディストピア—-もはやどんな希望も抱きえないということを知る者によって具現化される希望—-こそが、ぼくたちの世界を照射する放射線なんだよ。」 トニ・ネグリ『芸術とマルチチュード』
裏表紙と表紙
まずはネグリのファンジン!「E/M」。
ジャケが大胆にも「Burnin’」見立て。ボブがネグリで、ピーターがフーコーで・・・ってボクらは、こんなお遊びに興じていてよいのだろうか! まずい、ネグリを思想界のスーパースターとしてではなく、一人の友として歓待しよう、という宴の趣旨にも逆行してしまった! やっちゃいけないと思うとついついやりたくなってしまうのがハーポ・マルキシストの悲しい性なのです。はたして中身は・・・
そして、ネグリ来日しない記念Tシャツとして商品化!
Zine付きで3,000円です。
欲しい方は、当日、RLLらしき者を見つけて声をかけてください。
お祭りには、テキヤとしての参加になりそうです。
- Action
- By intellipunk / Mar 28, 2008 12:30 am
幻のネグリ日本講演集(仮)
って本が作品社から出るみたいですね。
http://urag.exblog.jp/
転んでも
タダでは起きない
まるちちゅーど
ネグリ不在のまま学祭スタート!
ネグリのそっくりさんを募集してるそうです。
◎「大都市とマルチチュード」@京都大学
日時:08年3月25日(火)18時00分~20時30分(開場17時30分)
場所:京都大学百周年時計台記念館 百周年記念ホール
聴講無料、事前申し込み不要、定員500名
問合せ:京都大学人文科学研究所総務係 電話075-753-6902
コメンテーター:市田良彦(神戸大学)+廣瀬純(龍谷大学) 司会:王寺賢太(京都大学)
◎「新たなるコモンウェルスを求めて」@東京大学
日時:08年3月29日(土)1:00pm~4:30pm(開場12時)
会場:東京大学安田講堂
会費:無料・事前申込不要
討論者:姜尚中(東京大学)+上野千鶴子(東京大学)+東京大学大学院生
◎「ネグリさんとデングリ対話」@東京藝術大学
日時:08年3月29日(土)13時~21時、30日(日)10時~21時
会場:東京藝術大学上野校地美術学部構内(半外舞台、グラウンド、講義室、アトリエなど)
入場:入場無料
市田良彦さんと姜尚中さんのキャラの違いがおもしろいなー。
- HarpoBucho
- By harpobucho / Mar 26, 2008 1:27 am
ネグリ来日阻止される
うんこうんこー
外務省はOK出したのに法務省の糞役人が仕事増やしたようで。
日本はここまで田舎者の国だったとは。
恥も矜持もねーな、チャイナとかわらねー野暮な権力体だわ。
あ、でもネグリは何年か前にチャイナとコリアには訪問してんだし、クズなのは日本だけ。
ちなみに下記「国家転覆罪」もイタリア政府のメンツ守るための禁固刑。
最後は、自宅から毎日ムショに通勤して御務めしてたんよネグリ。
嫌疑の「赤い旅団」には、ネグリは逆に暗殺リストにあったぐらい疎まれてたわけで、
でっちあげで逮捕の冤罪政治犯だっつーの。
壮大なボケかましてんな日本のゴミ官僚は。
しかし報道が朝日以外は無しってとこもダサ国家だわ。
終わってんなー
asahi.com 2008年03月20日13時18分
http://www.asahi.com/national/update/0320/TKY200803200122.html
「〈帝国〉」の著者ネグリ氏、来日を延期
世界的に反響を呼んだ「〈帝国〉」の著者の一人でイタリア人哲学者のアントニオ・ネグリ氏(74)が日本政府から入国できない可能性を示され、来日を延期したことが19日、わかった。
ネグリ氏は、財団法人国際文化会館の招きで20日に来日し、約2週間の滞在中に東大など3大学で、グローバル化時代の労働問題などをテーマに講演する予定だった。
同会館によると、17日、外務省から7月の洞爺湖サミットを控えて入国管理が厳しくなっており、ビザを申請するよう説明を受けた。同氏は在住するパリの日本大使館に18日、ビザを申請したが、発給待ちの状態が続いている。
同氏は79年に反政府組織「赤い旅団」による元首相殺害事件への関与の疑いで逮捕されたあと、83年にフランスへ亡命。殺害事件は無罪となったが国家転覆罪で禁固刑が確定した。97年に帰国後、03年まで刑に服した。その後執筆のほか、各国で講演活動をしている。
入管法では、国内外の法律に違反し1年以上の懲役や禁固刑を受けた外国人の入国を禁じている。政治犯に関してはこの限りでないとしているほか、事情により法相の特別許可を受けることができる。国際文化会館はその方向での入国の可能性を探っている。
しかしこの場合、現地の日本大使館にビザ申請し、過去の資料をもとに本人から話を聞くなどの審査を経る。「常識的に考えて、数日間で出る可能性はきわめて低い」(関係者)といい、今回の来日日程にあわせるのは難しそうだ。
財団法人 国産文化会館 2008年3月20日
http://www.i-house.or.jp/jp/ProgramActivities/ushiba/index.htm
アントニオ・ネグリ氏来日中止について
財団法人 国際文化会館
常務理事 降旗高司郎
このたびのアントニオ・ネグリ氏の招聘計画につきましては、多大なご協力を賜り、誠にありがとうございます。当会館は、民間レベルで文化交流・知的協力を推進することを目的に、さまざまな知識人・文化人の交流を推進してまいりました。その一環として企画いたしましたネグリ氏の初来日につきまして、誠に残念ながら、中止となりましたので、ご報告いたします。
当初、アントニオ・ネグリ氏の入国は、在フランス日本大使館より、査証(ビザ)なしで入国可能とのことで、私どもは受け入れ準備を進めて参りました。しかし、ネグリ氏がフランスを出発する予定であった3月19日の2日前の3月17日(月)に外務省から私どもへ連絡が入り、アントニオ・ネグリ氏は、査証なしで渡航することになっているが、昨今の入国管理をめぐる諸事情を鑑みると、査証なしで来日すると入国の際に拒否される可能性が非常に高いとの説明を受けました。私どもでは、ネグリ氏の日本入国を20日に予定しておりましたので、ネグリ氏に至急査証申請手続きを在フランス日本大使館でしていただきました。翌18日になって、再度、外務省より、今回のネグリ氏の査証発給に関しては、法務省入国管理局との協議の上で行われているとの連絡が入りました。つまり、入国管理局の許可なしには、在仏日本大使館は、ネグリ氏に査証を発給することはできないということです。
その後、法務省(入国管理局入国在留課)より、アントニオ・ネグリ氏の日本入国には、彼が政治犯であったことの正式な証明が不可欠であるとの連絡を受けました。ネグリ氏は、過去に、イタリア国内での政治活動に対して有罪判決を受けたことがあり、日本の「出入国管理及び難民認定法」の「上陸の拒否」の項目(第5条4項)に、「日本国又は日本国以外の国の法令に違反して、一年以上の懲役若しくは禁錮又はこれらに相当する刑に処せられたことのある者」は、「本邦に上陸することができない」とあるからです。ただし、この条項には、但し書きがあり、「ただし、政治犯罪により刑に処せられた者は、この限りではない」というものです。ネグリ氏の場合は、出入国管理法が定める「例外」に当たるため、それを証明する公式文書を提出するように、ということでした。入国管理局としては、この書類がない限りは、ネグリ氏の日本入国は認めることができないとのことでした。
私どもといたしましては、数日遅れたとしても書類が整えばネグリ氏の来日が実現できるということで、八方手を尽くしましたが、来日を実現するその書類(ネグリ氏が政治犯であったことを証明する書類)の入手そのものが難しいことが判明いたしました。その結果として、今回の招聘は断念せざるを得ないということになりました。ネグリ氏ご自身も、訪日できなくなったことは非常に残念であるが、過去の経歴の詳細に焦点があたる形での来日を実現することに対し懐疑的でおられる旨、伝えてこられました。この間、法務省や外務省、在仏日本大使館の担当官の方々にはネグリ氏の来日を実現すべく懸命に動いていただきましたが、このような残念な結果となりました。氏の来日プログラムの準備にこれまでご尽力・ご協力を下さった方々に感謝の意を表すると同時に、このたびの来日の中止に関しご理解を賜りますよう、お願い申し上げます。ネグリ氏及びパートナーのルヴェル氏からのメッセージを以下に記します。
日本の友人たちへの手紙
皆さん、
まったく予期せぬ一連の事態が出来し、私たちは訪日をあきらめざるを得なくなりました。この訪日にどれほどの喜びを覚えていたことか! 活発な討論、知的な出会い、さまざまな交流と協働に、すでに思いをめぐらせていました。
およそ半年前、私たちは国際文化会館の多大な助力を得て、次のように知りました。EU加盟国市民は日本への入国に際し、賃金が発生しないかぎり査証を申請する必要はない、と。用心のため、私たちは在仏日本大使館にも問い合わせましたが、なんら問題はありませんでしたし、完璧でした。
ところが2日前の3月17日(月)、私たちは予期に反して査証申請を求められたのです。査証に関する規則変更があったわけではないにもかかわらずです。私たちはパリの日本大使館に急行し、書類に必要事項をすべて記入し、一式書類(招聘状、イベントプログラム、飛行機チケット)も提示しました。すると翌18日、私たちは1970年代以降のトニの政治的過去と法的地位に関する記録をそれに加えて提出するよう求められたのです。これは遠い昔に遡る膨大な量のイタリア語書類であり、もちろん私たちの手元にもありません。そして、この5年間にトニが訪れた22カ国のどこも、そんな書類を求めたことはありませんでした。
大きな失望をもって私たちは訪日を断念します。
数カ月にわたり訪日を準備してくださったすべての皆さん(木幡教授、市田教授、園田氏—-彼は日々の貴重な助力者でした—-、翻訳者の方々、諸大学の関係者の方々、そして学生の皆さん)に対し、私たちは申し上げたい。あなたたちの友情に、遠くからですが、ずっと感謝してきました。私たちはこの友情がこれからも大きくなり続けることを強く願っています。皆さんの仕事がどれほど大変だったかよく分かります。そして皆さんがどれほど私たちに賛辞を送ってくださっているかも。
パーティは延期されただけで、まもなく皆さんの元へ伺う機会があるだろう、と信じたい気持ちです。
友情の念と残念な思いを込めて……
2008年3月19日 パリにて
ジュディット・ルヴェル
アントニオ・ネグリ
(訳 市田良彦神戸大学教授)
- Intellipunk
- By intellipunk / Mar 20, 2008 2:32 pm
ネグリ来日中止!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ズコッ~
怒りを越えて、なんだか笑えてきたwwwww
法務省がビザ支給を阻止したからだそーです。イベントはネグリ不在で予定通り行う方向で進んでいるようです。
それにしても日本ってスゲー国だな。
ネグリの来日中止が本当に政治的な介入だとしたら、日本人であることが恥ずかしい。
この「恥ずかしい」って感覚が人を哲学に駆り立てるってスティグレールが言ってたなあ。
そのとき哲学は政治になる。
この事実が転覆されることを祈って。
- HarpoBucho
- By harpobucho / Mar 20, 2008 11:23 am
この国の「路上」からトニ・ネグリを歓待する
あの、今世紀最大の哲学者トニ(aka アントニオ)・ネグリが来日してイベントが行われます!
ネグリさんは今年御年75歳。社会と常に接点をもって思考してきた行動する政治哲学者。自律した人々の連帯したムーブメント「アウトノミア」のオピニオンであり、冤罪で逮捕され国会議員に獄中立候補して当選し亡命した派手な無実の政治犯であり、世界の変革の希望を紡ぎ出したベストセラー思想書『〈帝国〉』『マルチチュード』の書き手。intellipinkのフェイバリット哲学は彼の世界。人間をものすごく信頼しているイカシたやつ。
RLLは、3月29、30日東京藝術大学で行われる
ネグリさんとデングリ対話@東京芸大・上野
<マルチチュード響宴>
マルチチュード・アート&ディスカッション・ミーティング
の30日のシンポジウム「大ラウンド・テーブル」に出席します!!!!
ちなみに、3月29日東京大学では「アントニオ・ネグリ氏講演会『新たなるコモンウェルスを求めて』」が行われます。
大ラウンド・テーブル「マルチチュードか、プレカリアートか?」── この国の「路上」からトニ・ネグリを歓待する
議論セル企画シンポジウム【3月30日(日)15時〜19時】
アントニオ・ネグリ/矢部史郎(No G8 Action)/ナスビ(山谷労働者福祉会館)/小田マサノリ(イルコモンズ)/平沢剛(映画研究)/成田圭祐(IRA)/ ECD(ラッパー、作家)/足立正生(映画監督)/松本哉(素人の乱)/山口素明(フリーター全般労組)/小野俊彦(フリーターユニオン福岡)/水島一憲(大阪産業大学教授)/廣瀬純(龍谷大学教員)/白石嘉治(上智大学非常勤講師)/田崎英明(立教大学教授)/毛利嘉孝(東京藝術大学准教授)/杉村昌昭(龍谷大学教授)/山の手緑(予定)/小川てつオ&武盾一郎(246表現者会議)/RLL(Culture Jammer)/木幡和枝(アート・プロデューサー)/松本麻里/海妻径子(岩手大学准教授)ほか無数の有象無象
コーディネーター:平井玄(文化活動家、東京藝術大学非常勤講師)
■トニ・ネグリは、パドヴァの、ミラノの、パリの路上で思考してきた思想家である。
彼の言葉には、砂埃のざらつきや催涙弾の臭いが染みついている。私たちは、だから彼をまずこの街の「路上」の騒めきの中に案内したい。そこからこそ、彼と私たちの間で「言葉」が立ち上がってくるだろう。ネグリを歓待するとは、このことである。
■敢えて、カテゴリーを混同する。
「マルチチュード」とは、資本による全面的な生の包摂の只中から湧き上がる存在論的な抵抗の主観性のこと。すべての人間たちにそうした巨大な潜勢力がある、とネグリは言う。「プレカリアート」とは、資本によって流動する不安定な「貧」に投げ込まれた者たちが、怒りの中からその流動性、不安定性を武器にして起ち上がる敵対性のこと。貧困層がますます増大しているこの国では、マルチチュードの底に蠢いている者たちがいる。この二つの概念を並列するのは、明らかに捩じれたカテゴリーの混乱である。しかしカオスこそ、すべての力の源泉である。だから敢えて、この「混乱」の真只中から思考しよう。
■ネグリ的「帝国」は旧大日本帝国の視えない壁にブロックされている。
いったい「マルチチュード」は、この国のどこにいるのか?そして、サルコジのフランスもメルケルのドイツも、この「混乱」の方向に向かっているのではないだろうか?
「フリーター」という日本語が、そのままヨーロッパを徘徊しようとしている今、[貧]と[戦]と[共]──3つの言葉をめぐって、討論の渦を巻き起こしたい。
以前『論座』に”ストリート左翼”として紹介されたRLLですから、「路上」からネグリを歓待するって言葉は、実際ぴったりかもしれない。おいら(intellipunk)には哲学者の中でネグリは特別な存在。”歓待”って言葉はHarpoBuchoの座右の銘だしね。
そういやかつて中央線マルチチュードを恥ずかしくも名乗ったRLLの三人ともプレカリアートのカテゴリーか。なにげにこのテーマ設定ってうちらのためにあるようだよ!
この大テーブルの出席者には、お馴染みの素人の乱やイルコモンズやECDがいるかと思えば、読者として馴れ親しんでいる矢部さん毛利さんに白石さん廣瀬さん杉村さんが参加していて。初めて出会う方々もたくさんいて、RLL名刺も出来たので交流も盛り上がりそう。もちろんネグリとの邂逅が一番の楽しみなこと!!!!
もうラジオではゲロってるので書きますが、今回RLLはネグリ来日記念Tシャツを作りました。ハッキリ言ってカッコ良すぎて、今までに見たことない”???”な反応になりそうなかっ飛ばしすぎたデザインになってます。勝負?かけてるというかひとり盛り上がりすぎて、RLL史上最大の枚数を製作し販売しますが、売れなかったらRLLの経済危機かもねー。ネグリにプレゼントしますし関係者にもポトラッチします。ネグリと盛り上がりたい皆様はご購入下さい!
そして新しい試みをしました。RLLがzineを作ります。ASOKOクルーに触発されまくったintellipunkが、ネグリをストリートに引きずりおろすために企画しました。HarpoBuchoの伝説になりつつあるテクストを採録したり、最新妄想を書き下ろしたり。∞+∞=∞のカッ飛んでるレポートも面白い! ぜひ藝大でゲットしてみて下さい。
そういや『芸術とマルチチュード』でネグリは、zineについて、「ヌーヴォーロマン(反物語の構造的哲学的小説)」と「アンガージュマン(実存的政治社会参加哲学者)小説」のポストモダン的止揚としてこう記している。
「この前衛は、今日では、道徳的アンガージュマンでも、好人物でも、イデオロギー闘争でもない。この新たなリアリズムは、むしろ、絶望的な時代の証言であり、パンクな構築的リアリズムであり、表現的暴力であり、コミュニケーションを神格化する技術をひっくり返すことなのさ。パンクのファンジン、たった一冊のなかにすら、エーコの小説の全部とオルスナの小説の全部とをあわせても及ばないほどの、ずっと多くのリアリティが含まれている。ディストピア—-もはやどんな希望も抱きえないということを知る者によって具現化される希望—-こそが、ぼくたちの世界を照射する放射線なんだよ。」
この構築することで具現化される民主主義こそ新しいそれだと確信はしています。その意図をもって現在絶賛制作中です。そのリアリティをネグリに日本のマルチチュードとしてリプレゼントできれば最高ですけどね。
つーーーことで、ネグリイベントいろいろあって面白いのでよろしく!
- Action
- By intellipunk / Mar 07, 2008 8:29 pm
希望は戦争。行徳哲男をひっぱたきたい。
行徳哲男はこんな人
スティグレールはこんな人
行徳先生オーガナイズの箱根山中BE訓練の洗礼を受けたセミナー講師による、2日間のネオリベスピリチュアル研修を終えてぐったり。目標設定をして常に成功をイメージして暮らせば鬱病になんかならないだって。それを聞いて今鬱病が流行ってる原因がよくわかった。本人には自覚ないようだ。
行徳哲男の頬をスティグレールの手でひっぱたいたら、さぞや気分が晴れることだろう。実際、研修の休憩中には『象徴の貧困』を読みながら「人間であることが恥ずかしい」というスティグレールの想いに同感していたのだ。「感性の条件付け」に対しては戦争をしかけなければならない。
なん~って物騒な気分を高めているのは、本日下記のようなイベントをやるからです。強盗から始めよう、ただし、常にユーモアを忘れずに相手と方法を間違えないこと。あー全然予習できてないや。感性のチャンネルを合わせなければ!
強盗から始めよう!
〜ベルナール・スティグレールの監獄的現象学〜
日時:2008年3月1日(土) 20:00〜
場所:気流舎
ゲスト:マルボロ内親王
ホスト:ハーポ部長
参考文献:『象徴の貧困』『愛するということ』『現勢化』の三冊のスティグレール本
無料。投げ銭制。
以下は、マルボロ内親王本人の告知日記。
来たる三月一日の20時から、下北沢にある「対抗文化専門古書」という古本カフェバー気流舎にて、知り合いのHarpobucho主催の「カルチャーショッキングVol,2」というイベントがあり、なぜかそこで僕が話しをすることになっています。で、その宣伝です。
僕が理解するところによれば、「カルチャーショッキング」っていうのはいわゆる「異文化交流」というものよりもうちょっとゆるくて、とりあえず自分の知らないことを知ってたりやってたりする人を呼んで話を聞いたり質問したりして、「へぇー、そんな世界もあるんですねぇ」と三回から四回程度うなずいてみるくらいの距離感でとりあえず未知のものに接してみようという、シャイで引っ込み思案でありながらそれなりの好奇心を持っている、そんなあなたにやさしい企画です。
で、この企画を可能としているのが、一年ほど前に下北沢にできた気流舎という空間です。ロッジ(フリーメイソンじゃない方の)風の入り口から入ると、四畳半ほどの空間のまんなかに大きな柱と机があって、それを本棚が取り囲んでいる。入り口の右手にはかわいらしい台所があって、そこでお茶を沸かしたりしている。お酒もいろいろあって、とくに「よなよなビール」というとてもおいしい地ビールがあります。とにかく、このほっこりと親密な感じのする空間が、「カルチャーショッキング」という企画を支えています。
ホームページもあります。
場所
上のホームページにも載っていますが、僕が話すのは、フランスの思想家、ベルナール・スティグレールという人についてです。この人は技術の哲学ということを考えている人で、僕が中心的に勉強している人でもあります。若い頃、なんと銀行強盗の罪で五年間服役をしていたことがあるという異例の経歴の持ち主で、Harpobuchoもその辺のエピソードが面白そうだと思って僕に声をかけてきたようです。
「ショッキングかつキャッチーな感じでよろしく」という話だったので、相談の結果、とりあえずつかみとしてはその監獄エピソードを前面に出していくことにしました。スティグレール自身が、その入獄体験を自分の哲学の道の出発点に位置づけているので、この演出にはそれほどやましさを感じなくてもすむのです。
このスティグレールさんは、たんに哲学における一つの分野としての技術の哲学というのではなく、哲学の根幹としての技術の哲学というものをプラトンにまで遡る壮大な射程で議論している人なのですが、今回はそんな話は胃にもたれるだろうということと、またその辺の議論を展開している本の邦訳がまだ出ていないということもあり、もう少しわかりやすいトピックに焦点を当てることにしました。おおまかにいうと、マーケティング批判とか、そんなやつです。
そこに、センセーショナリストであるHarpobuchoが、同じく入獄体験をもち、また近く来日することになっているアントニオ・ネグリという人を挟み込んで来るそうです。このHarpobuchoという人は類まれなるエピソード・ジョッキーであり、今回は監獄と思想家といった軸を中心にしながら、面白そうなエピソードを集めてきてくれるようです。これは僕としても楽しみなところです。
おおまかな感じとしては、僕が一方的に話すというのではなくて、できるだけその場にいる人とやりとりしながら進めていく、という風にしたいとHarpobuchoが言っていたので、そうなるといいなと思っています。気流舎自体が、15人も入るとロフトも含めてかなり窮屈になるような場所なので、そういうゆるい流れが適していると思います。長さは、一時間から長くても一時間半くらいになるのじゃないかと思っています。
入場はもちろん無料ですが、気流舎さんはなかなか経営が厳しいということなので、できれば積極的にお茶やお酒を注文したり、また本を買って行ったりしてもらえれば、気流舎さんが一日でもながくつづいていくことができるようになります。また、最後にはカンパ箱を回すので、もしよろしければそちらの方にもご喜捨をお願いできればと思います。
不特定多数の人の前で話すという機会は普段はないのでうまく行くか心配ですが、でもとりあえず気流舎という場所は一度は来てみる価値があると思います。なお、そんなにたくさんの人は来ないと思いますが、もしかしたらいっぱいになってしまったり座れなかったりという可能性もあるので、確実に座りたかったらお早めにどうぞ。
最後に、書けといわれて書いた宣伝文を貼っておきます。
——————————————————-
1831年、26歳のチャールズ・ダーウィンはビーグル号に乗り、進化論のヒントを彼に与えることになるガラパゴス諸島へと出発する。1905年、26歳のアルバート・アインシュタインは「特殊相対性理論」、「ブラウン運動の理論」、「光量子仮説」を発表し、人びとに「奇跡の年」と呟かしめる。そして1978年、26歳のベルナール・スティグレールは武装強盗を決行し、彼の哲学の揺籃の地となるトゥールーズのサン=ミシェル監獄に収監される。
ラカンは言った、「原因はうまくいかないところにしか存在しない」、と。なにかが故障するとき、われわれはまなざしの向きを変え、それまでは自明であった世界の方へと向き直ることを余儀なくされる。それゆえもし哲学が自明であると思われている世界のその根源を問うものであるとするならば、その哲学はすべからく一つの故障から出発しなければならない。そして哲学がその問いを極限にまで高めようとするならば、その哲学は必然的に、極限の故障から出発しなければならない。
犯罪とは、世界の世界性の故障にほかならない。犯罪において世界は根本から頓挫する。しかし世界はその頓挫からの回復方法を発明した。それは監獄である。そして世界は犯罪者をその監獄へと送り込む。ただし断っておくが、これは決して犯罪者を罰するためなどではない。それは思索のため、犯罪者が具体化した世界の故障のその原因を深く思索させるためにこそ、世界は犯罪者を監獄へと送り込む。あまり知られていないことだが、監獄とは哲学者の養成所であるのだ。
外界から切り離された独房のなかでは、世界は完全に宙吊りにされる。囚人はその世界の純然たる不在のなかで、ほかならぬ世界そのものについての思索を迫られる。ベルナール・スティグレールもまた、彼が「実践的エポケー」と呼んだこの監獄的な世界の宙吊りのただなかで、その独自の哲学の歩みを開始した。それは監獄で磨き上げられた監獄的現象学だ。
人は犯罪という思いもかけぬ故障を通して、監獄で哲学者に生まれ変わる。そして哲学という名に磨き上げられた世界の故障は監獄から持ち出され、世界を新たに組み替えるための武器になる。
哲学はすべからくミニチュア化された監獄である。それ自体が監獄に起源をもつ哲学は、僕らを束の間あの世界の不在という独房のなかに閉じ込める、持ち運び可能な監獄である。哲学が語られるたびごとに、そこには監獄が、世界の故障が繁殖する。ここに、そこに、いたるところに、監獄が繁殖する。さあ監獄から始めよう!監獄から監獄を持ち帰ってきたベルナール・スティグレールとともに!
- HarpoBucho
- By harpobucho / Mar 01, 2008 12:33 am
ゴム弾を左目に撃たれた件と「ビリン・闘いの村」試写会のお知らせ
ワンダーウォールキャンペーンのワンダーな立役者、KITOU SEISHIさんの日記を転載。自分のメディアを持ってる人は試写会に行って宣伝しよう。
==============================================
先月1月25日、パレスチナのビリン村のイスラエル占領フェンス反対デモに参加していた岸田薫さんがイスラエル兵にゴム弾を左目に撃たれた件が、2月22日のイスラエル・ハアーレツ新聞に載りました。
新聞には、イスラエル国防省のコメントが載っています。『同日、ゴム弾の使用はされていなかった。使用されたのは、催涙弾のみであった。』と。また、同記事には岸田さんがイスラエル兵にゴム弾を撃たれたことも書いてあります。
これについて、岸田さんが日本大使館からのイスラエル政府への意義申し立ての動きをとってくれないかという文章を在イスラエル日本大使館へ送りました。そちらもハイアーツ新聞の翻訳の下に載せてあります。是非読んでください。
以下、転送・ブログ掲載大歓迎
●2月22日のハアーレツ新聞の抄訳
ビリーン村での日本人の怪我が、オルメルトの日本訪問を危うくするのではないかと、イスラエル外務省は危惧している====
1月末に日本人、岸田薫(43歳)がビリーン村で怪我を負ったことにより、予定されていたオルメルト首相の日本訪問が、難題になるのではないかと危惧されている。
岸田は、イスラエル兵によるゴム弾で撃たれ、左目の視力を失っている。この件につき、日本の報道関係は、事故の詳細を追求している。イスラエルの外務省は、岸田の件により、国家間の面会、及び報道がぎくしゃくしたものになるのではないかと危惧している。
岸田曰く『危険な場所にでかけていったことは承知している。しかし、なぜ兵士は私がアジア人であることを判別できたであろうにもかかわらず、上半身を撃ってきたのだろうか。』
事故を追求する為、東京のイスラエル大使館は、本国の国防省に説明を求めた。国防省は、外務省に対して、以下のように返答している。『同日、ゴム弾の使用はされていなかった。使用されたのは、催涙弾のみであった。』
日本大使館はイスラエルの外務省に、事故についての説明を求めた。外務省の発表によると、オルメルトの日本訪問には差し障りないということである。ビリーン村の分離壁は、村を分断した形で建設されており、そのため、村民や国内及び国外からの左派たちによるデモが行われている。
『イスラエルに旅をするためにやってきて、興味本位により、数人の日本人の旅行者達と共に1月25日にビリーン村のデモに参加した。』と昨日、当社の記者に語った。『兵士は、ゴム弾を発射した』『逃げようとして、腹部にゴム弾を受けた。そしてすぐ後に左目、その直後に背中にゴム弾を受けた。』と語った。岸田は、ラマーラの病院に運ばれ、眼の手当てのため、東エルサレムのセントジョン病院に移された。数ヶ月後に再手術の必要があり、視力が回復するか否かは不明である。
『危険な場所であるということは、知らされていた。しかし、私を撃った兵士は、近距離にいて、私がアラブ人でなくアジア人であることを見間違えることはなかったはずだ。それにもかかわらず、3発も私を狙って撃ってきたことを不審に思っている。』と岸田は語った。岸田は、現在イスラエルに滞在している。先週、岸田の治療費及び手術費、$3000に対する援助金を日本で募った。 翻訳・美恵子
★美恵子による解説==
1-兵士が発砲することがまず問題であるはずである。アラブ人であれば撃っても良いような書き方がされているところが気になる。
2-分離壁は村を分断しているだけでなく、67年のグリーンラインからそれて、7キロメートル西岸地区に食い込んでおり、そのため広範囲にわたる私有地が削られ、それにより地域住民の日常生活に支障をきたしていることが書かれていない。一般のイスラエル人は、分離壁の事情を知らないため、この記事では説明不足である。
3-この地域は、国際法によりイスラエル兵が立ち入ってはいけないことになっていることも説明されていない。まるで、西岸地区に兵士が彼らの必要に応じて出現することが問題視されていない。
従いまして、この記事には問題が多々あります。
4-この記事で、岸田さんはゴム弾を上半身に3発受けたと証言されており、イスラエル国防省は、その日ゴム弾は使用されていなかった、と返答したことです。これに関して、岸田さんは、大使館に抗議のメールを送られました。
5-私が電話でのインタビューで通訳をしましたが、その際の質問は尋問に似ていたことをお伝えしたいと思います。
尋問と感じた質問内容-今回のことがあって、彼はイスラエルに対してどう感じているか。今後、何かのアクションをとる予定か、イスラエルパレスチナ問題に関して、追求して調査する気持ちはあるのか。。
私は岸田さんが返答された通り、いいえ彼はイスラエルに対して怒りはもっていないし、また何かの機会があれば、旅行に来たいと思っている、という温和な返答を伝えましたところ、記者の方は、大変驚いていました。
●在テルアビブ日本大使館御中
今回のビリーン村での私の事故の件で、各方面への対処などいろいろとご面倒かけましたことをお詫び申し上げます。同時にまたたいへんご心配いただき、大山さんには病院までお見舞いいただいたり、たびたびお電話にて容態をお尋ねいただきお声をかけていただきましたことなど、とても有り難く感謝しております。
2月22日付けの当地の新聞ハ・アーレツ紙にて私の件が報道されました(前日にカメラマンがやってきて私の写真を撮り、記者からは電話にてインタビューを受けました)。その記事はご覧になったことと思います。記事中でイスラエル軍が「同日のデモ鎮圧にゴム弾は使用していない(催涙弾のみ使用)」と発表したと書かれていると知人から聞きました。同じ記事の中で私の言葉として「ゴム弾がまず腹部に当たり次に左目に命中・・・」ということも書かれていると聞いています。私自身はヘブライ語は読めませんが、もしそのように書かれているのであれば、双方の言っていることは正反対で、誰が読んでもどちらかが嘘をついていることになります。
私の言っていることは事実です。撃たれたときにいっしょにいた知人が私に当たったゴム弾を拾っておいてくれたものを、あとで「これが当たったゴム弾だ」と言って渡してくれました。そのゴム弾を私は今ここに持っています。イスラエル軍がゴム弾は使用していないと本当に言っているのなら、それは嘘です。当たったのがゴム弾でなければ何でしょうか。催涙弾が直接目に当たったというつもりなのでしょうか。それとも、一日本人旅行者がどこか別のところで負った怪我を、「デモに行って軍にやられた」と騙っているとでもいうつもりなのでしょうか。この記事を読んだ人が軍の発表を真に受けるならそういうことになります。
今回の事故、自分の負った目の傷については「仕方がない」という気持ちである程度整理はついています。自分の意思で事故にあう可能性のある場所に出かけていったのですから。しかし、イスラエル軍の嘘の発表によって自分が嘘つき扱いされることについては黙って見過ごすわけにはいきません。「イスラエルというのはそういう嘘がまかりとおる国だ」という話も聞きますが、当人としては「そんなものか」といって諦める気にはとてもなれません。私は日本人です。
この件について、在テルアビブ日本大使館または外務省のほうからイスラエル軍または政府に対して異議申し立て、さらに撤回、訂正を求めるよう動いていただくことは可能でしょうか。賠償請求が難しいという話は大山さんから聞いております。それについては先にも述べたように仕方がないこととして自分自身の中である程度の整理がついています。しかし「嘘つき」の烙印を押されたままでいるのは何とも耐えがたいのです。
いまはエルサレムを離れ知人宅におりますが、24日(日)夕方ごろまでにはエルサレムで以前滞在していたFaisal Youth Hostelに戻る予定です。この件について、メールまたは電話にてご連絡いただけますでしょうか。よろしくお願いいたします。
岸田薫
追記
ドキュメンタリー「ビリン・闘いの村」試写会について
パレスチナのビリン村の農民たちとビリン村に非合法で隔離フェンスを引くイスラエル兵との闘いのドキュメンタリー「ビリン・闘いの村」監督佐藤レオの試写会が3/17、3/26、4/3、4/18の4回渋谷のUPLINK FACTORYであります。このビリン村は先月、岸田さんが隔離フェンス反対デモ参加中にイスラエル兵に左目をゴム弾で撃たれた村でもあります。
試写会を希望される場合、住所と枚数、日時を教えていただけると幸いです。お忙しいところなにとぞよろしくお願いいたします。
誰かよい宣伝になるかたがいましたら、ご紹介くださいませ!
映画、活動、マスコミ関係への転送もできましたらお願いします。まだ、上映のWEBサイトなどはつくり途中ということで、 詳細のメールはまたおって送ります。
志賀直輝 osasimi-ichiban@hotmail.co.jp
- Action
- By intellipunk / Feb 26, 2008 1:33 am
サウンドデモ、あるいは路上を巡る祝祭空間としての政治史。
ダンシング イン ザ ストリート サウンドデモだよ路上開放!!
路上に溢れる強烈なビート、人、人、楽器、
旗、笑顔、叫び声。それを取り囲む機動隊、
公安警察、逮捕、弾圧。
ここ数年全国の至る所で増えてきたサウンド
デモの主催者・関係者を集め貴重な映像やト
ークが爆発する!
2月26日(火) 新宿Naked Loft
【司会】間宮賢(RLL)
【Guest】ランキン・タクシー/松本哉(素人の乱)/毛利嘉孝(東京藝術大学准教授)/小田マサノリ(イルコモンズ)
二木信(ライター)/DJラマダーン/他
OPEN18:30/START19:30
前売/当日¥1,000(+1drinkから)
明日夜にネイキッドロフトでサウンドデモのイベントやりまーす!!(詳細は一番下に!)2年前に利賀村の演劇祭、利賀サマーアーツプログラム2006でRLL名義でサウンドデモについてまとめて発表した時の文章を転載します。下の表もそのときに作ったんだけど、大分付け足しました。今回のイベント当日でも使う予定です。
「サウンドデモ、あるいは路上を巡る祝祭空間としての政治史。」
ドゥルーズ、ガタリは「ミル・プラトー」のリトルネロという章で、こう、書いている。幼子が暗闇に一人。何も見えないし、何も触れる物もなく、ただ、おびえている。だけど、ちっぽけなメロディを口ずさめばどうだろう?小さな口から零れ落ちるつたない反復の切れ端が、彼を包み込み、やがてそれは彼の足取りをステップに変え、カオスに一筋のラインを描き出していく。最初はおぼろげだった軌跡がやがてはっきりと暗闇の中に浮き立ち、ラインを描き、そのラインに沿っていく子どもは、いつの間にか安定した秩序を生み出し、調子が上がればそれを変奏したり、アレンジしていくことだってできる。もちろん、時に大きすぎる音のバリヤーは他人のリズムを邪魔したり、破壊したりしてしまうこともあるし、ファシズムが必要とした音楽のように、単一のリズムを他人に強制することも可能だ。リトルネロにはそういった「力」や「効果」があり、それは心臓の鼓動や脳波、月の周期に合わせた生理のように、バイオリズムに貫かれた身体の絡まりあう環境へのアンサンブルに加えられた新しい一筋の要素なのだ。
サウンドデモはいくつものリトルネロが絡まりあっている。
その時々のテーマや主張、集まってくる人びと。主催者の意志。デモ隊を取り巻く公安警察や機動隊、そして移り変わっていく街並みやそこを行く人々の視線。デモ隊の中の人間も歩きつつその位置を変えるし、歩道に出たり立ち止まったりする。途中でコンビニに入ってジュースやお酒を買ってくる人だっているし、そのまま帰ってしまう人、よく分からないけどデモに吸い寄せられるように入ってくる人もいる。そして、そういった様々な人や風景やその絡まりあった流れの中を、音楽が包み込んでいる。サウンドデモにはいくつものリスクやコスト、秩序やカオスが流れていて、その流れの中で人びとは不安に浮き立ち、時に音楽に乗り、高揚し、鬨の声を上げる。いくつものリスクやコストというのはDJや責任者の逮捕や運動の失敗に絡んでいて、それは気まぐれな天候や公安の弾圧や、機材トラブル、DJのスキルや観客の動員数、集まるカンパの総額、当日の街の様子まで、ほとんど関数として予想できないものばかりだ。
だから、サウンドデモは非常にフレキシブルで多様な要素が絡み合い、普通の音楽イベントに比べれば比較にならないほど危険で、それに見合った現実的な利益の無いイベントなのだ。チケットを売っているわけではないから現金収入はゼロで、カンパを集めても赤字ということがほとんど。誰かが逮捕されればかなりの金額の弁護士費用や、無料で動いてもらえる大量のボランティアスタッフが必要になる。誰が逮捕されるかなんて逮捕されるまでわからないし、その罪状も同じことだ。(DJが道路交通法違反で逮捕されたこともあった。普通なら切符を切られてすむはずなのに。)つまり、誰が、どれくらいブタ箱にぶち込まれるかさえよくわからないってことだ。
だけど、下の表を見てもらえればわかるように、こんな一文の得にもならないことのために様々な場所で、様々な人たちが苦労してサウンドデモを行ってきたし、今も準備している。何人も逮捕者が出てもサウンドデモは無くならない。なぜだろう?どこかのくだらないカード会社の宣伝文句ではないけれど、一言で言わせてもらえば路上で爆音を出して公道をダンスフロアーにしてしまうことや、そこで狂ったように踊ることは、まさに「プライスレス」な心地よさだからだと思う。(このデモの監視や規制のために機動隊や公安警察が使う人件費=税金もかなりなお値段、プライスレスなのだけれど)フェリックス・ガタリはこう言っている。「秩序や制度はカオスを排除したり、コントロールするためにあるのではない。より強くカオスに触れるためだ」と。サウンドデモはまさしく、より強くカオスに触れるために、それと共に踊るために、僕たちが複数の要素や環境の中に、音楽というリトルネロのバリヤーを絡めてかき混ぜる実験の場なのだ。
本邦サウンドデモ略史
94~99 東京「東京レズビアン・ゲイ・パレード」主催はILGA日本。だんだん参加者が増えたが96年に主催団体が分裂。後に先細り、実質的に消滅した。
2000~ 東京 渋谷「東京レズビアン&ゲイパレード2000」が行われる。主催はTLGP
2001~
01年6月26日 早稲田「地下部室撤去反対闘争RAVE」
01年7月31日 早稲田「地下部室撤去反対闘争RAVE・SECOND IMPACT」
01年9月23日 東京 渋谷「CHANCE!ピースウォーク」東京の小林一朗という男性が「報復戦争に反対する動きを起こしませんか」と呼びかけた一通のメールからインターネット上で人が集まり、メーリングリストが作られた。 第一回目の「ピースウォーク」は9月23日に渋谷の代々木公園~渋谷駅前~原宿というコースで行われ、約300人が参加した。
2002~ 02、03年は東京レズビアン&ゲイパレードは行われなかった。秋にはブッシュがイラク攻撃を示唆し、10月始めにCHANCE!はイラク攻撃反対のピースウォークを始めて開催する。さらにこの戦争は世界の環境や人権にも被害を及ぼすため、アムネスティ、オックスファム、グリーンピースといったNGOも実行委員会へ加わっていく。10月末に渋谷の宮下公園に約700人集まり、翌03年1月には日比谷公園へ7千人、3月には4~5万人が集まる。
2003~ 03年~04年は渋谷において反戦サウンドデモが盛り上がる!!それが大阪、京都、名古屋へ飛び火していく。
03年5月10日 渋谷「STREET RAVE AGEINST WAR」
03年5月30日 渋谷「有事法粉砕 STREET PARTY TO DEMONSTRATION」
03年7月19日 渋谷「PARTY AND PROTEST/ANARCHY,PEACE,FREE!DUMB」
03年8月3日 大阪「ぐるぐる道頓堀」
03年10月5日 渋谷「SET BUSH FIRE/STREET PIRTY+DEMONSTRATION」
03年10月19日 京都「解放どすえ」
2004~
04年1月24日 渋谷「PARTY+PROTEST!!IRGENT ACTION AGAINST SDF DISPATCH TO IRAQ!」
04年5月8日 大阪「アメ村右往左往」
04年6月6日 名古屋 デモンストレーション/ストリートパーティー in 名古屋
04年6月13日 新宿「輸入盤CD規制反対大暴動in新宿」
04年9月19日 京都「反戦ミュージック2004」
04年11月14日 西荻~阿佐ヶ谷「KNOCK OUR SECURUTY!! GRAFFITY AGAINST CONTROL!!!」
04年11月23日 大阪城公園~京橋「早起き大阪城 ~基地いらん! 戦争あかん! 11.23.関西のつどい~」
2005~ 渋谷を中心とした反戦サウンドデモが終わり、反戦という主題も含みつつ、格差社会、反グローバリゼーションの拡大を背景に、貧乏人やらマイノリティがそれぞれの主張を打ち出したユニークなサウンドデモが増えていく。
05年5月1日 渋谷「RECRAIM THE STREETS! MAYDAY2005DEMONSTRATION」
05年8月13日 渋谷「ゲイ・パレードTLGP2005」3年ぶりに復活。以降毎年行われる。
05年8月20日 高円寺~中野「放置自転車撤去反対!オレの自転車を返せデモ!!」
05年9月11日 京都「反戦ミュージック2005」
2006~
06年2月24日 高円寺「三人デモ」
06年3月18日 高円寺「反PSE高円寺デモ」
06年3月21日 下北沢「まもれ シモキタ!パレード」
06年3月25日 大阪「反PSE法御堂筋、四ツ橋筋サウンドデモ」
06年3月26日 新宿「反PSE大イベント」
06年4月30日 渋谷「MAYDAY FOR FREEDOM AND SURVIVAL06 FOR THE CONSPIRACY OF THE PRECARIATS」
06年7月8日 福岡「迷惑をかけるやつらのデモ」
06年8月30日 秋葉原「MAYDAY!MAYDAY!MAYDAY!4.30弾圧を許すな8.5PRECARIATS」
06年9月16日 高円寺~中野「家賃をタダにしろ!中野~高円寺一揆」
06年10月17日 下北沢「下北 INSIST! ~世田谷区長よ、シモキタの声を聞け!!」
06年11月26日 原宿~渋谷「反戦と抵抗のフェスタ2006」
06年12月3日 仙台「仙台サウンドデモ STOP6ヶ所!STOP再処理!」
2007~
07年4月1日 仙台「HARUTIGU ROKASO2007」
07年4月16日~21日 高円寺 高円寺選挙
07年4月30日 大久保「自由と生存のメーデー07 プレカリアートの反抗」
07年5月13日 青山「MARIJUANA MARCH TOKYO2007」
07年6月30日 秋葉原「アキハバラ解放デモ」
07年11月17日 北海道 札幌「G8歓迎に非ず」
07年12月1日 表参道「反戦と抵抗のフェスタ07 生きのびる」
2008~
08年2月10日 熊本「熊本ニートデモ」
従来の左翼や党派、労組のデモと、サウンドデモはどう違うのか?60年安保について語られた言葉と、RTS(リクレイムザストリート)について語られた言葉が響きあうことの意味を考えよう。
こうした状況(60年安保)において、既存の政党(共産党や社会党)や労組とは異なる組織が現れ始めた。それは、組織が人々を動員するのではなく、人々が自分達の表現手段として組織を作るという動きだった。こうして安保闘争では、「いままでの型にはまった運動方式ではなくて、自分達で考えた運動方式が出現することとなった。実際に当時の国会周辺は、各地から集まった各種のグループが掲げる様々なプラカードや旗で埋まり、「多声部の複雑なフーガ」の様相を呈していた。そこには学生や労組員のデモだけでなく、劇団員や作家の隊列、大学教授の請願団、暖簾を掲げた商店主のデモ隊、さらにはムシロ旗を持った農民、ウチワ太鼓を鳴らす仏教徒、子連れの女達などが集まっていた。こうした連帯感の中では、孤立した運動家が抱きがちな、悲壮感やヒロイズムが消えていった。6月4日の交通ストの報道は、「どの顔も険しくは無い、むしろ明るい。たえず沸き起こる拍手、歌声」「ごくあたりまえのことが行われている、というカラっとした明るさ」「その日の午後はうきうきと、お祭り気分の表情だった。自信と誇りが祝典となった・・・」を伝えている
小熊英二 『民主と愛国』
このDiY文化(RTS)は既存の左翼運動に対する批判でもあった。RTSの主要な参加者となったのは、旧来の左翼運動の持つヒエラルキー構造にあきあきした人々だった。旧来の左翼運動は、中心的な指導者が存在し、指導者がデモや集会を組織し、参加者がその話を聞くという形式が主流だった。しかし、その指導者の話とやらも、すでにどこかで語られたことばかりだった。それは、何か積極的に作り出すというよりは、常に何かに対して「反対」するばかりで、否定的で、悲観的で、消極的なものでしかなかったのである。若い世代はそうした古い左翼文化にうんざりしていた。RTSのDiY文化は、そうしたこれまでの左翼のスタイルを批判したのだった。カーニバルという手法も、指導される大衆という固定的なヒエラルキーを反転させ、享楽と開放を同時にもたらすために導入されたのだった。
毛利嘉考『文化=政治』
- ∞+∞=∞
- By ∞+∞=∞ / Feb 25, 2008 7:13 pm
さよならmixi マルチチュード響宴/狂宴
イタリアの有名なかくめいかのアントニオ・ネグリさんが3月末に来日します。RLLもその歓待の場の末席を汚すことになりました。入場無料なので軽い気持ちで遊びに来てみてはいかがでしょうか?
ネグリさんとデングリ対話@東京芸大・上野
2006年に素人の乱や野田努さんや東方力丸さんなど、ありえない組み合わせで「スバラシキナカマ」というタイトルのイベントを芸大でやったのですが、今回も同じく芸大での開催。偶然というか必然というか。鮭のように戻ってきた気分です。
実は「スバラシキナカマ」というのはネグリ&ハートの「マルチチュード」のハナモゲラ訳。密室芸人タモリとその鬼才揃いの仲間たちが芸=<共>を生み出す奇跡的なビデオ『すばらしき仲間”傑作集 タモリの深夜の大狂宴』に多大なるインスピレーションを受けたボクらは、ネグリ&ハート&タモリの世界観を夢想していたのでありました。
自由です
木幡和枝さんと接触したいとうせいこうさんは「ネグリ来日は各方面から聞いていたが、芸大では大パフォーマンス大会が開かれるらしい。行きたい。」とブログに書かれています。是非参加して欲しいです。偏った左翼/アナキストの集いにならないためにも、いとうせいこうさん人脈の芸人、業界人、文化人が流れ込んできて欲しいですね。ゲリラパフォーマンス各場所で勃発!芸大炎上!みたいなカオスモスを夢想しちゃいます。
CHAOSMOS
これはイルコモンズさんリミックスのYoutubeクラシックス。去年の夏、中国雲南省昆明の都市での交通体験もこんな感じでした。最初は仕組みがわからなくて怖いけど、馴れると身体と都市空間が溶け合うようでなんだか楽しい。実際交通事故も多いんだけどね。
夢想家時代のボクのmixi内の結社。ネグリ&ハート&タモリ&せいこう。
70年代タモリ周辺文化研究
80年代せいこう周辺文化研究
※mixiに飛びます。
今回を最後にmixiでの日記を書くのをやめます。今までmixi日記をこっちに貼り付けていたのですが、いつまでもmixi思考なのはどうなのか、ってことで、緩やかな相互監視システムから抜け出すために、ここのブログに専念する予定。
- HarpoBucho
- By harpobucho / Feb 23, 2008 2:47 am
ヨメシチで手に入れなきゃまずいもの
●スティーヴ・ライヒ
ドラミング目当てで二日目に。これはすでにGET!
●ミュート・ビート ワン・ナイト・ライヴ
先行で取らないとまずいね。なんとしてでも。
●ブラック・パンサー エモリー・ダグラスの革命アート集
黒豹党のヴィジュアル広報担当者に興味津々。完全限定生産1500部(シリアルナンバー付)。
2万近くかかるなー。
質に入れる嫁はなし。
- HarpoBucho
- By harpobucho / Feb 20, 2008 1:30 am
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- CJharpo Movie
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2010.2.27 反新宿署!高円寺路上大パーティざまあみろデモ 【予告編】-
覚せい剤撲滅プロパガンダ 東映編 -
2006/9/16 家賃をタダにしろ!中野→高円寺一揆!予告編
家賃廃止要求デモ!
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