RLL 2012′S BEST BOOKS

毎年恒例、RLLのBEST BOOKS。遅くなりました。∞の原稿ストライキで(骨董ブログには1月中には6本も記事を上げてるのに)発表出来ない状況にありました、深くお詫び申し上げます。

2012best


RLL 2012′S BEST BOOKS

1 『三つの旗のもとに―アナーキズムと反植民地主義的想像力』ベネディクト・アンダーソン(NTT出版)
19世紀後半のスペイン帝国統治下のフィリピンとキューバとアナキズムの三つの旗に集った人々の知られざる交歓の事実を、今までナショナリズムを記してきた『想像の共同体』のベネディクト・アンダーソンが熱く厚く書き記した! そこから見えるのは19世紀末の反植民地闘争反帝国主義のナショナリズムは、実はインターナショナリズムを内包して、当時の最初のグローバリズム状況下に活性化したアナキズムと呼応連結して躍動していたって事実。ダイナマイト発明とアナキスト爆弾闘争の系譜もつまびらかにされ、その流行の中で植民地帝国主義は徐々に崩壊していくさまも詳細に、サラエヴォ事件や安重根まで記述される。そのまま現在の反グローバリズムとエコロジーとグリッサンがつなげて説明されていた高祖岩三郎『新しいアナキズムの系譜学』の記述に重ねて考えられるだろう。双方ともアナキスト地理学者エリゼ・ルクリュも関係しているし、これは間違いなく歴史の二週目に観えてくるよ(?)パリコミューンと植民地とランボー、アナキスト活動家とヴァレリーやマラルメやシニャックやスーラの交流、反植民地主義とビスマルク帝国主義などなどのトピックもパッチワークされて世界を可能性で想像してしまう。たったひとつ残念なのは素敵な原著のジャケットを台無しにしている、保守的なNTT出版のカバーデザイン。これのオリジナル装幀を勝手に作ってしまいたいぜ。


2 『脱資本主義宣言 グローバル経済が蝕む暮らし』鶴見済(新潮社)
 最も深く迷い続けた者だけが最も遠い場所に辿り着く。1993年に発売された「完全自殺マニュアル」からすでに20年。この20年間に鶴見済が記してきた本の一冊一冊のタイトルを思い出し、もう一度、振り返ってみよう。それは、この人が歩いてきた長い長い道のりを振り返るということだ。完全自殺マニュアル(93)ぼくたちの完全自殺マニュアル(94年)、無気力製造工場(94)、人格改造マニュアル(96)、檻の中のダンス(98)、レイヴ力(00)、そして、脱資本主義宣言(12)。一見バラバラなように見えるテーマが並ぶが、常に通底しているのは、巨大な生の不安への怯えと苦しみである。自分自身で悩み、苦しみ、ただなんとかそれを解消しようとして必死に取り組んできた軌跡の一つ一つの区切りとして、一里塚として、これらの本は輝いて後方に並び、連綿と光っている。この人の本は、決して単なる即物的なマニュアルでも、社会学的な批評やエッセイでもない。この著者がひたすら地道に綴ってきた、私小説だ。闘いの歴史だ。鶴見済の本は美しい。圧倒的な力強さを孕んで僕らの心を鷲掴みにする。ここには彼の弱さも、醜さも、彼が感じてきた喜びも、悲しみも、全て描かれている。だからこそ力強く、美しいのだ。おそらく、初期のマニュアル的な本を愛するファンの人々は今回の「脱資本主義宣言」を単なる著者の左傾化として捉え、がっかりしているのではないだろうか? しかし、僕がこの本を読んで思うのは明らかな原点回帰である。確か完全自殺マニュアルの巻頭言には90年代的な現象として「歴史の終焉」と「退屈な日常」がセットで語られていたはずだ。この厭世主義の果ての、気楽な選択肢としての自殺のマニュアル化。これがこの本のテーマだった。それに対して今回の「脱資本主義宣言」において徹底して追及されるのは、退屈な日常の解剖と、その歴史である。震災や右傾化による歴史の回帰を経た現在でも、資本制の中での日常は続いている。そう、資本主義のファンタスマゴリアとしての日常。それがなぜこんなにも清潔なようで醜く、気楽なようで深刻な不安を常に生み出すのか? なぜこれほどまでに普通の日常の生が、呪われているのか? この本を読めばそれが嫌と言うほどわかるだろう。この本は退屈で普通な、自殺したくなるほどくだらない日常の背景に何が潜んでいるのかを暴き出す。鶴見済はまったく変わってなどいない。徹底的に容赦なく、冷徹に、不安の根源を分析し、問い詰めている。この人がこの先どうなっていくのか、僕にはわからない。だからこそ目を離すことができないのだ。


3 『リアリティのダンス』アレハンドロ・ホドロフスキー(文遊社)
大ファンである映画監督の自伝と聞いて、わくわくしながら読み始めたら、まったくといっていいほど映画の話がでてこないじゃないか! 彼にとって映画は単に表現の一手段に過ぎず、本質的に彼の職業は「セラピスト(テラピスト)」だったという衝撃的事実にさらにわくわく。「芸術は癒しのためにある」ってあんな映画撮っておきながらよく言うよ! 同じくノマドを生きるビフォの哲学と接続して読むと面白いかも。 少年時代のトラウマ体験、セラピーとしての演劇、明晰夢の訓練、魔術修行、呪術医や禅僧からの学び、うさんくさいグルのもとでのアシッド体験(驚くべきことにその初体験は『エル・トポ』撮影の後)……バンド・デシネ(bande dessinée)の脚本家としても知られるホドロフスキーの巧みな ストーリーテリングに乗せられ、エピソード酔い確実(ブルトン、カスタネダなどの知識人との笑える邂逅が読みどころ)。後半は彼のオリジナル療法「サイコ・テラピー」の奇抜な処方例が延々と続き目眩がしてくるが、これが「現実のダンス」なのか。ホドロフスキーは同タイトルの映画をすでに完成させており、公開が非常に楽しみ。


4 『CRASS』ジョージ・バーガー(河出書房新社)
CRASSという過剰な意味と言葉が張り付いたこのパンクバンドは、やたらかっこいいジャケットを身に纏ったレコードは手に入るけれども(そして例の日本の家紋に影響を受けたCRASSマークをあしらった黒いTシャツは手に入るのだけれど)、大手音楽メディアを信用せずファンジンのみに門戸を開いたため、当時から日本の音楽誌では詳細な情報は伝えられず、長らく彼らの過剰な意味性を解する者は少なかったはず(例外は遊動社の『クラスストーリー…IN WHICH CRASS VOLUNTARILY BLOW THEIR OWN』!)。待望と云ってもいいはず、この本でようやくその漆黒のヴェールが剥がされるというわけだ。中産階級/労働者階級、ヒッピー/パンクス、メジャー/インディー、音楽活動/政治活動、女性/男性、スキンズ/アナキストという幾つかの対立項を乗り越えたところを目指していた彼らの活動の誠実さにまず敬意を表したくなる。ネオコンネオリベの元祖鉄の女サッチャーと激烈に闘い疲弊した描写はつらいが、これが現在形の闘いだということもこの本を読むことの意味でもあるだろう。野田さんの熱い解説でわかったように、ストーンヘンジ・フェスティバルからうまれピストルズを経由してレイヴカルチャーまで通低する彼らの理想主義の精神は、闇に包まれた過剰な言葉の意味を知らなくとも、アンダーグラウンドのエチカとして僕らには何故か届いていたのだった。



5 『ジャスト・キッズ』パティ・スミス(アップリンク/河出書房新社)
パティ・スミスの青春自叙伝はなんと、2010年度全米図書賞ノンフィクション部門受賞ってことで、これはもう最初から鉄板本! ニューヨークに上京したての何者でもなかったころの初々しいパティが、フォトグラファー未満のセクシーな美青年ロバート・メイプルソープと出会い、愛し合い、高め合い、拗れ別れ、デビューし、彼が死ぬまでの、あの伝説的な物語が本人から語られる。舞台は黄金の70年代ニューヨークなので、ふたりを彩るのはギンスバーグやバロウズやウォーホルやサム・シェパードら、チェルシーホテルの神話的アーティスト達。随所に挿入されるミューズパティを撮ったロバートのスチールにどきどきしたり、「マリファナはふざけるために吸うのではなく詩を書くために吸うものだ」パティ・スミスってエピソードにグッときたり。RLLも、かの有名なメイプルソープ撮影の「ホーセズ」ジャケットをTシャツ化しているので、この本と一方的に関係しているよね!?


6 『フォークナー、ミシシッピ』エドゥアール・グリッサン(INSCRIPT)
人文読みの皆さんにとっての2012年は、比較文学ならポール・ド・マンの一択だろうというメジャーな意見をよそに、RLLは黒人趣味のあいかわらずな選択でグリッサン一択にさせていただきます。これはグリッサン唯一の作家論であり、プランテーションとクレオール文化、奴隷制と黒人の苦しみといった、アンティーユ諸島とルイジアナの比較文学ともいえる。しかしながら彼は何を書いても、全体-世界論である〈関係〉の詩学であり、既成の評論でも詩でも小説でも哲学でもあるジャンルレスの「試論」なのだ。だから、いくらウィリアム・フォークナーの核心に迫っても研究書や文学論の枠などなく、ほどなくいつものグリッサンの詩学であるとわかりこちらも身も心も委ねてしまう。黒人奴隷の子孫の詩聖は、没落してゆく南部の愛国者で人種差別主義者の大酒飲みを、文学によって礼賛する。訳した中村隆之せんせいの「カリブ‐世界論」も必読!!!!



7 『〈借金人間〉製造工場  “負債”の政治経済学』 マウリツィオ・ラッツァラート(作品社)
新自由主義という政治的経済的欺瞞を弾劾する作品社の勢いが止まらない!『資本の〈謎〉 世界金融恐慌と21世紀資本主義』デヴィッド・ハーヴェイ、『なぜ、1%が金持ちで、99%が貧乏になるのか?《グローバル金融》批判入門』 ピーター・ストーカー、『なぜ私たちは、喜んで“資本主義の奴隷”になるのか? 新自由主義社会における欲望と隷属』フレデリック・ロルドン。この社会科学の流れの中で、最もフランス現代思想に近しいこの本をセレクト。借金人間〈ホモデビトル〉ってのも負債もニーチェやドゥルーズで、金融危機後の世界経済を考えるって倒錯ぽっくて僕ら的。



8 『日本巫女史』中山太郎(国書刊行会)
初版1930年、柳田國男の弟子である在野の研究者が書いた異形の本がこの時代に復活。やたら分厚く存在感のある佇まい(そしてカバーを取るとシブいサイケ調!)。冒頭小言における死んだ妹への想い「私の学問のために死んでくれた妹のために本書を完成し、そして霊前へ手向きてやろう」が本と同じくやたらに重く、なかなか頁が進んでいないことを白状してしまおう。自らの民俗学を「歴史的民俗学」と呼んでいるだけに、資料の掘り方も半端無く、目次を眺めているだけでその壮大さにクラクラしてくる。そんな意識状態で読むのがいいのかも。師匠の柳田や研究仲間の折口と違って、文章が平易で読みやすく、すっとはいってきてありがたい。


9 『原発幻魔大戦』いましろたかし(エンターブレイン)
P90にインテリパンクが描かれている!という誤解で、いましろ先生と知己を得たという思い出も嬉しい! しかし秀逸なのはフィクション/ノンフィクションの垣根を超えたところで、きな臭いこの時代の空気をしっかり伝えられているという点だ。311後の生活者のリアルな生き様、同僚とは日常に戻ったフリをしながらもひとりになればウェブの陰謀論スレスレの情報に振り回されつつ治世への怒りをもたげながら、ただ今日も金曜官邸前か繁華街のデモを歩くしかない僕らを代弁するなんてコミックは他にない。日本列島で放射能と政府に恐れおののいたすべての人に読んで欲しい、危機感がほとばしる。




10 『災害と妖怪――柳田国男と歩く日本の天変地異』畑中章宏 (亜紀書房)
柳田國男没後50年に出たタイトルにフックがある良書。柳田國男の『遠野物語』『妖怪談義』『山の人生』などを基に、日本各地に残る妖怪の足跡を追いながら、ほそぼそと残る「災害伝承」の関係を明らかにしていく。専門書のような難解さがないので、「民俗学」への知覚の扉をひらかせてくれる入門書として最適。紹介されている文献も、柳田がまだ「非常民」の方に向いていた初期のものが多く、非常にそそられる。本書が災害時に自発的な助け合いの輪が広がることを論じたレベッカ・ソルニット『災害ユートピア』と同じ出版社というのもミソ。江戸の民衆は災害にカタルシスを感じ、それを再生の契機としての「世直し」観念と結びつけていた、という宮田登流の「災害ユートピア」をミックスすると、アナキズムの友愛的側面と破壊(と創造)的側面を感じとることができる。グレーバー以降、民俗学や人類学をアナキズムと重ねて読む癖がどうも抜けない。



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