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タイの刑務所へ本を送ろう!
●タイの刑務所へ本を送ろう!
タ イのバンクワン刑務所には、邦人の方が9人います。多くの方が10年以上も刑務所の中にいます。彼らは、ドラッグを所持していて逮捕されたり、騙されて逮 捕されてしまいました。タイではドラッグの刑が非常に重く、終身刑や死刑を受ける人も多いです。彼らはいつ出られるか、はっきりとはわかっていません。そ んな彼らの楽しみは、日本語の本を読むことです。できたら、いらなくなった本を頂けるとありがたいです。まとめて、タイの刑務所に送りたいと思っていま す。手紙も、もらえるとうれしいです。どうぞ、ご協力よろしくお願いします。
▼本を集めてくれているお店
イレギュラー・リズム・アサイラム
160-0022 東京都新宿区新宿1-30-12-302
http://a.sanpal.co.jp/irregular/
素人の乱 12号店
166-0002 東京都杉並区高円寺北3丁目8-12 フデノビル2F
http://keita.trio4.nobody.jp/shop/12/index.html
▼直接、タイに送る場合。郵便書留でお願いします。
「MR HANAWA MAKOTO」
Bangkwang Central Prison.
117 Nonthaburi Road,
Nonthaburi Bangkok 11000, Thailand.
TEL 02-526-0896
▼東京以外から本を送っていただける方メールください。
志賀直輝(タイの刑務所長期滞在者サポート)
osasimiichiban(at)gmail.com
キャンペーンの成功を祈る。
めでたくもあり、めでたくもなし
- HarpoBucho
- By harpobucho / Jan 28, 2010 10:09 pm
それがちょっとの搾取なら笑い飛ばせるさ
20年たってもインパクトを受け続けてますね。
高円寺のサウンドデモで「でも・デモ・DEMO」が流れたときの歓喜!
自分の踊りを踊れ!
フジヤマ フジヤマの看板の言葉は絶対に忘れない。
http://fujiyama.press.ne.jp/top.htm
- Intellipunk
- By intellipunk / Jan 27, 2010 10:48 pm
1月30日 路上パーティ!!! in 天王寺公園エントランス
大阪で面白い動き。
気分は「ええじゃないか」?
関西方面の方は歌って踊ってきてください~
1月30日 路上パーティ!!! in 天王寺公園エントランス
1月30日(土)14時から、天王寺公園入口前広場で小さいライブやります!ライブの後は、リヤカー式の家庭サイズ・サウンドデモやります!天王寺公園を16時に出発して、難波や心斎橋を回りますー!
デモの趣旨は特にありません。なんでもええです!好きに集まって、みんなで遊びましょー!
ライブ・カラオケ飛び入り大歓迎!!!
- HarpoBucho
- By harpobucho / Jan 27, 2010 1:03 am
続・存在の耐えやすい軽さ
ある深さを持つ人間にとって人生に堪えうるには一般には一つの可能性しか存しない。即ちある程度の浅薄さということである― ゲオルグ・ジンメル
さすがジンメル先生、社会学なんて奇特な学問を思考した人間だけあって、社会のことがよくわかってますな。「もののあわれ」を知っているというか、人の道に通じているというか。デュルケムやウェーバーの影に隠れがちだけど、社会学オリジネーターのなかでボクは彼の考えたことが一番好き。なんて元社会学徒として一応言ってみたが、実はジンメルを引用でしか読んだことがない。冒頭の言葉も『現代思想』で連載していた酒井隆史「通天閣」(単行本化に期待!)からのエピグラフ泥棒。
なぜに大阪の話にジンメルなのか? 大阪の作家、織田作之助に川島雄三が宛てた書簡に引用されていたのがジンメルのこの言葉だった。「戦中ってなんか空気重いよねー、こんなときってあえて軽さだよねー」と二人は意気投合して、あの有名(?)な「日本軽佻派」が結成されたという。この二人の天才を繋げたのがジンメルだっていうのがオシャレ関係ないい話(森繁や山茶花に繋げることだってできる)。
ジンメルの関係についての考察が面白いのは「虚言」や「秘密」に社会形成における積極的な意味を与えていた点だろう。簡単にいってしまえば、嘘ってのは方便だし、秘密ってのは関係に奥行きを生じさせるってことなのだが、嘘も秘密も一切ない関係ってのを考えてみると確かに恐ろしい。そんな完全に溶け合ってしまうような関係であるならば他人である必要なんかないわけだし。
攻めの「嘘」と守りの「秘密」を駆使し、人は伝達される情報を極力、自分のコントロール化に置こうとし、(特に職場で!)他者との適切な距離感を保とうとするわけだが、実はこんな恐ろしい落とし穴があることをジンメルは指摘している。
人間の全交流は、より明瞭でない微妙な形式において、つまり断片的な萌芽を手がかりとして、あるいは暗黙のうちに、各人が他者についてその他者がすすんで明らかにするよりもいくらかはより多くのことを知っているということにもとづいている。しばしばその多くのことは、それが他の者によって知られるということをその本人が知れば、本人には都合が悪いことなのである。このことは、個人的な意味においては無配慮とみなされるかもしれないが、しかし社会的な意味においては、生きいきとした交流が存続するための条件として必要である。
ジンメル『社会学』第5章
今度は管野仁『ジンメル・つながりの哲学』(NHKブックス)からの孫引きではあるが、プロがセレクトした文章を読むのは無駄がなくてよい。とても深い言葉だが、簡単に言ってしまえばこっちが伝えたい以上についうっかり情報は伝わってしまうということだ。もう一発、ジンメル『社会学』第5章から。
心理学的に敏感な耳をもつ者には、人間は幾度となく自己の最も秘められた思考や性質を漏らす。
だんだんと新しい職場に馴染んできて一番ボクが危惧しているのは、そろそろいろいろと漏れているんじゃないかということだ。まあ、この漏れが交流を活性化するらしいので心配はしないが安心もできない。存在を耐えがたくするような軽率な言動は慎みたいと軽率ながら思う。
オダサクの死により日本軽佻派、解散。
- HarpoBucho
- By harpobucho / Jan 20, 2010 10:53 pm
グラフィティ/ストリートアートはこんな今、どこに向かおうとしているのだろうか?
もばいるついったーが落ちてるんでブツブツと記す
荏開津広さんのグラフィティ/ストリートアートの話を北仲スクールって新型カルチャースクールで聞いてきた。
http://kitanaka-school.net/event/2010/01/post-20.html
エガさんは口下手でスーパーシャイで、親近感があり、おまけに受け答えが誠実。
はじめに7、80年代の欧米に限定して話すことを断る。
その中でポストグラフィティとして80年代最初期にギャラリーやミュージアムや額縁の中にグラフィティが回収される例を、Documenta 7のレディ・ピンク(http://www.pinksmith.com/Site%203/BIO%20PAGE.html)とジェニー・ホルツァーや色々な当時のアートカタログをスライドで見せてくれる。クリス・バーデンのプロモ1976(http://www.medienkunstnetz.de/works/chris-burden-promo/)やゴードン・マッタ・クラークのアートからのアプローチ。序文にノーマン・メイラーのK1インタビュー「名前を残すことがグラフィティなのだ」
次にグラフィティ全盛期の動くニューヨークの地下鉄の映像、地下でなく外に出て鉄橋の上を、空をバックに極彩色カラフルなグラフィティだらけな車両が走る走る走る、相当な量のラッピング電車は日本じゃ有り得ない。
ここで、ポストグラフィティはヴィジュアルだけ、そこから落ちたモノ、動く地下鉄ムーブマント、ヴァンタリズム、描く身体性などなど。
スウェーデンの批評家アンドレアス・ベルク(この人?http://www.kilroy.nu/kilroy10/berg.html)、中産階級化されるスウェーデンでヴァンタリズムとスプレー缶をパクる根源的な性質、所有せざる者たちの文化。
質問は話題の外へ向き、エガさんはけして代理表象しないで言葉を途切れさせる。かみ合わないのは、自分が言えないことは言わないというエチカなのだとわかる。
エンリコ大山さんのまくし立てた現状認識と異議にも頷き躓く。
最後の方で自称オタクの人の質問、オタクカルチャーとヤンキー・ヒップホップカルチャーの学校での分離とそのメビウスの輪のような接続はあるか?
僕もこんな(グラフィティ資料)とか集めてオタクだし学校は困った環境で耐えるしかないし、社会生活難しいのなんとかやっているし、でもリア充なんて居るのか…ほんとに誠実な呟きだった
最後は懺悔めいたバブルの人は落ちないとダメだ、転落してから…
そんなこんなでエガさんは一片もおいらをガッカリさせなかった大人だった。あんなふうになりたい
ニュース!!!
荏開津広さんが浜田淳さんと小説『ヤーディ』を出しました!マスト!
http://www.rockers-island.com/shop/item/detail.asp?ID=GDS0367
http://www.overheat.com/riddim/issues/no/323/ring_ring_ring_from_no323/
- Intellipunk
- By intellipunk / Jan 20, 2010 12:57 pm
存在の耐えやすい軽さ(3×3=9)
森繁映画を観ていると山茶花究(さざんかきゅう)という俳優が気になってくる。こんなときはウィキペディアに解説してもらおう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E8%8C%B6%E8%8A%B1%E7%A9%B6
左翼思想に傾倒し、特高にも目をつけられ、尾行を巻いているうちに浅草のレビュー小屋に潜り込んで、そのまま文芸部員としてレビューの台本を書いたり、また歌手として舞台で歌ったりして生計を立てるようになる。
1932年11月にカジノ・フォーリーで歌手としてデビュー。1933年1月に浅草オペラ館の俳優となる。エノケン劇団、万盛座のグラン・テッカールと転々としたのち大阪に戻り、いくつかの舞台に立つが、芽が出ずに俳優を辞めて朝鮮に行き、実業につく。1937年8月、東宝のロッパ一座に入り役者に復帰。このとき一緒に入ってきた森繁久彌と出会う。ここで芸名を加川久と名乗る。
1939年3月、当時絶大な人気を得ていた「あきれたぼういず」がリーダーの川田義雄を残して、坊屋三郎、益田喜頓、芝利英が吉本興業から松竹系の新興キネマ演芸部に引き抜かれ、その川田の代役として選ばれ、山茶花究の名で第2次あきれたぼういずを結成する。1943年に解散、森川信の新青年座に副座長で入り、1944年に山茶花究劇団を組織して巡業するが、戦況の悪化により解散する。その後、水の江滝子主催の劇団たんぽぽに加わり、終戦を迎える。
敗戦直後の1945年10月に再び劇団を立ち上げるが、すぐに解散。1946年に坊屋三郎、益田喜頓と「あきれたぼういず」を再結成。1952年に解散後は、喜劇役者として舞台や映画で活躍。ラジオのジャズ番組の司会などをしていたところ、森繁久彌から誘われて映画『夫婦善哉』にふちなし眼鏡をかけたインテリの番頭役で出演、冷酷で神経質なキャラクターを嫌味たっぷりに演じ、性格俳優として飛躍。
やはり一番印象に残っているのは『喜劇 とんかつ一代』のキャラクターだ。アムステルダムの世界大会で優勝したという職人らしいが、何の職人かは中盤まで明かされない。只者じゃない雰囲気から、カンナビスカップの優勝者?なんて邪推してしまうのだが、実は普段は冷静、だが怒ると豚と人間の区別が付かなくなるというおそろしい屠殺職人という設定。しかも病的な清潔マニアという今じゃ絶対に映画に出てこれない最高のキャラを演じているのだ。
前回のブログで扱った『森繁自伝』に山茶花究のことが書かれていたので引用しておこう。古川緑波親父の大ボンが森繁、中ボンが山茶花、小ボンが三木のり平という腐れ縁のアフェニティーグループを形成していたようだ。
ここで親しき悪友山茶花究のことについて少し触れておきたい。すでに脇役として押しも押されもせぬ手がたい役者として映画に活躍し、また私の芝居には欠かせぬ女房役をつとめてくれる彼は、私の友達のなかでも風変わりに属する最たる奴で、友達づき合いは悪くないが、限界以上に親しくなろうとせぬ男である。わずかに私と三木のり平くらいが一番親しくしているぐらい。彼は友達ほど<面倒くさい>ものはないという。そんな孤独のせいか、熱帯魚にこったり、模型飛行機にこったり、一人で楽しむことに妙にこる男で、それも自分のピークまでくると、さッと全部人にくれてやって、また新しい道楽をさがすのである。ただ驚くのは、むさぼるように本を読むことである。
飽くなき探究心とピークに達した後の執着のなさ、つまりはその「軽さ」に憧れるわけだが、なかなかこれは真似をすることができない。ボクは、欲張りな性質なのでいろいろなものに興味を持つのだが、どれもピークに達する気配がなく、いや、ボクの場合は高みに昇るというよりは、地下深く掘っていく方向に進むのだが、どの分野においても底が見える気配がしないのだ。同時進行に興味の趣くまま掘っていくと、深い処で異質だと思っていたものが繋がってしまったりして、どんどん欲望は増幅されるばかり。捨聖、一遍上人のようには生きられないにしても、なるべく身軽に生きたいもんである。
「軽さ」への憧れによる物事に執着したくない、というボクの執着心の重さはいかほどか。
駄々っ子森繁の重力に抗する山茶花究(左)と淡島千景(右)
- HarpoBucho
- By harpobucho / Jan 17, 2010 11:16 am
喜劇的人間
2009年最後の日記に「ハーポ部長の生活と意見」という仰々しいタイトルをつけたのは、チャタレイ裁判で有名(有罪)な文芸評論家、伊藤整氏の次の言葉を見つけたからだった。これをサゲにもってきて2009年をきれいに締めくくるつもりだったのだが、残念ながら失敗に終わった。きっとこれは10年代に残されたボクの課題なのだろう。
「二重の論理をやめて、一重の論理で生きる時がナマの現実生活である。だから強い生命意識に駆られる人間たちは、舞台の約束をそのまま現実にしようとして、人を殺したり、自ら死んだりしなければならなくなる。革命する芸術家と自殺する芸術家は二重の存在である芸人の意識をいつの間には忘れて、そのまま舞台で一重のナマの生活にしようとするのです。」(『伊藤整氏の生活と意見』)
リンギスの「社会は、たた単に暴力的な者を社会病質とみなすのではなく、―暴力であっても、警察やプロ・ボクサーにおいて見られるように完全に社会化されることもある―、二重、三重の人生を送る者を社会病質とみなすのだ」という言葉に照らしあわせてみると、芸人であることもなかなか生きづらそうだ。
う~ん、それは困る。
ここでいう芸人とはもちろんテレビや劇場で笑いをとることを仕事にしている人間のことではない。自分という人間を戯画化できる人間のことである。自己戯画化とは自己卑小化ともいえる。『伊藤整氏の生活と意見』のなかで著者の伊藤整氏はこんな処方箋を出している。
「自己卑小化によって人間は、自分を悲劇的人間として美化することも、深刻になることもない。これは自己救済の方法として有効である。」
ふー、助かった。
2010年の映画始めは高架下の昭和な映画館、銀座シネパトスでの森繁特集上映。大好物の『喜劇 とんかつ一代』(2度目の鑑賞)と森繁芸能生活40周年記念の新旧オールスターキャストの予備校もの『喜劇 百点満点』。大満足して森繁気分で銀ぶら。だがとんかつは高すぎて食えず。
空気を読んで上手に笑いをとっていくテレビ的な芸人には全く憧れないが、銀幕の軽快な喜劇人には憧れる。 そんなわけで読書始めは『森繁自伝』。満州でソ連兵に春画を売って食いつないだり、撮影所での猥談の評判でいい役をゲットしたり、と森繁の自己戯画芸が輝る。
- HarpoBucho
- By harpobucho / Jan 10, 2010 8:10 pm
やばいぞ行きたいイベントだらけじゃんかよ!
個人的にパタフィジックとアルフレッド・ジャリTシャツを出すので後学のために
ジョルジュ・ペレック『煙滅』(水声社)刊行記念イベント
《ウリポ》ってなに?–現代フランス文学の楽しみ
ジュンク堂書店池袋本店 トークセッション
http://www.junkudo.co.jp/newevent/evtalk.html#20100116ikebukuro
豊﨑 由美(ライター)×塩塚 秀一郎(フランス文学者)
■2010年1月16日(土) 19:00〜
20世紀フランスで産声を上げた、奇妙キテレツな文学集団がいた……。
そのグループの名は《ウリポ》。メンバーはジョルジュ・ペレックやレーモン・クノー、イタロ・カルヴィーノなどなど。一つのエピソードを99通りの文体で書いたり、Eをまったく使わずに小説を書いたり。これらの言語遊戯によって、彼らは文学のどんな可能性を引き出したのか?
数々の海外文学を読破し、かつてない切り口によって書評の異種格闘技戦を繰りひろげている豊﨑由美氏と、翻訳不可能といわれたジョルジュ・ペレックの『煙滅』を《い》段抜きで訳すという翻訳のアクロバットを見せた塩塚秀一郎氏。お二人に、《ウリポ》とはなにか、またペレック作品をはじめとする、さまざまな文学表現の魅力について、たっぷりと語っていただきます。
・豊﨑 由美(とよざき・ゆみ)
1961年生まれ。ライター、書評家。主な著書に『そんなに読んで、どうするの?』(アスペクト)、『文学賞メッタ斬り!』(共著、パルコ出版)など。
・塩塚 秀一郎(しおづか・しゅういちろう)
1970年生まれ。パリ第三大学文学博士。現在早稲田大学理工学術院准教授。主な訳書に、ジョルジュ・ペレック『さまざまな空間』、『美術愛好家の陳列室』、レーモン・クノー『あなたまかせのお話』などがある。
これは身内びいきじゃなく、面白くないわけないじゃん!
WHAT AM I DOING HERE? ワークショップとトーク 5つの小径
主催:東京都、東京文化発信プロジェクト室(財団法人東京都歴史文化財団)、明治大学
企画:明治大学大学院 新領域創造専攻ディジタルコンテンツ系 管啓次郎研究室
日程:平成21年12月~平成22年2月
会場:明治大学猿楽町第二校舎 新領域創造専攻共同演習室(東京都千代田区猿楽町2-4-1)
参加費:無料(要申込み)
http://waidh.exblog.jp
③場所の知覚 1月17日(日)
ワークショップ:「測量ワークショップ」小山田徹13:00~17:00(定員15名)
トーク:「0円生活と場所っプ」坂口恭平+山下陽光18:00~20:00(定員30名)
ワークショップでは洞窟の測量方法を実践し、東京を新しく知覚する方法を考えます。今まで知っているつもりの場所もまったく違う性格があることを学び、場所と新しい関係をつくる方法を考えるためのワークショップとトーク。
小山田徹(こやまだ・とおる)
美術家。京都市立芸術大学日本画科卒業。1998 年までパフォーマンスグループ「ダムタイプ」で舞台美術と舞台監督を担当。平行して「風景収集狂舎」の名で様々なコミュニティ、共有空間の開発を行ない現在に至る。洞窟探検グループ「Com-pass Caving Unit」メンバーとして活動中。
坂口恭平(さかぐち・きょうへい)
建築探検家。1978年熊本生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業後、2004年に日本の路上生活者の住居を収めた写真集『0円ハウス』をリトルモアより刊行。2006年カナダ、バンクーバー美術館にて個展。2007年ナイロビで世界会議フォーラムに参加。著書に『TOKYO 0円ハウス 0円生活』(大和書房刊)などがある。
http://www.0yenhouse.com/
山下陽光(やました・ひかる)
1977年長崎県生まれ。高円寺の古着屋「素人の乱シランプリ」店主。なぜか「美術手帖」2009年5月号で16ページも使って特集される。
http://blog.goo.ne.jp/bashop/
夜の大学ももう10回目か! 潜伏度の高いイベントです。
連続講義「大学の夜」第十夜
映画のコミュニズムを讃えて――『シネキャピタル』(洛北出版)とその後
講師:廣瀬 純 (思想・映画批評)
日時:1月18日(月) 19時15分〜21時00分
場所:早稲田大学生協ブックセンター(閉店後)
今回は、2008年に『シネキャピタル』(洛北出版)を上梓された廣瀬純氏を講師にお迎えします。
『シネキャピタル』はドゥルーズ『シネマ』に依拠しつつ、氏がこれまでそれぞれに語ってきた映画と運動を同時に語ることを自らに許した著作となっていて、まさに廣瀬氏の思想のエッセンスが凝縮した本です。
イメージたちに剰余価値生産させる映画と、ポストフォーディズム〜金融化の労働を重ねた分析はとても鮮明で、そしてそのただ中でさえ、解放されたイメージとはなにか、解放された労働者とはなにか、と進む思考は、来たるべきデモクラシーを予示的に讃えているようです。
ただ、『シネキャピタル』には後があるような気がします。今回は『シネキャピタル』から、予告される続編へと思索が進むかもしれません。廣瀬氏からどんな新たな言葉があらわれるのか期待します。
私たちは、イメージのコミュニズムとはなにか? と問うことを許されています。ご参加をお待ちしております。
エガさんに会いに、かつてグラフィティのメッカだった桜木町の残照へ
グラフィティ/ストリートアートはこんな今、どこに向かおうとしているのだろうか?―”ポスト・グラフィティ”を再構築する試み
【北仲スクール 公開講座1】
http://kitanaka-school.net/event/2010/01/post-20.html
講師:荏開津広(東京藝術大学・多摩美術大学・ライター/DJ)
日時:2010年1月20日(水) 19:00~21:00
会場:ヨコハマ・クリエイティブシティ・センター(YCC)3階スペース
荏開津広(えがいつ ひろし)プロフィール
テキスト/DJ/施行
90年代は「ルーティン」、「デ・ニーロズ」などのユニットに在籍、その後大転落。しばらくの彷徨の後、キーチャ・アラード、イアン・シモンズなどとコラボレーション、KIOSK HELLO東京支部をつとめあげ、IMPOSSIBLE NIGHT REGULARS、著書『人々の音楽について』(EDITION OK FRED)、翻訳『サウンド・アート』(木幡和枝、西原尚と共訳)(2010年に刊行、フィルム・アート社)、『ヤーディ』(トランス・ワールド社)など。以下の音楽アルバムに参加。《ILL-CENTRIK FUNK》、《TEMPLE OF DUB》《SOBA-AMBIENT》など。東京藝術大学、多摩美術大学で非常勤講師。
参考図書にジョック・ヤング『後期近代の眩暈』ってうけますw
不良少女、セレブとビッチの100年史
平山亜佐子『明治 大正 昭和 不良少女伝』(河出書房新社)刊行記念
平山亜佐子 × 速水健朗 夜のプロトコル vol.5「ジャンダークのお君」からニコール・リッチーまで
http://www.yorutoko.com/2010/01/no_05-945e.html
2010年1月22日(金)開演18:30(開場18:00)
複数ライター、編集者たちが企画する定期イベント「夜のプロトコル」がジュンク堂新宿店に初上陸。トークのテーマは不良少女。不良少女とは、社会の変化と女性の立場、そこから生まれ出たアウトサイダー。近代から今という時代を考えるためのひとつの軸として、時代の合わせ鏡としての不良少女像をなぞります。
平山亜佐子(ひらやま・あさこ)
兵庫県芦屋市出身。文筆家。著書に『20世紀 破天荒セレブ ありえないほど楽しい女の人生カタログ』。2008年11月に本書の第一稿となる「明治 大正 昭和莫連女と少女ギャング団」で河上肇賞奨励賞を受賞。
速水健朗(はやみず・けんろう)
1973年生まれ。石川県出身。フリーランスライター/編集者。音楽、芸能、コンピュータなどの分野で執筆活動を行う。著書に『タイアップの歌謡史』『自分探しが止まらない』『ケータイ小説的。—-”再ヤンキー化”時代の少女たち』等。
会場…新宿ジュンク堂本店 8階喫茶コーナーにて。入場料1,000円(1ドリンクつき)
定員…50名
受付…7Fカウンターにて。電話予約も承ります。ジュンク堂書店新宿店 トークセッション情報
子弟対談? これは楽しみ!
「ストリートの思想とマルクス」
(毛利嘉孝×表三郎 対談)
毛利嘉孝氏と表三郎氏の対談イベントがサウンド・カフェ・ズミで行われます.毛利嘉孝氏はカルチュラル・スタディーズの大御所.近著『ストリートの思想』では,文化と政治の結節点を鮮やかに描き出す.文化の背後に潜む政治性について,今このような手法で研究を進められるのはおそらく毛利氏だけであろう.その毛利氏が思想・哲学に目覚めたのが予備校時代.その予備校時代の先生が表三郎氏だ.表三郎氏は在野の闘う思想家.全共闘運動を経て,大学の非常勤講師から駿台予備校講師に流れつき,約40年間,実践的な英文読解法の指導にあたり続ける.91年までは関西の英語科主任を務め,受験会でその名を知らない者はモグリと言われるほど人気を博した.思想の研究はマルクスを中心としたもので,最近は「マルクスの<実践>論」を『情況』に連載中.
今回,毛利嘉孝氏と表三郎氏の対談にあたり,約30年ぶりに師弟再会となる.前半は思想史の話が中心となる.毛利氏のご専門である「ストリートの思想」が,思想史上どう位置づけられるのか,マルクスの実践論的思想がどの程度,ストリートの思想と親和性を持ち得るのかが争点となるだろう.そして,後半は,当時の予備校での話や表氏主宰の研究会の話など,今の研究会の大学生なども交えながら,フリートークを行なう予定.乞うご期待!
日時:1月24日(日)14時半OPEN,15時START〜17時半
場所:吉祥寺,サウンド・カフェ・ズミ sound cafe dzumi
〒180-0005 武蔵野市御殿山1-2-3 キヨノビル7F(1Fがスリアというヨガグッズ屋さんです)
サウンド・イメージ研究所 0422-72-7822,JR吉祥寺駅南口より徒歩5分
料金:カンパ制(500円〜),ドリンク注文別
問い合わせ:anarchist.kon [at] gmail.com(近藤まで)
素人の乱で「哲学への権利」上映!
ドキュメンタリー「哲学への権利 国際哲学コレージュの軌跡」を観て── 大学の外/哲学の地下
地下大学
・西山雄二(監督 / 哲学)平井玄(音楽批評)、白石嘉治(上智大学)
・1月25日(月)上映=19:00~20:35 / 討論=20:45~22:00
・高円寺・素人の乱12号店・北中ホール
・資料代500円+出来れば投げ銭
映画『哲学への権利』公式HP ⇒ http://rightphilo.blog112.fc2.com/
1983年、ジャック・デリダらが脱構築の論理をもとにパリに創設した半官半民の独創的な研究教育機関「国際哲学コレージュ」をめぐる初のドキュメンタリー映画。収益性や効率性が追求される現在のグローバル資本主義下において、哲学や文学、芸術などの人文学的なものの可能性をいかなる現場として構想し実践すればよいのか。監督・西山雄二が歴代の議長を含む関係者7名へのインタヴューを通じて、大学、人文学、哲学の現在形と未来形を描き出す。
出演:ミシェル・ドゥギー、フランソワ・ヌーデルマン、ブリュノ・クレマン、カトリーヌ・マラブー、フランシスコ・ナイシュタット、ジゼル・ベルクマン、ボヤン・マンチェフ
音楽:matryoshka (Novel Sounds)
監督:西山雄二
特別協力:国際哲学コレージュ
助成:文部科学省研究費補助金若手B課題番号20720002
後援:東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)」
上映時間:93分 フランス語(日本語字幕付)
上田さんの活動はいつも気になっております。
2月 津田塾大学にちっちゃなココルームが出現?!
〔体験アート展〕握れないけど触れた時-私たちの出会った関西の市民メディア活動
http://booksarch.exblog.jp/9597540/
会期:2月11日(木・祝)10:00〜20:00 , 12日(金)10:00〜18:00
会場:津田塾大学千駄ヶ谷キャンパス津田ホールT101,T102 ※入場無料
津田塾大学 ソーシャル・メディア・センター
この中で、釜ヶ崎にあるカマンメディアセンターとのコラボ企画も行います。
映像発信てれれ、築港アークのアサダワタルさん、学生とダルク参加者らによるワークショップなど、ユニークな企画が満載です。
☆ソーシャルメディアセンター☆
また、このような大学とNGOとの協働による、多様な表現活動をサポートするために、津田塾大学では、昨年末に「ソーシャル・メディア・センター」という場を開設しました。昨年秋から2年半、文科省の大学教育・学生支援推進事業の助成を受けることが決まったことが大きいのですが、数年前からダルク女性ハウス、その他のNGOとのコラボレーションを行ってきたことがベースにあります。
今はまだ、小さな事務室しかないのですが、2人の若いクリエイターが職員として昨秋から働いてくれており、クールなフライヤーやウェブなどをせっせと作ってくれたり、イベントのサポートをしてくれたりしています。また、今年の秋には外部と映像を中心としたコラボができるスペース【コラボラボ】を学内に開設する予定です。大学生にとってはもちろんのこと、社会的支援のニーズを抱えたコミュニティにとっても開かれていて、使い勝手がいいメディアセンターがあるといいという思いからセンターを作りましたので、皆さんのほうでも、いろいろな希望を出してください。社会をつなぐための表現として、大学のスペースや機材を使いたい、ワークショップをやりたい(出前も含めて)、シリーズものの企画をやりたいなど、何でも結構です。実現できるように皆で知恵を出し合ってみたいと思います。
「ソーシャル・メディア・センター」では、暫定的なウェブサイトも立ち上げました。
http://edu.tsuda.ac.jp/cmccl/
現在は、本センター主催のイベントのお知らせ中心ですが、すでに様々な企画を行っておりますので、ぜひ、ご参加ください。また、関心を持ちそうな方々に当サイトについてお知らせいただければ幸いです。
実は、野崎さんのファンです! 『シュルレアリスムの25時』も気になる
誰も知らないシュルレアリスム
『シュルレアリスムの25時』(水声社)刊行記念イベント ジュンク堂書店池袋本店 トークセッション
http://www.junkudo.co.jp/newevent/evtalk.html#20100213ikebukuro
野崎 歓(フランス文学者)×鈴木 雅雄(シュルレアリスム研究者)
■2月13日(土) 19時〜
20世紀の思想や芸術に大きな痕跡を残し、いまもなお現代文化を挑発し続けている、シュルレアリスムとその運動。ブルトンやダリ、マグリットの作品は、日本でもよく知られています。しかし、彼らの表現だけがシュルレアリスムではありません!これまで注目されることのなかったユニークな画家や詩人、写真家たちを紹介しながら、「いま」「わたしたちにとって」のシュルレアリスムとは何かをめぐって、第一線で活躍するおふたりの論者に縦横無尽に語っていただきます。
・野崎 歓
1959年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科准教授、フランス文学者。主な著作に『赤ちゃん教育』(青土社、講談社エッセイ賞)、『われわれはみな外国人である』(五柳書院)など、訳書にトゥーサン『浴室』、ソレルス『秘密』などがある。
・鈴木 雅雄
1962年生まれ。早稲田大学文学学術院教授、シュルレアリスム研究者。主な著作に『シュルレアリスム、あるいは痙攣する複数性』(平凡社)など、訳書にダリ『ミレー《晩鐘》の悲劇的神話』などがある。
- Intellipunk
- By intellipunk / Jan 09, 2010 6:08 pm
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